【半休中】Beyond talk to oneself

子どもや日常、スポーツ回顧、時事の疑問に世の声の1人として触れていきます。競馬予想はあくまで履歴と仲間向けです。

エンジンが・・・死んじゃってる( ̄  ̄ )

2008年05月09日 21時47分02秒 | F-1
数日経ったのだが、ついにSUPER AGURIが終わってしまった。
今回はどうにか乗り越えられるとは正直思えなかった。
やはりその通りになってしまった。

F1撤退!! スーパーアグリ SUPER AGURI F1 TEAM withdrawal 2008.05.06



UAEだったと思うがマグマグループとのスポンサードは途中で投げ出され、
ただのエンジンサプライヤーであるのに(資本参加もしてたかな?)
日本人同士と言う太いパイプでHONDAが資金援助。
援助といっても1億や10億程度ではなく100億強らしい。
それだけにセカンドチームでもないのでこれ以上無理。

そこに交渉していたのがドイツの自動車メーカーヴァイグルとだったが
潤沢な資金が無いとしてHONDAがそれを認めず。
亜久里とヴァイグルはそんな事は無い。大丈夫だといったが話は頓挫した。
これではもうトルコGPは間に合わないし、そこまでに打診した先で
活路が開けるものは得られずタイムリミットで撤退宣言。

一般人だから解らないのだが、何故HONDAは認めなかったのだろう?
仮に少し頼りなくてもGPに出て来れて、貸した金を徐々に返してくれるなら
それが得策ではないのだろうか?
それともHONDAにはヴァイグルがすぐに資本が尽きて、
結局はチームの赤字が増すだけになり、亜久里ももっと苦しくなれば、
HONDAも回収がますます困難になるということだったのだろうか?

ともかく参加表明して128日程度で開幕戦を迎え、
型落ちのシャーシでそこそこ頑張り、2年目にはポイントまで取った。
確かに型落ちのマシンだけに変更されて無い部分が逆メリットだったのもある。
でも突貫工事で突貫参加したチームがそれなりのレースが出来、
ましてたった1年でポイントを得るなんて、
あのミシュラン勢がタイヤの不安から全員ボイコットして、
フェラーリと下位2チームだけの6台のみのレースだったら取れるだろうが、
そう言うものでもなかったのは、快挙ではなくリアルな奇跡だった。

亜久里は若手育成の機会を設け、国内のARTAなどももち、
レーサーの最大の夢であるF1にも「お前たちの目指す場所があるぞ」と
個人のエゴではなく、そういう壮大な思いを持って無茶を承知で作った。
それを直接・間接的に支えた多くの関係者も素晴らしかった。
だがことF1は一般人では想像がつかない世界。
どこの馬の骨か解らないF1チームを作るほうが、
バルサやマンUを抱えるよりもはるかに金が掛かる。
しかも方や無名・無実績で方やスター軍団であるにも拘らず。
一番簡単な解釈はサッカーは人が殆どだが、F1は人だけでなく車がある。
その開発や製造は莫大な費用が掛かるのだ。
原油高なんて関係無いことは無いが、その程度でギャーギャー言うレベルではない。
だからこそ誰もが支援の限界があり、ワークスや大企業のチームではない
プライヴェーターはそのスポンサードによって大きく左右されてしまう。
亜久里だって現役時はMAXで30億程度は稼いでいた男だ。
それでも維持なんて出来ないのだ。それがこの世界。
でも私はそんなの解っていても日本人だから浪花節で悔しいと思う。
亜久里さんの信念がなんとなく勝手に解っていたからだ。

その鈴木亜久里はF1仲間との馬鹿にしたことから始まった。
それも初の日本人フルタイムF1ドライバー中嶋悟は朴訥な印象で
言葉も少なく物静かな男。不言実行タイプ。
最大の記録は日本人初のファステストラップを雨の豪州で飾る。
そのときも後5周もあれば前を行くパトレーゼを確実に捕らえ
(1周で5秒とか縮めてたので)3位だったのが悔やまれる。
その印象が「男は黙ってサッポロビール」がかっこいい口下手の日本人の
代表的でも平均的でもあり、それが基本になったものだから、
亜久里のトークは非常に違和感を感じたのだった。
妙にハイテンションで、妙に軽くて、妙にキーが高い。
ザクスピードでは全予備予選落ちだったが、
エスポ・ラルースに移籍しての開幕戦は「1コーナーでマンセルと勝負だね!」と
喜色満面に言うわ、先日書いた「エンジンがぁ~エンジンがぁ~」もあり、
他にも「クラッチ~~クラッチがね」と2回繰り返すのが亜久里流で、
「くぅまはぁ~~~ん(車は)調子~~いいですよ」とか
「カフィ1周で1秒から1秒半遅くなってきてぇ~」とか
「ピケがスピンしててぇ~単独スピン。なんであそこで?!って思ったんだけどぉ」
書ききれないし、書いてもそのニュアンスが伝わらないのが残念だが、
中嶋と接触で両者リタイヤしたときはハラハラもので
亜久里が「スロー走行してよけてたのに中嶋さんが突っ込んできてぇ~」というと
中嶋は「だったら最後まで避けてて欲しかったね!」と怒り笑顔。
そんなのも克明に覚えている。

そして日本GPでピケとヘリの事故で腕を切断したナニーニの代役で
ピケに指名されて急遽シートに座ったモレノのベネトン勢についで
初の日本人表彰台の3位に収まったあとのトークショーなどでのコメントは
馬鹿にしたものどころか尊敬に値して、
「高い目標は目標として常に意識して、でもそればかり見ていると
足元をすくわれる。そこに行くには目の前の一歩を・・・」という話は
若手や後輩たちにも私がビジネス研修で聞かせたほどだった。

そんな愛すべきビーバー笑顔の亜久里さんが笑ってられない状況になった。
それはこっちとしても辛い。何も出来ない自分がもっと辛い。

とりあえず物足りないものばかりだが(私の秘蔵VTRアップさせるか?!)
見つけた亜久里さんの面白いものや現役時の映像を以下に…。

【自分のマシンを消す亜久里。逃げ腰の時が笑える】
Super "fire fighter" Aguri


【亜久里3位!この年のベネトンのカラーリング好きで同じスウェットもってた。】
F1-GPJAPAN@1990TVゴール

5分間全部見よ!

【各ドライバーの面白シーン。亜久里は1分20秒辺りで登場】
F1 funny clips 1987-1993


【これ子どもみたいで笑える。シューマッハと亜久里は仲良かったんだよね】
F1 写真撮影



【30秒後に亜久里登場でこれが唯一レース後インタビューっぽい感じもつまらん】
Michael Schumacher & aguri suzuki 1993



チームは消えても亜久里さんのトークは永遠なり。

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