Youth worker Support【未来を創る若者たちへ】

「はたらいて幸せになろう!」仕事は自分を成長させ、人を幸せにします。そんな仕事を楽しむための情報をお届けします。

職場で活かせる行動分析学④「行動の法則」

2018-08-28 | 仕事

前回は「医学モデル」について説明し、その危険性に触れました。
それは、ある社員の問題行動を医学モデルで解決しようとすると、循環論にはまってしまい、結局は誹謗中傷や個人攻撃という問題にぶつかってしまうというお話でした。
つまり、医学モデルでは行動の原因にはたどり着かないという内容でした。

今回から、「行動の真の原因って何?」というお話に入って行きますが、まずは”行動の基本原理”について押えておきましょう。

行動分析学が対象とする行動は大きく二つあります。それは「レスポンデント行動」と「オペラント行動」と呼ばれる行動です。この二つの行動の違いは、行動の原因が、その行動の前にあるか後にあるかです。

行動の前に原因がある「レスポンデント行動」

”レスポンデント”(respondent)という用語は、「反応・応答」という意味の response からの派生語で、外界からの刺激に対する反応行動のことです。

例えば、目に埃が入ると涙が出たり、食べ物が口に入ると唾液が出たりするなどの反応ことで、「反射」や「生体反応」と言った方が分かりやすいかもしれませんね。
ちなみに、”涙が出る”や”唾液が出る”というのは死人には出来ないので、立派な行動です。
つまり、先に外界から何らかの刺激があり、それが原因で反応(行動)が現れるタイプの行動を「レスポンデント行動」と呼びます。

既にお分かりの通り、レスポンデント行動は、生体として元々備わっている機能ともいうべき行動です。つまり、意識する、しないはあまり関係なく、生きる上で必要な行動を身体が勝手にしてくれているということなので、職場に役立つ行動分析学では、この行動は今後あまり触れることはないと思います。

行動の後に原因があるの「オペラント行動」

”オペラント”とは、「操作する」という意味の operate からの造語で、行動分析学の創始者であるバラス・スキナーがその名づけ親です。
スキナーは、何らかの行動をした後に生じる変化や効果が、その行動の原因になっていることを、膨大な実験を積み重ね科学的に証明した心理学者です。

身近な例では、「スマホの画面をタッチするとアプリが起動する」という場合がそれに当たります。
スマホの画面をタッチするという行動は、その後でアプリが起動するという変化(効果)が原因になっているという訳です。
ちなみに、電源オフになっているスマホの画面をタッチしても画面は黒いままで何も変化しないので、タッチするという行動はしません。
このように、行動の直後に生じる変化や効果が原因となるタイプの行動を「オペラント行動」と呼びます。

今後は、このオペラント行動に焦点を当てて進めることになります。なぜなら、その語源である「操作する」という意味が示すように、行動は環境を操作することで変えることが出来るからです。

行動分析学は、行動の問題を解決する科学である

私たちの行動には、それをさせる原因があり、そこには「行動の法則」があります。
自分の行動は実は自由意思ではなく、法則に基づいているのだということは、にわかには受け入れ難いと思いますが、行動分析学は、行動の原因を明らかにし「行動の法則」を上手く使って”行動の問題”を解決に導くための科学なのです。

私たちは日々様々な行動をしながら生きていますが、その全てが完璧という人は稀だと思います。時間にルーズな人や、ダイエットが続かない人、仕事の期限を守れない人、約束を忘れる人など、誰でも何らかの問題行動を起こしてしまいます。
そんな、すべきでない行動をなぜしてしまうのか、あるいは、しなければならない行動をなぜしないのかを、行動の法則に基いて説明でき、どの行動をどの様に改善に導くのかを解き明かすことができるのが行動分析学という訳です。

職場で活かせる行動分析学では、以降オペラント行動に注目して解説して行きます。

次回は「60秒ルール」の予定です。

 

参考文献
杉山尚子著「行動分析学入門 ヒトの行動の思いがけない理由 」
杉山尚子・島宗理・佐藤方哉・リチャード・W・マロット共著「行動分析学」
舞田竜宣・杉山尚子共著「行動マネジメント 人と組織を変える方法論」


職場で活かせる行動分析学③「医学モデルの罠」にご用心

2018-08-21 | 仕事

行動分析学は、心理学の一つでありながら「こころ」という領域を一切扱いません。

人間の行動に徹底的にフォーカスして「その行動の前後でどのような変化があるのか」を観察し分析することによって、その人の行動変容を導く学問です。

前回は、問題行動の原因を考える上で、私たちはつい”心の問題”と結び付ける癖をもっているという話でした。
それは、ある若手社員の問題行動を見て、「やる気がない」「意識が低い」「能力がない」「向上心がない」など言いながら、その原因は本人の心(意識)の問題だと説明しようとすることでした。
しかし、そういう表現は全てラベリングであり、問題解決のための原因究明にはならない。だからこそ具体性テストをして、解決したい標的行動を明らかにする必要があるというお話でした。

今回は、「ではなぜ、ついそういう考え方になるのでしょうか?」というお話です。

医学モデルとは

例えば、風邪を引いた時のことを思い出してください。ほとんどの人は、風邪を引くと行動に異変が起きますよね。
発熱で動きが鈍くなったり、ひどい咳や、喉が痛くて話せないなど、症状は様々ですが、いつものパフォーマンスが発揮できないというのは、誰しも経験があると思います。

このように、体の調子が悪い時、私たちは「体内に何らかの異変が起きている」と考えます。
それは、医学でいうところの「原因」⇒「症状」という考え方に習ったものです。
例えば「風邪ウィルス」⇒「発熱・咳」「内出血」⇒「青あざ」「大腸菌」⇒「腹痛」という具合に、ある症状の原因は体の中の変調にあるとする考え方です。

その考え方を、問題行動にも当てはめることを「医学モデル」と言います。

つまり、身体の中の変調が原因で病気の症状が現れるのと同じように、ある行動に問題が起きた時にも、「やる気・意識・意欲・根性」など、その原因が心の中にあるとする考え方のことです。

医学モデルの危険性。

私は、医学モデルそのものが危険だと訴えている訳ではありません。

例えば、とても元気のよい明るい挨拶をする新入社員や、先輩の仕事を積極的に手伝う後輩、さらには訪問客に丁寧に応対する社員などの好ましい行動に対しては、誰も問題とは思わないし、あの人は「やさしいから」とか「よく気が利くから」などと賞賛したりする場面は多いと思います。
この様な場合には、医学モデルであるか否かは然程問題ではないと思うからです。

しかし、問題行動を起こした社員に対して、その原因や改善策を医学モデルで考えようとするのは危険だということを分かってほしいのです。

その理由は二つあります。

①「循環論」に陥ってしまうという問題

これは初回(前々回)にも触れましたが、循環論をもう少し詳しく説明すると、『やる気が出せない⇒なぜ出せない?⇒仕事が出来ないから⇒なぜ仕事が出来ない?⇒よく失敗するから⇒なぜ失敗する?⇒改善しないから⇒なぜ改善しない?⇒向上心がないから⇒なぜ向上心がない?⇒やる気が出せないから⇒なぜ出せない・・・』といった具合に、改善策が見出せないまま、ただぐるぐると原因を探るだけになってしまい、最後には「あいつは分からない奴だ!」などという方向になってしまうというケースです。

このように説明すると、ほとんどの人は「なるほどね~」と分かったように受け止めますが、実は循環論の厄介なところは、それに陥っていることに気づかないという点です。
実は、循環論が習慣化さえしている職場も少なくありません。(その対策は後で触れます)

②「個人攻撃」になってしまうという問題

医学モデルは、問題行動の原因を”心の在りよう”で考えるように導くので、どうしても最後には”本人の心掛け次第”という、いかにも曖昧で都合のいい落としどころにしか進まないという方向性を持っています。

それだけに、「良い行い」⇒「賞賛」VS「悪い行い」⇒「批判」という、主観的な対立構図が生まれやすく、最終的には「問題行動を起こすのは、心が乱れているからだ!」などという根拠なない理屈を立て、誹謗中傷の対象を作り、個人攻撃となる危険性をはらんでいます。

確かに、問題行動を起こす社員は周囲に迷惑をかけるので、どうしても攻撃の対象となりやすいのは事実です。しかし、結局は本人は何も改善されないまま組織から離れ、組織は一人の人材を失ったという結果だけが残ってしまいます。

この様に、医学モデルで問題行動を扱うと、当事者だけでなく周囲の人も出口が見つからない迷宮に入り込んでしまうという危険性を分かってほしいのです。

”痛い目”には効き目はない

それでも、誹謗中傷や個人攻撃はどこの職場でも起きる問題です。
それは、私たちの中に「痛い目に遭わないと分からない」という、迷信にも似た思い込みがあるからです。
さらに、「あなたのためを思って…」という、いかにも正しく聞こえる大義があるからです。
そんな考え方が、結果的に誹謗中傷や個人攻撃という結果を招くのではないでしょうか。

しかし一方で、そういう考え方では何も解決しないという事実も、私たちは知っています。
いくら痛い目にあっても、人はそれほど変わらないということは、人生経験を重ねるほど誰しも痛感することだと思います。

だからこそ、問題行動には医学モデルではなく、行動の真の原因を知る必要があるという訳です。

次回は、その「行動の真の原因」についてのお話しです。


職場に役立つ行動分析学②「"やる気"はラベル貼り」

2018-08-07 | 仕事

行動分析学は、心理学の一つでありながら「こころ」という領域を一切扱いません。

人間の行動に徹底的にフォーカスして「その行動の前後でどのような変化があるのか」を観察し分析することによって、その人の行動変容を導く学問です。

前回は、人は気持ちでは変わらないというお話でした。
それは、私たちの中に「人の行動は気持ち次第で変わる。」という思い込みがあるだけだと説明しました。
また、行動分析学では、人の行動を「死人テスト」で判断するというお話もしました。

今回は、「人の行動をもう少し具体的に考えてみましょう!」というお話です。

”やる気”とは、行動へのラベル貼り

職場でもよく聞こえるのが「あいつは、やる気がある(ない)」という表現です。
他にも「意思が強い(弱い)・気が大きい(小さい)・本気になる(なれない)」など、似たような表現を私たちはよく使います。
しかし、行動分析学的には、それらはみな行動そのものを指す表現ではありません。
つまり、「やる気がある」は様子を現すので行動ではないし、「やる気を出す」も行動とはみなしません。

なぜかと言うと、「やる気」とはある特定の行動につけられた名前(ラベル)だからです。
ある行動に対してラベルを貼るように別の名前をつけることをラベリングと呼びます。
他にも「意思が強い」や「気の小さい」なども、ある行動に対してのラベリングなので、それらは抽象的であり行動を説明する原因ではないということです。

例えば、”笑う”という行動が「やる気がある」とみなされる場合もあれば、”大きな声で話す”という行動がそうかもしれません。さらには、笑顔と大きな声がセットでなければ認めないというケースもあるかもしれません。
この様に考えると、そもそも「やる気のある行動」というのは、人によって定義が異なります。

何をもって”やる気”と認めるのかが人によって違うはずなのに、職場ではよく「○○君は、最近やる気がないな~、もっと頑張ってもらわないとね~」などと普通に使っていますよね。
そして言われた方も、「そうですね~、何かあったのかな?」などと違和感なく答えたりしています。
日常会話ではそれで事は足りますが、行動分析学的には、それでは不十分というより危険と考えます。

行動分析学では行動を説明する上でラベリングは扱いません。なぜなら、ラベリングをすることで、人は無意識のうちにその行動の原因を「こころ」に求めるようになるからです。
「やる気がないのは、心が弱いからだ!」などの精神論や根性論に陥てしまい、具体的な行動変容に辿り着かないからです。

具体性テストで、もっと行動に注目してみよう。

人の行動を変えようとする時は、まず行動を明確に定義する必要があります。その方法として、前回は”死人テスト”を紹介しましたが、今回は「具体性テスト」を紹介します。

具体性テストとは、ラベリングのような抽象的な行動に対して、改善べき具体的な行動とは何かを明らかにしてゆく手続きのことです。(イメージ:抽象的な表現 ⇒ 具体的な表現)
その改善すべき具体的な行動を「標的行動」と呼びます。(日常で使う”問題行動”と呼んでも構わないと思います)

行動をどれだけ具体化すべきかは状況によって異なりますが、一定の目安があります。
それは、その表現(言葉)を聞いて、自分以外の人間も同じような光景を連想できるかという目安と、ある光景を見て、他人も同じ行動を連想することができるかという目安です。

では、「やる気がある」に対して具体性テストをするとどうなるでしょうか?

実は、前述の「笑う」や「大きな声で話す」という行動がそれに当たります。つまり、何をもってやる気とみなすのかという行動であり、死人テストをクリアーした行動のことです。
「笑う・大きな声で話す」という表現(言葉)なら、先ほどの目安にも当てはまると思います。

他にもあるかもしれませんが。ここでは「笑う・大きな声で話す」を例に進めます。

つまり、「○○君は、最近やる気がないな~、もっと頑張ってもらわないとね~」という発言の裏には、そそもそも「笑う+大きな声=やる気」というその人なりの定義があり、「○○君が笑っていない、しかも声も小さい」という状態に遭遇したことで、そんな○○君の様子に「やる気がない」というラベリングをしたという仮説が成り立ちます。

さらに、そう言われた方も、「そう言えば○○君、最近笑わないね~」などと思っているので、「そうですね~、何かあったのかな?」と答えることが推測できます。

では、改善すべき行動(標的行動)とは何かというと、「笑う」と「大きな声で話す」という行動を増やす、あるいは強化するということになります。

そして、改善された行動は「よく笑う」「いつも笑っている」「常に笑顔」などと表現され、それが「やる気がある」というラベリングになるという訳です。

具体性テストは、様々な場面で応用できます。
参考:島宗理作「具体性テスト」
http://www.naruto-u.ac.jp/~rcse/s_gutaisei/

人の行動は変えることが出来る。

組織で働く私たちは、常に同僚や上司、顧客や仕入れ先との人間関係に晒されており、互いの意思の疎通が上手くゆかなかったり、理解し合えないという状況にいつでも遭遇します。
それもそのはず、みな主義主張も異なれば、趣味嗜好も違うからです。
「そんなことは当然分かっている」と言いながら、私たちは、自分にとって不都合な出来事や考え方に遭遇する度に、無意識に「こころ」で対処しようとして、むやみに傷ついたり、時には誹謗中傷もするのです。

しかし、そんな中で「死人テスト」や「具体性テスト」のことを知り、それらが使えるようになるだけでも、相手の「こころ」ではなく、行動に注目できるようになります。
行動にフォーカスし、その原理を知れば知るほど、「こころ」という目に見えないものから、「行動」という目に見える変化に、その原因を探ることが出来るようになり、人の見方も変わってゆきます。

人の性格や思想を変えることは、そうそう出来ないと思いますが、人の行動は変えることができ、組織も変えることができます。

次回は、行動の原理についてのお話しです。

参考文献
杉山尚子著「行動分析学入門 ヒトの行動の思いがけない理由 」
杉山尚子・島宗理・佐藤方哉・リチャード・W・マロット共著「行動分析学」
舞田竜宣・杉山尚子共著「行動マネジメント 人と組織を変える方法論」


職場に活かせる行動分析学①「人は気持ちでは変わらない」

2018-08-02 | 仕事

人は気持ちでは変わらない

やる気が感じられない部下に、「もっとやる気を出せ!」とか「やる気がないなら、帰れ!」などときつく言っても効果がないことは知っているはずなのに、つい言ってしまうことってありませんか?

または、なかなか結果が出ない部下に、「気持ちが足りないんだ!」とか「やる気を出さないからだ!」などと叱咤激励しても、やっぱり結果は出ないことは分かっているはずなのに、つい言ってしまうことってありませんか?

なぜ分かっているのに、そんなことをつい言ってしまうのでしょうか?

それは、私たちの中に「人は気持ち次第で変わる。」という思い込みがあるからです。つまり、「気持ち(心)さえ入れ替えれば人は変わるばす。」という考え方です。

そして、この考え方は「どうしてやる気が出せないのか?」という疑問に対して、その原因は本人の心の中にあるのではないかという方向に導きます。
その結果、多くの場合「性格的な問題ではないか?」とか「能力がないからかな?」あるいは「甘えているんじゃね?」などという仮説をいくつも引き出す割に、これといって明確な解決策に到達しないという羽目になるのです。

そして最も良くないのは、やる気が出せない⇒なぜ出せない?⇒仕事が出来ないから⇒なぜ仕事が出来ない?⇒やる気が出せないから⇒なぜ出せない・・・と、後はぐるぐると巡回するばかりで、どこまでも抜け出せないという「循環論」に陥てしまい、最終的には「いつも言っているのに分からない奴だ。」などと言われ、いつまで経っても根本的な解決にならないというケースは少なくありません。

しかし、人類は古くから人の心と行動の因果関係を、様々な角度から明らかにしようとして来たのも事実で、その中の一つに「心理学」という分野があります。

今回から数回に渡って紹介するのは、その心理学の中の一つである「行動分析学」をベースにした、人間の行動原理と、その職場での活かし方です。
”心”という見えないものの中に原因を探すという方向を、行動という目に見える動きから探るという、反対方向の考え方です。と言っても、私は学者ではないので学術的な話をするつもりはありません。
できるだけ分かりやすく、職場に活かせる行動分析学の世界を紹介したいと考えています。

行動分析学のユニークな考え方

行動分析学を語る上でまず理解してほしいことが「行動」についての定義です。

そもそも”行動”とは何かというお話です。

行動分析学では、行動かそうでないかを判断する基準として、「死人テスト」というインパクトのある呼び方をするテストを用います。
それは、死人にも出来ることは行動ではないという基準です。つまり、死人には出来ない行為が行動であるという訳です。

例えば、「話さない」や「歩かない」は死人でも出来るので行動でありません。この様に「~しない」というのは行動ではないというのが最も分かりやすいと思います。
当然ながら「話す」や「歩く」は死人には出来ないので行動とみなします。

では「殴られる」や「褒められる」はどうでしょうか?
これらは死人にも出来るので、やはり行動ではありません。このように「受け身」を現す場合は行動とは認めず、「殴る」や「褒める」が行動となります。

そしてもう一つ「座っている」や「大人しくしている」はどうでしょうか?
やはりこれらも行動ではありません。死人も誰かが座らせればそのまま座っていることが出来るからです。この様に「~している」という表現は、ある状態を現す言葉なので行動とはみなしません。「座る」が行動です。

この様に考えると、私たちが普段何気なくとっている行動も、何だか意味深いな~と感じませんか?

これから紹介する行動分析学は、人が~しないのは何故だろう?ということは考えません。なぜなら、~しないのは行動ではないからです。
ではどう考えるかと言うと、人が~するのはどんな状況なのか?あるいは、人が~すると、その人に何が起きるのか?など、人の行動を軸に考えます。

次回は、行動をもう少し具体的に捉えるために用いる「具体性テスト」と「課題分析」のお話しです。

参考文献
杉山尚子著「行動分析学入門 ヒトの行動の思いがけない理由 」
杉山尚子・島宗理・佐藤方哉・リチャード・W・マロット共著「行動分析学」
舞田竜宣・杉山尚子共著「行動マネジメント 人と組織を変える方法論」