顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

馬頭町は、光圀が名付けた…

2016年10月14日 | 歴史散歩
馬頭町(小川町と合併して現在は那珂川町)にある真言宗の「武茂(むも)山 十輪寺 馬頭院」は、寺伝では建保5年(1217年)醍醐寺座主の光宝和尚により開創、当時の本尊は地蔵菩薩で寺名は「勝軍山 地蔵院 十輪寺」でした。

後にこの地方は水戸藩の領地となり、元禄5年(1692年)2代藩主徳川光圀が訪れて、当山の本尊を馬頭観世音菩薩に、そして寺名も馬頭院と改めました。
その際、この地方の郷の名・武茂を馬頭に改め寺に十万石の格式を与え朱印寺にし、記念樹に常陸の国多賀から持ってきた珍しい枝垂栗(三度栗-県天然記念物-)を移植したとされています。
写真は観音堂と本堂です。

光圀が植えたとされる樹齢300年以上の珍しい枝垂れの栗、年に3回開花するので、「三度栗」と言われています。境内には、この他にも2,3本の枝垂れ栗が植えられています。

観音堂の奥に地蔵堂があります。前の本尊地蔵菩薩に因み、お地蔵さんが境内に見られます。

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