おはようございます。
名古屋の空は一面雲が覆っていますが、ところどころに青空が見ることができます。
京都市電では他私鉄との平面交差点がたくさんありました。
まず京阪電車とは伏見稲荷・七条・四条・東山三条と京福電鉄嵐山線三条口・京福電鉄叡山線(現叡山電鉄)元田中
の6箇所がありました。
歴史的には京福北野線白梅町にも平面交差点があったようです。昭和11年7月に京福北野線の白梅町ー北野間を
京都市が買収したためになくなりました。
今日は乗車券を10時ころには出せると思います。 見てください。
(1) 1811 6系統 元田中付近 S53.9.18.
(2) 京福デオ300形 元田中交差点 S53.9.18.
(3) 1832 22系統九条車庫行 元田中交差点 S53.9.18.
(4) 京福デオ200形 出町柳行 元田中交差点 S53.9.18.
(5) 1938 6系統京都駅行 元田中交差点 S53.9.18.
本日の写真は、平面交差が最後まで残っていた叡電前(元田中)停留所での物ですね。
当時は、現在と違い叡電(京福電鉄)に乗車するには相当大回りしなければならず、京阪が出町柳まで開通する以前は、孤立した路線?でもありましたねぇ。また、京都市電の写真集を見て驚いたのですが、ここ叡電前(元田中)停留所から市電が乗り入れていたのですね。また、叡電もポール時代でのどかでノンビリとした時代で踏切番もいた時ですね。
私が平面交差で知っているのは、本日、写真出ている叡電前(元田中)と、七条(か四条かどちらかは忘れました。)それと東山三条の3ヵ所しか知りません。また、七条、四条では、係員が通せんぼをして人間踏切?的なこともやっていましたね。京福電鉄嵐山本線(現、嵐電)の三条口でも平面交差があったとは知りませんでした。
本日の写真は廃止になる2週間前の物ですね。
コメントありがとうございます。
交差点でのあの音「ゴトゴト」という音が今でも忘れられません。
市電が廃止になったあとは、踏切となりました。
廃止になる前はよく撮影に行ったものです。
またコメントお願いします。