ガーデニングと野菜作り

初めての野菜作りとガーデニングに夢中な私。花や、収穫した野菜の写真を紹介するブログです。

今朝ふと思いついた詩

2018-01-31 10:02:17 | 趣味
苦しんでいる時、闘っている時は
つぼみが花を咲かそうと一生懸命頑張っている時だ
やがて花が咲いた時
どんな喜びが待っているか
想像してごらん
何とも言えない満ち足りた気持ちになるよ
こんな惨めな気持ちでそんなことありえないと思うかもしれない
でも絶対自分らしい大輪の花が咲くよ
だから自分を卑下するのだけは絶対やめて

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一日一善

2018-01-25 15:14:35 | 日記
毎日毎日が落ち葉が風で吹き飛ばされるように恐ろしく早く過ぎていく。
今日一日自分はどのように生きたか?
成熟の時を迎えるにあたっての心構えはできているか。
昨日は母に会いに行った。
おとといは病気の義兄の見舞いにイチゴを持って行った。
今日は娘に頼まれたCDを焼いた。
昔「一日一善」と言うコマーシャルがあったのを覚えている。
ささやかだけど一日に一回は誰かのために何かをしよう。
小さな自己犠牲である。
自分の言動で誰かがホッと暖かい気持ちになってくれるのならこれは私にとって大きな喜びである。
病気で寝たきりの人だって人を喜ばせることは出来る。
介護してくれる人に心をこめて「ありがとう」と言えばその人はどんなにうれしい気持ちになるだろう。
また何もできなくても人は誰かのために祈ることは出来る。
成熟に向けて私の小さな一歩だ。



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見えないものへの感謝に至るまで

2018-01-19 12:03:44 | 日記
養父が亡くなって満中陰を終えた時、私は子どもを出産した直後の満ち足りた喜びに似て興奮して眠れなかった。
最後まで養父を放り出さなかったと言う事実が私に大きな自信をもたらせてくれた。
確かに介護や日常生活はきれいごとばかりではなかった。
介護の終末時期は特に、闘いのようにさえ感じた。
これは最後までおじいちゃんと私の闘いなのだと。
絶対私が負けておじいちゃんを放り出してはいけない。
養父は最後まで私を試しているのだと思った。運命と言うよりこれは私の使命なのだ。
そのためにこの家へ養女へ来たのだから。
告別式の当日直前に斎場の司会進行役の女の人が「どんなお父さんでしたか」と取材に来た。
「厳しくて頑固な人でした」と私は正直に話した。
そして「でもそのおかげで今の私がある」と言うようなことを私は話したと思う。
するとそのコーディネーターさんは私の気持ちをよく汲んで下さり
本番で「娘さんにお父さんはどんな方でしたかとお聞きしましたら、厳しくて頑固な人でしたとおっしゃっていました。色んな事があったけれどもしかしそれが今日の私をつくっている礎となっている…」と言われた時はさすがに私は感情の頂点を越えて式場を走って出て行きたいような気持になった。
慌てて隣にいる娘にハンカチを借りようと小突いたが娘も泣きたい気持ちを必死にこらえて前を向いたままだった。
後で娘が「あの式場はあのコーディネーターさんでもってるな」と言って私も笑いながらうなずいた。
話しは脱線したが、この頃の私はこんな風に思い始めている。
自信が私に少しのやさしさと余裕をもたらせ、今度は私が誰かの話を聞いてあげようと思う。
私にできることは小さいけれど、人の話は聞いてあげられる。
それもただ黙って聞いてあげよう、かつて私はただ聞いてほしかっただけなのになおさら傷ついた事を教訓にして。
そして今おじいちゃんを放り出さずに最後まで面倒を見れたこと、それは家族はもちろん、支えてくれた人、そして目には見えないその力を与え続けてくれた何かに感謝である。やっと「感謝」の言葉が自然と頭に浮かんだ。
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寛容性の欠如

2018-01-17 11:55:25 | 日記
夫婦で意見が対立する
絶対自分の考えが正しいはずだと
こうなりゃ白黒をはっきりさせねば気が済まない
しかし所詮自分がかわいいのだ
例えそれが結果オーライであっても
ほどほどに口を慎め
想像力をたくましくして相手の立場を考えよ
心に余裕と少しのやさしさを持て
いい加減それがわかる年齢にならなきゃ
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風呂焚き

2018-01-11 18:31:38 | 日記
おじいちゃんが死んだら一切薪で風呂焚きなんかするもんか
ずっとそう思ってた
絶対楽するんだって、すべてに
おじいちゃんが言っていた事はことごとく覆してやるんだって
しかし養父が亡くなった今も相変わらず薪で風呂焚きしてる
ゴーと勢いよく炎が音を立てていく
どんな日もある、なかなか燃えなくてイラつく日も
たかが風呂焚きされど風呂焚き
無事に風呂が焚けた時私の心は喜びに満たされる
今日もまた風呂焚きが成功したって
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