おふでさき十二号です。
十二号は182首と非常に長いから、一通り目を通すだけでもかなりの集中力がいる。それでも繰り返し読んで、項目をつくり整理していけばなんとか治まってくる。
1~13で、月日の「しごと」として世界中の「胸のそうじにかかる」と言い出して、
14~59で、そのために、「月日でかける」と言って、おつとめを本格化して、積極的に世界に向けて発信することを提示する。
14「よふ木のはぢめ事」 ― 142~149で展開するつとめ人衆を定める。
30「月日でかける」 ― かんろだいづとめを世界へ広める。
50「いきてをどりみなたすけるで」 ― かんろだいづとめと手踊りも同時に伝える。
56「とんへととびてる事をみたとても」 ― おつとめで高い「意識」に目覚める。
おつとめをつとめることで、「胸のそうじ」ができる。澄まされた胸の内に月日が自由自在に働くから、その実態を示して、みなに勇気をあたえる。
19身の内悩み更になし、だんだん心勇むばかりや
44筆につけたる理りが、さあ見えてきた心勇む、 45どんな者でも陽気づくめや
51どの様な難しくなる病でも、これ直らんと言うでないぞや
57いついつまでも陽気づくめに
60~141です。60から本論に入っていく。ここからおふでさきが伝えるところの、おつとめの形をしっかりと検証してみたい。
どのよふにむつかしくよふみへたとて よふきつとめてみなたすけるで 十二 61
どの様に難しくよう見えたとて、陽気づとめでみな助けるで
かんろだいづとめ、それは「陽気づとめでみな助ける」、73「日々に胸のそうじにかかりたら、どんな者でも敵う者なし」という人々の心根を生やすことが欠かせない条件です。先ずおつとめにあらわして伝えるべき、絶対的と条件として「一列心澄ます」を上げ、そのための項目を2つ、①、② に絞って、おつとめの話しを展開していく。
77「せかいぢう一れつ心すましたさ どんな事をば月日するやら」 ― この「いちれつ心澄ます」の言葉から、「月日でかける」と歌い、かんろだいづとめを世界へ向けて展開するのに合わせて、「たすけたまえ」と称えていた地唄をこの明治9年に「いちれつ澄ますかんろうだい」と変更したと考えられる。(最終的には‘いちれつ澄ましてかんろうだい’となる)
→ 79「この先を確か見ていよ、胸のそうじが独りでけるで」 ― 人間の心が我身思案の「思考」、エゴに充たされている限り、月日の自由は届かない。そのためには「胸のそうじ」をしてエゴから「意識」を解放しなければならない。人生で、もっとも大切な仕事は「胸のそうじ」をして「心澄ます」こと。
① 84「このよふのしんちつなるをせかへちうへ とふしてなりとしらしたいゆへ」
93「よろづたがいにたすけするなら」 ― 相手の全てをそのまま受け入れることで、全てがつながりあっていて、独立するものは何もないことに気づけば
→ 94「月日にもその心をば受取りて、どんなたすけもすると思えよ」 ― 全ての個性、生命が一つになり、神(宇宙の創造主)の意識に目覚め、それに調和することでこの世界に新しい次元をもたらす、それがおつとめの目的なのです。自らの目覚めが自らを守る「守り拵え」る原動力となるのです。
② 129「このよふのにんけんもとをせかいちう しらしてをいた事であるなら」
→ 130「それからハどんなたすけもするほとに、一事までゝみなたすけるで」 ― おつとめは人間が神を演じる。つとめ人衆、人はみな神の子ゆえ「一事まで」神と一体なのです。どんな小さな出来事も、見えないところで思いも及ばない方法で総体と関わっている。本当の自分を見つけ、本当の自分を生きるというなら、おつとめがあらわすこの世と人類創生まで戻らなくてはならない。
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
十二号は182首と非常に長いから、一通り目を通すだけでもかなりの集中力がいる。それでも繰り返し読んで、項目をつくり整理していけばなんとか治まってくる。
1~13で、月日の「しごと」として世界中の「胸のそうじにかかる」と言い出して、
14~59で、そのために、「月日でかける」と言って、おつとめを本格化して、積極的に世界に向けて発信することを提示する。
14「よふ木のはぢめ事」 ― 142~149で展開するつとめ人衆を定める。
30「月日でかける」 ― かんろだいづとめを世界へ広める。
50「いきてをどりみなたすけるで」 ― かんろだいづとめと手踊りも同時に伝える。
56「とんへととびてる事をみたとても」 ― おつとめで高い「意識」に目覚める。
おつとめをつとめることで、「胸のそうじ」ができる。澄まされた胸の内に月日が自由自在に働くから、その実態を示して、みなに勇気をあたえる。
19身の内悩み更になし、だんだん心勇むばかりや
44筆につけたる理りが、さあ見えてきた心勇む、 45どんな者でも陽気づくめや
51どの様な難しくなる病でも、これ直らんと言うでないぞや
57いついつまでも陽気づくめに
60~141です。60から本論に入っていく。ここからおふでさきが伝えるところの、おつとめの形をしっかりと検証してみたい。
どのよふにむつかしくよふみへたとて よふきつとめてみなたすけるで 十二 61
どの様に難しくよう見えたとて、陽気づとめでみな助けるで
かんろだいづとめ、それは「陽気づとめでみな助ける」、73「日々に胸のそうじにかかりたら、どんな者でも敵う者なし」という人々の心根を生やすことが欠かせない条件です。先ずおつとめにあらわして伝えるべき、絶対的と条件として「一列心澄ます」を上げ、そのための項目を2つ、①、② に絞って、おつとめの話しを展開していく。
77「せかいぢう一れつ心すましたさ どんな事をば月日するやら」 ― この「いちれつ心澄ます」の言葉から、「月日でかける」と歌い、かんろだいづとめを世界へ向けて展開するのに合わせて、「たすけたまえ」と称えていた地唄をこの明治9年に「いちれつ澄ますかんろうだい」と変更したと考えられる。(最終的には‘いちれつ澄ましてかんろうだい’となる)
→ 79「この先を確か見ていよ、胸のそうじが独りでけるで」 ― 人間の心が我身思案の「思考」、エゴに充たされている限り、月日の自由は届かない。そのためには「胸のそうじ」をしてエゴから「意識」を解放しなければならない。人生で、もっとも大切な仕事は「胸のそうじ」をして「心澄ます」こと。
① 84「このよふのしんちつなるをせかへちうへ とふしてなりとしらしたいゆへ」
93「よろづたがいにたすけするなら」 ― 相手の全てをそのまま受け入れることで、全てがつながりあっていて、独立するものは何もないことに気づけば
→ 94「月日にもその心をば受取りて、どんなたすけもすると思えよ」 ― 全ての個性、生命が一つになり、神(宇宙の創造主)の意識に目覚め、それに調和することでこの世界に新しい次元をもたらす、それがおつとめの目的なのです。自らの目覚めが自らを守る「守り拵え」る原動力となるのです。
② 129「このよふのにんけんもとをせかいちう しらしてをいた事であるなら」
→ 130「それからハどんなたすけもするほとに、一事までゝみなたすけるで」 ― おつとめは人間が神を演じる。つとめ人衆、人はみな神の子ゆえ「一事まで」神と一体なのです。どんな小さな出来事も、見えないところで思いも及ばない方法で総体と関わっている。本当の自分を見つけ、本当の自分を生きるというなら、おつとめがあらわすこの世と人類創生まで戻らなくてはならない。
中山みき様を尋ねて 陽気ゆさん磐田講
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