ガーデニングと野菜作り

初めての野菜作りとガーデニングに夢中な私。花や、収穫した野菜の写真を紹介するブログです。

  嘘

2024-08-24 19:13:23 | 日記

​いつも心にもない言葉を発してきた
怒りも、悲しみも、悔しさも、おどけも、愛も、優しさもすべて的外れだった
なぜ、心にもないことを?
本当の心を隠したかったから
いや隠さねばならないと思ったから
いやいつも私は他人より下でなければならなかったから
なぜなら私は愛を乞うたから



     《今読んでいる本》      
      百年の孤独 ガブリエル・ガルシア
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8月3日の花火大会

2024-08-07 18:08:39 | 日記

今年も花火が見れました。パリ五輪も行われています。
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2024年6月24日

2024-06-24 13:00:26 | 日記
風化した過去の時を慈しむかのように、今私は時を償って生きている。
その情熱にのめり込んでしまいそうな自分が怖い。
人生のレールは玉乗りのように慎重にならねばと自分を戒める。大切な事はバランスなのだからと。
何をしたかではなくどのように生きたかが問題なのは、わかっている。
掃除も料理も仕事も友人と会う事も、真の喜びになりつつある。
時々面倒に思う事もあるけれど、些細な生活の中にこそ真の生きる喜びがある。
単純な田んぼの草取りでさえ、喜びになる。若い時は遠くへ行かなきゃ楽しくないと思っていた。
今では、極端に言うなら宇宙に行っても、その気にならなきゃ何も得ることは出来ないと思う。
義姉が亡くなり、義兄もいつ何時かわからない状態だ。身近で若い人がどんどん亡くなっていく。
いずれ自分もそうなるのだが、考えると怖くなる。
死ぬのも怖いけれど、一番怖いのは体の自由が利かなくなる事だ。
ある日突然やってくるのが一番怖い。だから焦ってのめりこんでしまう。
「世情も不安定だし」とまあ、悲観主義者の私は言いだしたら切りがない。

≪今読んでいる本≫
池澤夏樹さんの本を読みだした。
「スティル・ライフ」「キップをなくして」







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田植のさなかで

2024-06-18 09:19:41 | 日記
田植え中の休息に、座敷で床を敷き体を横たえる。全ての音を消す。そして目を瞑る。
夕飯のメニューを何にしようか、昼寝起きにどんなデザートを食べようかなどと考えているときが、最高に幸せな気持ちになる。
自然の中で生活をし、そのリズムに溶け込んでいくと、頭は澄みわたって来る。これが至福だと思う。
心身共に健康になるとはまさにこの事だと確信する。
また、1日の終わりに仏壇の前で念仏を唱えていると、ふと有意義な考えが浮かんで来る。
これも不思議な事だ。
現在はもはや、科学的宇宙の時代であり、太古の昔より宇宙から生まれた私たちは
もはや真のエネルギーを完全に享受出来ていない。
ただ謙虚にそれを求めようとする者だけしか与えられないのではないかと私は感ずる。
クラッシックもテレビもラジオも良いが、時には全ての音を消して、自分の内なる深淵の音楽を聴こう。そして、宇宙の音楽を体感したいと思う。

≪今読んでいる本≫
「この村にとどまる」
マルコ・バルツァーノ

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2024年4月7日

2024-04-11 17:08:55 | 日記
2024年4月7日(晴れ)
今日公園を歩いていると微笑ましい光景に出会った。
桜の木の下に親子らしい三人の家族がいた。
「ママ、一枚取ったよ」「ほらまた一枚」
小学生くらいの男の子が自分の帽子を掌に伸せて、舞い降りて来る桜の花ビラを必死に受け止めている。
風が吹くと満開の桜が雪のようにあたり一面に降り注いでくるのだ。
桜の存在と風の現象によって写しだされるこの光景は、本当に美しくはかない。
この気持ちは日本人なら多くの人が共感できるだろう。

2024年4月8日(曇り)
今日は、川の堤防沿いの桜並木が満開だった。風景が劇的に変化した。
枯れ木が一度に花を咲かせた。
ピンク色の塊が川に沿ってずっと連なっている。
そばを通ると、浄化された麗しい香りが漂ってきた。まさにそこは聖域だ。
今年もまた、桜はけなげに、優雅な姿を見せてくれた。

2024年4月9日(雨)
昨夜からの雨で桜は四割ほど散ってしまった。
雨が上がった後の公園は風が強くて冷たかった。
桜の花びらが、千代紙で張ったようにびっしり、アスファルトにへばりついている。
アスファルトの道からは、昨夜の雨の清水が溢れ出していた。
東屋の中にある熊五郎狐の石像にたどり着くと、いつものように頭を下げて柏手を打った。
屋根には、苔が蒸していた。
いつ頃からだろうか。熊五郎狐に賽銭や花や数珠が供えられるようになったのは。
以前にそこで会ったご婦人が「祈るだけではなく、頭も撫ぜたら願いが叶うよ」
と教えてくれたので
その時から私は両手で熊五郎狐の頭をなでている。
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