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英語と仕事の好きなワーキングマザーゆきの日記

小4、小1のボーイズを抱える、管理職ワーママの日記。お酒、ランニング、旅行とショッピング、仕事について綴ります。

続 走り続ける人へのエールとして村上春樹エッセイを読む

2012-01-08 10:42:27 | 読んだ本
今年の箱根駅伝中継のときにCMで流れていた、サッポロビールの「走ることについて語ること」。
(そのときの記事はこちら
村上春樹のメモワール『走ることについて語るときに僕が語ること』を引用し、
走りつづける人へのエールというステキなCMをきっかけに
このメモワールを読み返しています。
(読み返した内容(前半)についてはこちら

筆者は継続して走り込み、筋肉に負荷を与えてレースに備え、
レースを重ねる度に目標タイムを高めてそしてそれを達成することで自分を高めてきた、
とありますがこの循環がうまくまわらなくなるときが来ます。
走ることが以前より楽しいと思えなくなり、「ランナーズブルー」、走ることとの「緩やかな倦怠期」が訪れます。

それでも10年ぶりに戻ったケンブリッジの街(ハーバードやMITなどがあるボストンの学生街)で
「チャールズ河を目の前にしたとき"走りたいなあ"という気持ちがどこからともなくわき起こってきた」
とあります。
筆者は10年分年をとり、河沿いを行きかう学生の顔ぶれも変わっているのですが、
「川そのものはほとんど寸分の変わりもなく、昔の姿をとどめていた」のです。

2005年のニューヨークシティマラソンはランナーズブルーを経て、
このようにまた走りたいと感じ臨んだレースです。
しかしながらそこでのレースも筆者が期待した結果ではなく、
納得が行かず翌年春に走ったボストンでも芳しいタイムではありません。
筆者はそれでも
「"今回はうまく走れた"という感触を取り戻せるまで、
フルマラソンを完走するという目標に向かってこれまで以上に努力を続けていくに違いない」と結論づけています。
それが自分のネイチャーだし、小説を書くことについて走ることから学んだことが多いとなれば、
走ること=小説を書くこと、といえる部分があるのでしょう。
走ることが自分の生活の一部にとけこんでいる以上、走りつづけることが自分であることだといえるのでしょうか。

この筆者の結論に親近感を覚えました。
本書から、筆者の数々の大ヒット小説も簡単に生まれてきているものではなく、
筆者が小説を書くための"筋肉"である集中力と継続力を努力して鍛え、
全身全霊を込め綴っているのが分かります。
小説を書き上げるのと同じ姿勢でマラソンにも挑戦しているんだと思うと
自分も走りたくてうずうずしてきます。

そう、本書を読んでフルマラソンに挑戦したい気持ちがまた湧いてきました。
レースならではの高揚感、一緒に走るランナーに刺激され自分を奮い立たせるときに体内にうずまくアドレナリン、
ハーフで感じた興奮はフルであれば尚更だろうと思います。

とは言っても、出産のために既に1年近いブランク。
次男Kの母乳育児が落ち着いたら以下の筆者の言葉を糧に走っていこうと思います。

「とにかく目の前にあるタスクを手に取り、力を尽くしてそれをひとつひとつこなしていく、
そうして自分なりに納得し、そこにある失敗や喜びから具他的な教訓を学び取っていくのが
昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくことにつながる」





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