ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

犬も歩けば足跡残す。シュレディンガーの猫を否定する犬!

2006-09-26 | 映画
イルマーレ」(THE LAKE HOUSE)

韓国映画「イルマーレ」のハリウッド・リメイク版である。

主演のふたりがイ・ジョンジェとチョン・ジヒョンからキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックに置き換わっただけで、かなりおとなのにおいのファンタジーに成り代わったような気がする。

そもそも“Il Mare”(イル・マーレ)とはイタリア語で海を意味するそうで、オリジナル版では件(くだん)の家をイルマーレと愛称で呼んでいたわけであるが、英題“THE LAKE HOUSE”でお分かりのとおり、こちらでは湖畔の家には特段愛称がないのだ。(その代わり、ふたりが時を越えて何とか会おうとするレストランの名前を「イルマーレ」としていて、オリジナル版に敬意を払っている)。


さて。ネタバレの皮切りに宣言しておく。少々の紆余曲折はあるが、この物語はハッピーエンドだから、安心して見てよろしい。


しかし、それにしても広く知られるあらすじ(こちらははっきりと細かい部分は覚えていないとはいえ、オリジナル版を見ているしね。)を知ってさえいれば、バレンタインの日の事故、あれがキアヌの死であること、そして、まあ、少なくともいったんはそのためにふたりが会えないだろうということはすぐにわかってしまう。

ところが、これが実にうまい。(オリジナルにそんな感じのところはあったかしら?)中盤、「湖畔の家から見える木立が懐かしい」というサンドラのため、キアヌは彼女の将来住む集合住宅の建築予定地に苗木を植えに来る。それがサンドラ側では、今までなかったところに突如枝振りのよい木が生えているという風に描かれるのである。

つまり、未来からの示唆に従い、過去を変えることで、現在がすっと修正されるということを、ここで、描いておいたのである。

これあってこそ、キアヌの交通事故死が修正されるところの意味が安っぽくならないわけである。

因果の確定性を巧みに否定して見せた、心地よい場面である。

肩肘張らず、ちょっと薄っすら泣きたいという気分にはぴったりの映画だろう。

*オリジナル「イルマーレ」よりも、平山秀幸監督の「ターン」を思い出すシーンが多かったな。時を隔てて同じ店に座っている、なんていうところは。もちろん、それは北村薫の原作に描写されているのだが。*

*「シュレディンガーの猫」。量子論でお馴染み。その死を観測されるまでは生死が不確定であるために、生と死のいずれにもある(あるいはいずれにもない)という「猫」のこと。それ以上の説明は、きちんとした量子論の説明になるから……簡単じゃないよ~。*


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