薫 風 ~KUNPOO~

初夏に薫る爽やかな風に思いをよせ、YukirinとKaorinが日々の出来事などを綴るページです。

山中千尋『LEANING FORWARD』

2005-06-30 | D V D
■ 「ピアノの歌姫」ことチヒロ・ヤマナカ・トリオのJAZZライブ。リリカルに唄うピアノが心地よい。

■ 収められている映像は、大阪フェニックスホールでの初ライブの模様を記録したもの。ステージ後方のガラス越しには梅新交差点が見える。TWILIGHTからEVENINGへと刻々と表情を変える都市の情景がライブの雰囲気をいちだんと盛り上げる。チヒロも、背中の大きくあいた真っ赤なドレスから淡いパープルの大人のドレスへと変身。

■ 曲目はリズミカルな「八木節」やかまやつひろしの「やつらのバラード」(だったっけ?)、中島みゆきの「世情」までカバーしている。「In A Sentimental Mood」も綺麗なメロディを聴かせてくれる。CDもよかったけど、また生演奏の空気が伝わってきていいですな。

■ ベースとドラムはおとなしめだけれど、いつ見てもJAZZYな気分に浸れることのできる1枚です。

サイパン島訪問に思う

2005-06-29 | 生活雑記
■ カラ梅雨に久しぶりの雨。これでやっと寝苦しい夜も農作物もひと安心…と思いきや、北陸地方は豪雨でまたも災害。なかなかうまくいきません。

■ 終戦60年にあたり、昨日から天皇陛下がサイパン島を訪問している。恥ずかしながら、「サイパン島は第一次世界大戦後、国際連盟の下で、日本の委任統治領になり、沖縄県民をはじめとする多くの人々が島に渡り、島民とともにサトウキビ栽培や精糖業に携わ」っていたなんて、まったく知りませんでした。

■ 1521年、マリアナ諸島にマゼラン一行が到着して以来スペイン領となり、その後ドイツに売却され、第一次世界大戦後は勝利国である日本が以後約30年間統治することに…。しかし1941年に太平洋戦争が勃発し、1944年サイパン、テニアン島へ米軍が上陸すると激戦地となり、約3万人いたという日本軍はほぼ壊滅状態。民間人も、約1万人が命を落としたという。

■ そのとき、次々と海に身を投げた地が、今回訪問されたバンザイ・クリフ。くしくも日本に一番近い断崖から「天皇陛下万歳!!」と叫びながら身を投げたのだという。昭和天皇の時代とはいえ、そのような地へ赴いた心中は察するに余りある。「玉砕」とは、死を覚悟の全軍突撃(ひとりのこらず死ぬこと)を意味するんだよと、その昔、ある戦争体験者から聞いたことを思い出しました。

■ 広島に原爆を投下した爆撃機も、この地から飛び立っている。いまでは手ごろなリゾート・アイランドと化しているサイパンだけれど、数奇な運命をたどった島なんですね。それにしても、今の日本の平和と繁栄が、「多くの人々の犠牲の上に築かれていること」をあらためて深く思いしった次第です。

<photo:豊科近代美術館>

古事記と日本書紀

2005-06-28 | 本  棚
■ 神野志隆光『古事記と日本書紀』講談社現代新書。今回は、日本創世の神話に挑戦!! 結論からいうと、あえなく挫折…読みにくかった。

■ 『古事記』は712年に太安万侶により、『日本書紀』は720年に舎人親王らによって完成奏上された。子供のころ、アマテラスオホミカミとかオオクニヌシノミコト、ヤマタノオロチとかが出てくる童話は読んだことがあったけど、原文は読んだことがなかった。というより、漢文で書いてあるから(今でも)読めないや。

■ 世界の成り立ちは、イザナキ・イザナミが男女として交わって「大八島」の島々や、海・風・木・山・野等の神を生む――しかし、最初は女のイザナミから先に声をかけて誘って交わったので失敗してしまうというくだりがおもしろい――。古事記・日本書紀ともニンゲンはまったく姿を見せず、神々から、その子孫としての天皇にそのままつながるという構成を持つ。

■ 世界は決して無からではなく、混沌から天と地とが分かれて成り立つのだ。あれ~、まるで旧約聖書の始まりと似ている。陰と陽という、対立する二気の運動が世界万物を生成し、消長させるというのは古代中国の世界観であるらしい。

■ 8世紀初め、天皇の神話は多元的に成立したが、9世紀以後、『日本書紀』は講書を中心として解釈を通じて変換され、『古事記』と一つにして神話は作り直される。つまり「いかにして世界が成り立ち天皇の世界としていまあるかという、自分たちの世界の根拠を、確証する営みが『古事記』『日本書紀』であった」と結論付けている。

■ なんにしても、漢字が多くて読みづらいよ~。久々に、読みながらウツラウツラしてしまった本でした。ここはひとつ、絵本童話に立ち戻ろう。

<photo:美ヶ原高原>

読書ノート

2005-06-27 | 生活雑記
■ 実家の本棚を整理していたら、表紙にCOFFEE BREAKと書かれた1冊の黒いノートが出てきた。学生のころ、小説を読んで感動したり、印象に残った部分を書きとめておこうと試みたものだ。

■ その1ページ目には、こう書かれている。
―― 僕は37歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた ―― 赤と緑の装丁が可愛らしかった、当時大流行した純愛小説の書き出しの部分である。日付を見ると「1990.1.20」とある。

■ もう文庫本は古本屋に処分してしまったので手元になく、いまは確かめようもない。何行か抜書きしたあと、おそらく最後の部分であろうパラグラフが書きとめられている。
―― 僕は受話器をもったまま顔を上げ、電話ボックスのまわりをぐるりと見まわしてみた。僕は今どこにいるのだ?でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったいここはどこなんだ?僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった。僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた。――

■ う~む、さすがプロの文章は表現が洗練されていますなぁ。今は、このブログが私の読書ノートの代わりです。残念ながら、昔の読書ノートは1ページ目であっさり終わってしまっている。(なにか再利用を考えねば…)

<photo:美ヶ原高原>

義仲最期

2005-06-26 | ド ラ マ
■ あいかわらす、NHK大河ドラマ『義経』を見ています。とうとう、天下の朝日将軍義仲も、鎌倉の軍勢に討たれてしまいました。

■ やはり、信州人としては一抹の寂しさがあります。案の定、義仲も木曽の山奥から出てきた礼儀知らずの乱暴者として描かれていたし...。まぁ、法皇の御所にまで火をかけては仕方がないか。これから義経の不敗神話が続くのだそうな。

■ でも、どうして日本の武将たちは、“天皇家なんか廃してオレがこの国の王になってやる”
と考えなかったのでしょうか。よほど皇族の権威が強かったのか、武力だけでは統率できない要因があったのか...。そういった意味では、義仲は実に素直(愚直?)だったと思うけどなぁ。

■ 何はともあれ、苦労の甲斐あって義経が都へ凱旋を果たします。吉次と再会し宴が催される場面では、なぜか平清盛との逸話のある屏風が出てきました。あれっ、これって平家が都落ちするとき、平のナントカが燃やしてしまったのではなかったけ?十数年ぶりに再会するはず常盤御前も、牛若の頃からぜんぜん老けていないしなぁ(髪に白いものが混じっていた...という説もありすが、自信ない)。

■ どうも最近、若い役者さんの演技に力が入りすぎていて、見ているほうが疲れてしまいます。なにも、そんなに力んでセリフを言うことないのに…と思えてしまう場面が多くでてくる気がする。そろそろ、脱落するかな?

■ その点、中井貴一や松坂恵子の演技は、安心して見ていられる。さすがですなぁ。それにしても、よく見ると中井貴一って、源頼朝の肖像画にウリふたつのような気がしてならないのは、わたしだけでしょうか。

<photo:美ヶ原高原>

平井 堅 『UNPLUGGED』

2005-06-25 | D V D
■ 宇多田ヒカルのDVDがよかったので、同じUNPLUGGEDのシリーズを買ってみました。このLIVEはニューヨーク(LA?)で録ったものなのか、平井堅も英語でしゃべっています。だのに、なぜか「君が代」のアカペラから始まる…。

■ 私的には「大きな古時計」や「KISS OF LIFE」に期待していたのですが、それよりも「even if」のほうがどことなくしんみりとしてよかった。はじめて「even if」を聴いたとき、なんて女々しい、イヤ、なんてオタク系の歌詞だろうと思ったけれど、あらためてLIVEで聴いてみると、これはこれで素敵な曲かなぁと思います。

~ 鍵をかけて 終電を越えて 時間をとめて ~

なぜ、終電を「越える」のかはいまだにナゾだけれど…きっと普通に表現すると、時間を「とめて」と重なってしまうからだね。(と勝手に邪推している)

■ ピアノ、ギター、パーカッションというアコースティックサウンドが心地よい。スティービーワンダーの曲をカバーしたものだけど、女性歌手とデュエットする「You Are The Sunshine Of My Life」もなかなか。

■ カラオケでは、平井堅の曲はキーが高いなぁと思っていたけれど、彼もほとんど裏声で歌っているのね。なによりも、歌っているときの平井堅の右手の動きが気になって仕方がありませんでした。

アナウンサーの話し方教室

2005-06-24 | 本  棚
■ テレビ朝日アナウンス部『アナウンサーの話し方教室』角川新書。先月、ちょっと人前で話す機会があったので、参考までに読んでみました。

■ 人前で話すポイントとしては、①文章の長いところや、表現のややこしいところでは言葉を区切る、②強調したいところはアクセントをつけるか、心もちゆっくり読む、といったところでしょうか。さらに、アナウンサーの基本としては、③しっかりと話をしめくくる、④助詞や文末の音を下げる、⑤できるだけいい姿勢を保つ、などの点が参考となります。でも、一朝一夕にできることではないんですよね、これが。

■ 大学の後輩に東海ラジオでアナウンサーやってるヤツがいます。ゼミのOB会で彼がしゃべると、低い声なんだけどまるで頭の天辺から出ているような、それはそれは聞きやすい声が部屋の中に響き渡ります。そう、まるで読経で咽を鍛えたお坊さんに通じるかのような…。

■ 技術はともかくとして、「内容を理解し、そこに喜びや悲しみ、あるいは憤りや危機感を感じながら読まれた文章は、不思議に(これも当然のように)視聴者の心にきざみこまれていく」といいます。まったくそのとおりで、完成された原稿をそのまま読むよりは、自分の言葉で、本当に伝えたいことを率直に話したほうが、聴衆の胸にはズシンとくる気がします(と、先日、自分が職場の研修を受けてみて思いました)。

■ なお「言ってはいけない言葉」との章で、「片手落ち」という言葉が取り上げられていました。いままで差別的な言葉だと思っていましたが、「この言葉の語源は、人間ではなく『天秤』で、もともと差別的な発想はありません」とあり、判断が公平であったかどうかを問うようなときに「片手落ち」と表現することには問題はないとのことです。それでも、その言葉を聞いて気分を害する人がいるかもしれないから他の表現を使ったほうが無難、とも書いてありました。なるほど、勉強になりました。

<photo:Museo del Prado>

スペイン紀行~Epilogo~

2005-06-23 | 旅  行
■ スペイン6日間(正味)の旅は本当に楽しいものでした。実のところ、あまり期待はしていなかったのですが、食べ物は美味しく私たち日本人の口にもよくあいますし、天気は晴天続きで雨の心配はまったくないし、心配していたほど治安も悪くなかったし…ということでエスパーニャの美術や歴史、自然や文化などを満喫してきました。

■ ただ1回だけ、マドリッド市内を散策しているとき、スリに遭遇しました。あいてはジプシー風の女性3人組。私たちが信号待ちをしていると、大きな地図を広げて、道を尋ねてきました。最初は、「んっ、なんだ?なんかわけのわからないこと言ってるなぁ」と思っていたのですが、どう見てもこの辺の地図ではないみたい。はっと気づいてみると、地図の下から伸びた手がバッグの中へ忍び込もうとしている。慌てて(日本語で)怒鳴り、手を振り払って、その場を立ち去りました。さいわい何も盗られずに済みましたが、油断は大敵ですね(もっとはやく気づけよ!!って感じですが、実際はね~)。

■ タクシーの運転手もみな親切で、法外な料金を請求されることもありませんでいた。もっとも、日本のタクシーに比べたら格段に料金が安いですから、ちょっとぐらいボラれていてもわからなかったのかもしれませんが…。そんなわけで、移動は徒歩かタクシーを使い、一度も地下鉄は利用しませんでした。

■ お目当てのアンダルシアのひまわりを見ることはできませんでしたが、是非また機会があったらスペインを訪れてみたいと思います。スペインは、葡萄の作付け面積世界一、生産量は第3位という世界有数のワイン王国でありながら、あまり輸出量は多くありません。なぜなら、生産されたワインのほとんどが国内で消費されてしまうから…というお国柄がたまらなく好きだなぁ、わたしは。

■ なお私たちは、『地球の歩き方 マドリッド』ダイヤモンド出版、『わがまま歩き スペイン』ブルーガイドの2冊をガイドブックとして携行し、旅の参考としました。

<photo : lglesia de la Vera Cruz>

スペイン紀行~Segovia~

2005-06-22 | 旅  行
■ コルドバからマドリッドへ戻り、再びHotel Cartonへチェックイン。さて、スペイン滞在最終日はどうしようかと迷った挙句、思い切ってセゴビアまで行ってみることに…。

■ セゴビアは、古代ローマ時代からの歴史を持ち、かつてはカスティーリャ地方の中心だった城郭都市。ただ、スペインは電車の便がすこぶる悪い。セゴビアまでマドリッドまでたいした距離でもない(と思う)のに2時間もかかり、おまけにほぼ2時間おきにしか走っていない。まあ、夜遅くまで明るいし、なんとかなるでしょ~。

■ 2階建ての電車に乗り、やはり荒涼たる大地をひた走って、やっとセゴビアに到着。思いっきりローカルな駅から町の中心までは約2km。駅前の停留所からバスに乗り、終点のマヨール広場まで行く。一緒に乗り合わせた現地のおばさま方(と思われるご一行様)は終始おしゃべりがやまず、賑やかだった。この風景は日本と少しも変わらない。

■ 広場の南側にあるカテドラルを見学していると、なにやらに人だかりが。なんだろうと思って覗いてみると、どうも結婚式のよう。よく見ると、みんな着飾っている。なんておめでたいのかしらん!!

■ カテドラルの前のとおりを西へ下るとアルカサルが見えてくる。このアルカサルはディズニーの『白雪姫』のお城のモデルとなり、カトリック女王イサベルが「カスティーリャ国」の女王として即位したお城。残念ながら内部まで見学している時間はなったけど、眼下に中世のたたずまいを残すラ・ベラ・クルス教会を望み、大地の広さにうたれる。

■ いったんカテドラルまで戻り、にぎやかなメイン・ストリート、ファン・ブラボ通りを下ってローマ水道橋にたどり着く。水道橋は、写真を見て想像していたよりも、ずっと大きかった。全長728m、高さ28m。セメントなどの接着剤をいっさい使わず、花崗岩のブロックを積み重ねただけで、二段アーチの形で構成されている。これが造られたのはおよそ2000年前というのだから、やはりローマ人は偉い!その壮大さと、技術の高さに圧倒されっぱなしでした。

<photo : Acueducto Romano>

La Felicita

2005-06-21 | 食べ歩き
 週末にイタリアン「La Felicita」へ。アルデンテで、好きなパスタの種類を選ぶことができます。石焼釜で焼くピザも生地も味わいがありオススメ。この日はトマトとバジルの冷製パスタが食べたいと決めてましたが、やっぱり美味しい!
 前菜の生ハムは柔らかく、ビールが飲めないのが残念(隣で主人はおいしそうに飲んでおりましたが) そして気になっていたホウレン草と卵のスープを注文。卵黄の色は濃く、特別な卵を使用とのこと。チーズも入りふわふわ卵スープでした。
 最後にベーコン、季節野菜とトマトのパスタを注文。これもなかなかな味わい。お勧めワインが入ったと聞き、つい赤ワインも注文。美しい色に深い味わいでした(一口だけ味見)
 「La Felicita」とはイタリア語で「幸福」の意味。名前のとおり私達を幸せにしてくれるお店です
 La Felicita