以前、眠りに入る時スローモーションのように崖から落ちる感覚に
体がビクッと反応してとても怖かった。
不安定な心の時には特にそれは恐怖だった。
そのほか、現実でありえないようなことでも不安でおびえていた。
その後3年ほどたって、ある時眠りに入る恐怖心が起こりそうになった時
こんな風に考えてみた。
「崖から落ちるのではなく、バルーンのように風船につかまりながら
ふわふわゆっくり落ちていると考えたらどうだろうか
そうすればそれは恐怖ではなく快適で楽しい体験に違いない」と。
それからは眠りに入る度にバルーンを想像してみた。
すると恐怖心はなくなった。
今ではそれをもとに色々考えている。
例えばおじいちゃんに対する恐怖心がどうしようもない時に
(誰が97歳の介護されるおじいちゃんを怖がっているなんて思うだろうか)
情けない自分ではあるが。
自分の家は今6人家族で、5人はみんな私の味方で
考えてみれば5対1じゃないか。
何を怖がる必要があろうか。
本人が一番それがわかっているから恐怖心から
私に怒るのだ。
そのことを冷静に私はわかるべきだ。
当たり前のことを当たり前に考える。
主観的ではなく客観的に見る事が大事。
体がビクッと反応してとても怖かった。
不安定な心の時には特にそれは恐怖だった。
そのほか、現実でありえないようなことでも不安でおびえていた。
その後3年ほどたって、ある時眠りに入る恐怖心が起こりそうになった時
こんな風に考えてみた。
「崖から落ちるのではなく、バルーンのように風船につかまりながら
ふわふわゆっくり落ちていると考えたらどうだろうか
そうすればそれは恐怖ではなく快適で楽しい体験に違いない」と。
それからは眠りに入る度にバルーンを想像してみた。
すると恐怖心はなくなった。
今ではそれをもとに色々考えている。
例えばおじいちゃんに対する恐怖心がどうしようもない時に
(誰が97歳の介護されるおじいちゃんを怖がっているなんて思うだろうか)
情けない自分ではあるが。
自分の家は今6人家族で、5人はみんな私の味方で
考えてみれば5対1じゃないか。
何を怖がる必要があろうか。
本人が一番それがわかっているから恐怖心から
私に怒るのだ。
そのことを冷静に私はわかるべきだ。
当たり前のことを当たり前に考える。
主観的ではなく客観的に見る事が大事。