日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
島袋文子さん(86)第四回・死体の血が混じった水を飲ませて
島袋文子さん(86)
第四回
死体の血が混じった水を飲ませて
与那城の艦砲射撃も激しくなったため、文子さんは母親と弟の三人で糸満に引き返すことにする。
「目の不自由な母親と弟の手を引いて暗闇の中を歩くのは本当に大変でした。母は少しの食料を頭の上に載せていました。平坦な道路だけじゃなく、畑の中も通りましたが、住民や日本兵の死体が沢山転がっていました。艦砲や機銃掃射でやられた死体です。
目の見えない母に『お母さんここは人が死んでいるからまたいでください』と教えながら、死体をまたいで歩かせるんです。
腐敗して体内にガスが溜まってパンパンに膨れた死体を踏まないように進むことは大変でした。
艦砲に当たる怖さより、死体を踏むことが怖かった。間違えて踏んでしまうと猛烈な悪臭がするんです。
ある晩、弟が『水が欲しい、水を飲みたい』と言うので、真っ暗な中を探しまわり、砲弾跡にできた水たまりを見つけてその水を弟にも母親にも飲ませました。私も飲みました。
翌朝明るくなると水たまりには住民や日本兵の死体が浮いていました。水は死んだ人の血で真っ赤に染まっていました。
前夜、暗闇の中で汲んだ水は死人の血が混ざった水だったのです。そのことは弟にも母にも言いませんでした。
糸満に帰る途中、5歳くらいの子供の手を引いて、小さな子をおんぶして逃げている女性が居ました。手には荷物を持っていました。
そこへ艦砲弾の破片が飛んできて背中の赤ちゃんの首をサッと切り、その首が飛んでいきました。
頭が失くなっていました。その切断面から真っ赤な血が噴き出しました。あの光景は今でも忘れられません」
そうして糸満に着くまでにどのくらいの時間を歩いていたのか文子さんは記憶がないという。
「糸満では3畳ほどの広さの小さな壕に4家族が一緒に隠れることになりました。
壕の外から米兵が『出てこい』と叫びました。
あたしたちは『天皇陛下のために命を捨てなさい』
『捕虜になったら、男は戦車でひき殺され、女は裸にされて辱(はずかし)めを受ける』と教わっていましたから、捕虜になるより死んだ方がましだ、と出て行きませんでした。
そうしたら
壕の中に手榴弾を投げ込まれました」 続く
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