真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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松代大本営 巨大地下壕 複合移転 なぜ松代

2008年08月22日 | 国際・政治
 「大本営」は、戦争や事変の時に設置される軍の最高統帥機関で、大元帥である天皇が統帥した。すなわち大日本帝国陸軍と海軍を配下に置く天皇直属の最高統帥機関なのである。日本の敗色が濃厚となり、「絶対国防圏」が風前の灯となりつつあった太平洋戦争末期、その大本営の移転が計画され極秘裏に工事が進められた。その地が長野県の松代町を含む地域であったため、「松代大本営」と呼ばれるようになった。「松代大本営」は、長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に善光寺平一帯にそれぞれ独立してつ作られた巨大地下壕などの大軍事施設群のことである。
 「松代大本営」に関わる事実を、いくつかの書物から抜粋する。先ず初めに、従来の説にはいくつかの誤謬が含まれていると指摘している『隠された巨大地下壕「松代大本営」の真実』日垣隆(講談社現代新書)からである。
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複合移転
 では、松代大本営という呼称はどうであろうか。すでに定着したネーミングに、ここでけちをつけようというのではない。それはもっと本質的な問としてある。
 松代の地下壕は、政府諸機関や日本放送協会などの一部移転としての
遷都計画軍の中枢機関移動としての大本営要塞計画これにともなう通信網設置計画宮城の緊急移築としての離宮計画皇位継承者の疎開計画そして三種の神器の防御計画、これらが複合していた点に注目したい。
 したがって「松代大本営」という呼称は、ともすれば一面しか見ない危険性が内在する。大戦末期に陸軍省の主導によって進められた工事ではあったけれども、首相も、運輸通信省、内務省、軍需省、のちには宮中関係者も、大元帥も、通信施設に関しては海軍省も、それぞれの思惑から松代への移転に合流した。あまりに隔たった思惑の中で、しかし一糸乱れず合意していたのはただ一点、明治以来の国体を護持することだった。



信州文化祭(「松代大本営」という名称のはじめ)
 「松代大本営」と最初に明記した新聞は、米国流フォト紙としてGHQの肝煎りで誕生し人気を得ていた日刊サン写真新聞、53年11月7日づけであった。長野県上田支局が発信し、全国に向けてその第一面全部を飾っている。松代大本営が「信州文化祭にちなんではじめて一般公開された」とある。
 信州文化祭は、長野県、県教育委員会、松代町の主催により53年11月3日から8日間の日程で開かれた。当初は単に、「文武学校百年祭」および「佐久間象山90年祭」として企画されたのだが、米軍占領下からの独立一周年であったことから話が大きくなり、総裁に林虎雄長野県知事が就任し、日本電信電話公社などが後援に馳せ参じることになった。こうして11種ものイベントが立案され、その筆頭に「松代大本営予定地の一般公開」が企画されたのである。


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 信州文化祭では、最初は単なる「大本営予定地の公開」とされていたものが、企画の練りあげ段階で、その名に松代を冠したらどうかと若い職員が提案し、そのまま町長の決裁を得る(松代町『当直日誌』)。松代町が「松代大本営」の名をデビューさせたのは、だから53年11月3日、全国に報じられたのは11月7日が最初で、翌日から他紙も追いかけた。
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 なぜ松代が移転先に選ばれたのかということについて、「ガイドブック 松代大本営」松代大本営の保存をすすめる会編(新日本出版社)は下記のようにまとめている。
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なぜ松代を選んだか
 それでは松代はどういう理由で大本営の適地だったのだろうか。発案者はその理由をいくつか挙げている。
1)東京から離れていて本州のもっとも幅広い地帯であり、近くに飛行場がある。
2)地質的に硬い岩盤で抗弾力に富み、10トン爆弾にも耐える。
3)山に囲まれた小盆地で、地下施設建設の面積が確保できる。
4)長野県は比較的労働力が豊富である。
5)長野県は人情が純朴で(防諜上適する)地域は天皇の移動にふさわしい風格
  があり、信州は神州に通ずる。

 これらのうち4)の労働力は必ずしも豊富ではなく、したがって多くの朝鮮人の労働力に頼ることになったし、5)はきわめて精神主義の神頼みの感が強い。
 大本営の建設は絶対秘密で、陸軍省の一部と東部軍の数人が知るだけであった。「松代倉庫」という工事名称で、地元民も、大きな防空壕ぐらいにしか思っていなかった。

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 上記と関連して、「松代大本営歴史の証言」青木孝寿(新日本出版)より、松代を適地とした関係者の証言を一部抜粋する。
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大本営の適地を探す

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 そのとき冨永次官から、八王子案は東京から近いが狭くてだめだから、信州あたりに大本営の適地を探せという極秘の特命が出た。井田少佐は、”5月初旬か中旬か時期は覚えていないが”としているが、信州に直行する。このとき井田少佐は軍事課長・西浦進にも内密で、適当な出張理由を考え、兵務局防衛課の黒崎貞朗少佐、建築課の鎌田隆男建技中佐に同行を求めた。黒崎少佐は、陸士同期生の親友で、1943年ガダルカナルから本省に転じ、ガダルカナルの陥ちたその秋ごろ、作戦上皇居を安全な場所へ移さねばならないという話をしたことがあるように思う、と延べている。(『昭和史の天皇』3)
 このことについて、松代大本営工事の最高責任者だった加藤幸夫建技少佐(建設隊長)は冨永次官が「信州あたり」とした理由のなかに、防諜上の問題があったのではないかと私たちに語った。加藤少佐は、八王子・浅川あたりでは情報が洩れやすく、その例として加藤少佐の動向も市民やマスコミなどに知られていたという。加藤少佐は松代大本営(松代倉庫)と東部軍浅川倉庫の両方の建設隊長を兼ねていたのである。

 黒崎少佐は、井田少佐から信州行きを打ち明けられたときも驚かなかった。彼は国内防衛や戒厳主任参謀などとして、将来大本営移転にかかわることも考えられ、また憲兵隊の人事行政権も持っていた人物なので、井田少佐にとっても好都合と考えられた。もう一人、鎌田隆男建技中佐は建築の専門家であり、やはりどうしても必要であった。
 3人は背広姿で新宿から中央線に乗り、松本で下車し、松本の憲兵隊で代燃車(ガソリンに代わる薪などを燃料とした車)を借り、県内を伊那ー諏訪盆地ー塩尻ー飯田ー松本ー上高地ー小諸ー善光寺と回ったが、地形、地質、広狭などからみて適所がない(林えいだい『松代地下大本営』の井田証言)。一週間の予定がさらに3日を要してしまったとき、気を取りなおして松代(盆地)へ入り、最初に目にしたのが象山だった。井田少佐は言う。
 「松代盆地にはいって、わたしたちの目に最初に飛び込んだのは象山(注・松代町の南西)のガッシリした山容でした。山はだから大きな岩が露出している。いいぞ、と思って鎌田さんをふりかえると、同感だったらしく『これはいい』と声をあげました。それに象山から東へ連なる山々のかっこうもいい。5万分の1(注・参謀本部作製の地図)を取りだして山の名を調べてみたら、それはノロシ山、皆神山とある。変なことをかつぐようだが、皆神山というこの名も気に入ったのです。それに山合いには、建設工事に使うにふさわしいかなりの広さの平地もある。わたしは一目みて、この松代盆地にしよう、と考えましたさっそく、頭の中で配置プランを考えてみた(後略)」(『昭和史の天皇』3)
 これが井田少佐たち3人が求めてい松代に来て、彼らが適地だと快哉をさけんだところの印象であった。

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 松代大本営の下記イ・ロ・ハ各号の総延長は約13キロメートル、面積は後楽園球場のおよそ4倍の巨大地下壕だといわれるが、9ヶ月ほどの期間で、80%近くまで完成させる苛酷な突貫工事であった。「松代大本営歴史の証言」青木孝寿(新日本出版)と「ガイドブック松代大本営」松代大本営の保存をすすめる会編(新日本出版社)より、それぞれの表の一部を取捨し抜粋する。
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松代大本営の倉庫名(工事名)・用途・総延長ほか

倉庫名(工事名) 場所       用途          最初の案  実際の掘削
1 イ号倉庫 松代町象山   政府・N.H.K・中央電話局  7,500m   5,900m  
   (便所の数 4,000名に応ずる数)
2 ロ号倉庫 西条村舞鶴山  大本営            2,600m   2,600m
   (便所の数500名に応ずる数)
3 ハ号倉庫 豊栄村皆神山  食料庫            2,900m  1,900m
   (便所の数 1,000名に応ずる数)
4 ニ号倉庫 須坂町鎌田山  送信施設
5 ホ号倉庫 須坂町鎌田山  送信施設
6 ヘ号倉庫 須坂町臥竜山  送信施設
7 ト号倉庫 清野村妻女山  受信施設
8 チ号倉庫 善白鉄道トンネル 皇太子・皇太后
9 リ号倉庫 雨宮県村薬師山 印刷局
10 仮皇居  西条村筒井   天皇・皇后・宮内省
11 賢所   西条村弘法山  賢所
12 海軍壕  安茂里村小市  海軍省・軍令部


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一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。


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