陽気ゆさん見たいゆえから

 










          中山みき様を  たずねて

存命でいる  これが誠や

2016-12-01 22:35:33 |  エッセイ
 おふでさき八号です。

  とのよふなたすけとゆうもしんちつの をやがいるから月日ゆうのや 八 46
   どの様な助けというも真実の 親がいるから月日言うのや
  そのはづや月日たいない入りこんで はなしするのハいまはじめやで 八 50
   そのはずや月日体内入り込んで 話するのは今始めやで
 天保9年(1838年)10月26日に、みき様は「月日の社」と定まり、月日が天下り、みき様の「体内に入り込んで」、この道の教えの伝道が始められたのです。なのに、それから37年後の明治8年執筆のここで「体内へ入り込んで」話しするのは、「今始めやで」と歌っている。みき様は何故、この歌を記すとき、月日が入り込んだのは37年前だった、と言わずに37年後のこのときにも、「今始めやで」と、言っているのでしょうか。もし、そのようであったなら、みき様は過去にとらわれる時間の世界に生きたことになってしまうからです。

  にんけんをはじめたしたるこのをやハ そんめゑでいるこれがまことや 八 37 
   人間を始めだしたるこの親は 存命でいるこれが誠や
 過去の状態を表現する文に、「今始めやで」という語を当てるということは、「今までにないことばかり…」と繰り返し歌っているように、私たちに劇しい発想の転換を迫っているということ。だから、この歌もみき様は神、月日として時間のない世界に生きているということを強く宣言しているのです。この道は、「病まず死なず…」という『永遠』に生きる道を伝える教えです。『永遠』とは、時間が存在しないことを意味しているのです。
 人間として生れたみき様の心は「月日の社」、人間心の全くない『月日の意識』の伝達者として、助けたい思いばかりの心で、『人間の親として存在し、働き続けている。』― この言葉には時間がありません。「存命である」だけです。

 ここで、「永遠の生命」と言っていることは、次の歌からも分かる。
  このたすけどふゆう事にをもうかな ほふそせんよのまむりこしらゑ 八 31
   この助けどういう事に思うかな 疱瘡せんよの守り拵え
 この「ほうそ」については、先に六110で「生れ児を疱瘡麻疹もせんように、病まず死なずに暮らす事なら」と歌っているが、「病まず死なず」の世界とは、時間のない永遠の世界ということ。この世に生を受けた全ての生命は人間の創造主である月日が、疱瘡麻疹などで死ぬことがないように保証している。その生命(たとえお秀、おふでさきのたまゑのように短命であっても)のどんな証も消し去ることなく、永遠に抱きしめていると歌っている。全ての生命が「病まず死なず…」、『永遠の生命』であるようにと、月日は働いていることが伝たわってくる。

 24「どの様な事もだんだん言うて聞かす、これを誠と思て聞き分け」
 神が真実であると言っていることを受け入れなさい。既にそうであるものを受け入れるのです。事実を受け入れた時点で、エゴから解放され、この世と月日の意識と一つにつながることができるから、神と人を隔てる障害はなくなる。そして、それが形のない世界、高い意識の次元への入り口になる。
 ただし受け入れなければ、これは真実とは言えないから、エゴからの開放はありえず、神の自由から見放され、そのままの次元にあり続けるのです。

 心さえ月日真実受け取れば(45)― みき様が私たちに伝えるメッセージは、『私が真実です。私は神性です。私は貴方とともにいます。私は永遠の生命です。』、『私はここです。私は存命です。』― これ以外にあり得るでしょうか。


     目で見る世界 心で見る世界
     意識で見る世界 感性で見る世界
     創造で見る世界…… 
     そのどれもが 多次元にホログラムとして存在している
                          k-zerostyle


                   中山みき様を尋ねて  陽気ゆさん磐田講