![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/1f/013c9b0c40a63bf1fea1edbe73b2b01f.jpg)
7:02 日の出前
冷たい朝だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/c9/0d5ea4dff5006efc27ae4854c1b52faf.jpg)
後から見られていたようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/06/b4cae2d8ec6365bb9de8d348e098367b.jpg)
7:11 日の出
写っているのはさっきのカラスか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/4f/bcad449cf905ece0bca1bdacb9b679d3.jpg)
生駒山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/e4/efbdb542a139ee99978b0bccd65f6e3a.jpg)
二上山
ここからは1つ山に見える。
新聞・ネットのニュースは
○ 12月調査日銀短観 7四半期ぶりに悪化
大企業製造業DI 5 (前回 8)
悪化はリーマン・ショック後の金融危機の影響が色濃く表れていた2009年
3月以来、7四半期ぶり。
午前中
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/95/e6f8e4004f2dd592a64c62615c787c17.jpg)
100ポイントを貰いに
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/79/7cb1c4ce76b42ebda84c1c16bc8de93e.jpg)
「Jシン」へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/fd/87d7cfe3a7d12db7402977f3556f8633.jpg)
出かける。
ここからの二上山は雄岳、雌岳が見える。
ついでに
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/c6/08532ff5ec8a164480f4f8a824f91ddd.jpg)
「Kメリ」に寄り、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/f3/f7af5d0fbaf42219508d0f051790989f.jpg)
モールを買った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/d6/18c1f0fd35cd8213a3d76c441a5f98b4.jpg)
モール3号 茶 @¥218.×3本。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b5/53d7dabbc37bc10d0ee8c41c9060ba51.jpg)
帰り道、高架は「いまのとこ無料の高速道路」。
昼食後、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/8f/2296b2ddaf0cb30b426e8716cc6d4c65.jpg)
先日電源線の配線工事を行ったが不細工な仕上がりだ。
買ってきたモールをここに取り付ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/a2/29f4c3c40500eb66f8c363c5ce7653a6.jpg)
モールは両面テープで止め、さらに木ネジ2本で止めた。
作業はすぐに終り、細かい写真を取らなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ad/0b9d45fa42712f37207679274822a749.jpg)
完成。
こんなに簡単に仕上がると思わなかった。こんなのだったらもっと早くやっ
ておくべきだった。また、電源線は天井を通すべきだった。
坂の上の雲
昨夜、正岡子規が亡くなった。これはNHK「坂の上の雲」のドラマのこと
で、録画していたのを見た。
へちま たん
《糸瓜咲て痰のつまりし仏かな》 (正岡子規 ⑥-113)
大岡信氏の解説・・・
これは死の前日、仰向けに筆を走らせた絶筆三句の最初の一句。子規は
すでに死んだ人、つまり「仏」として自分を描いている。この自己客観の余
裕と胆力に、たぶん子規の生涯が要約されていた。明治35年9月19日未
明没。
夏目漱石はこのとき、文部省の命を受けてロンドンに留学中だった。子規
が亡くなって約2ヶ月後、高浜清(虚子)から親友の訃報を受ける。
高浜清への返信で
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漱石全集第二十七巻 書簡集一 p.176 岩波書店
啓。子規病状は毎度御恵送のほとゝぎすにて承知致候処、終焉の模様
逐一御報破下奉謝候。小生出発の当時より生きて面会致す事は到底叶
い申間敷と存候。是は双方とも同じ様な心持にて別れ候事故今更驚きは
不致、只々気の毒と申より外なく候。 ・・・ (漱石全集27巻p.176)
と、すでに英国への出発の際、生きては再会できないだろうと互いに覚悟
して別れた友であった。
そして追悼句5句を書き送った。
倫敦にて子規の訃を聞きて
《筒袖や秋の柩にしたがはず》 (夏目漱石 9-109、全集23巻p.166、27巻p.177)
《手向くべき線香もなく暮れの秋》 (夏目漱石 3-121、全集23巻p.166、27巻p.177)
《霧黄なる市に動くや影法師》 (夏目漱石 ⑧-113、全集23巻p.166、27巻p.177)
《きりぎりすの昔を忍び帰るべし》 (夏目漱石 全集23巻p.166、27巻p.177)
《招かざる薄に帰り来る人ぞ》 (夏目漱石 全集23巻p.166、27巻p.177)
皆蕪雑句をなさず。叱正。(十二月一日、倫敦、漱石拝)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
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