おはようございます。
今朝の名古屋は青空が広がっています。
朝は気温が18度くらいで寒いくらいですが、昼間は30度になり寒暖の差が広いので
年寄りにはつらいです。
体調には気をつけて頑張っています。
昨日は息子の家が、完成して引き渡しを受けました。
早速電化製品の運び入れがありましたが、冷蔵庫が大きすぎて運び入れが大変でした。
いよいよまた家内と二人暮らしに逆戻りどうなるでしょうか?
(1) オハフ61 1522 鳥羽駅留置 S55.4.5.
(2)オハフ61 1523 鳥羽駅留置 S55.4.5.
(3) スハフ33 4 鳥羽駅留置 S55.4.5.
(4) スロフ81 2107 京都駅 S55.5.8.
(5) スユニ60 30 王寺駅 S55.5.8.
さて旧型客車の写真を拝見していますが、S55年当時は、鳥羽駅にも客車がたくさん留置されていたのには驚きました。また、当時は天王寺鉄道管理局のため客車の所属を表す天カメ、天イセ、天ワカなどの標記が懐かしく思い、当時の天王寺鉄道管理局は、紀勢本線全線をカバーしさすがに天鉄局の範囲はすごかったな~と思いました。当時は、伊勢市駅にもたくさんの旧客が留置されていたと思います。昔は良かったな~と思いました。
ご無沙汰いたしております。
私あまり客車のことは解りませんので写真のまんまで置いていました。
少しずつ出していきたいと思います。
何年ぐらいだったか、忘れましたが、南海難波から客車を電車に引かれて和歌山市まで行き東和歌山ー白浜へ行く確か急行だったと思いますが、グループで乗車したことを覚えています。
その後はキハ5501~5504とキハ5551~5554の8両が在籍していました。
またコメントお願いします。
昨日コメントを頂ました南海の客車について、少しお答えいtします。客車というよりは電車付随車と言った方が良いかも知れません。形式はサハ4801系で所属も国鉄と同じように、南海車だとわかるように形式の上に「南海スミノエ」と書かれて、その下にサハ4801の形式が書かれておりました。当時の客車としては、座席に白いカバーが掛けられまた室内には蛍光灯が採用されるなど当時の国鉄客車には負けない?設備を持っておりました。また、この客車は南海線内は特急として運転され、紀勢本線和歌山市~白浜・新宮間は普通列車として運転され、茶色や青色に混じった客車に緑色の客車が一層目立っておりました。サハ4801系も私が小学校に入る約1年前のS44年に廃車となりました。私は1度だけ当時あった郵便電車がこの客車を
難波に向けて回送されるところを天下茶屋駅で見たことがあります。この客車の特長は入り口上部に行燈(あんどん)型の標記があり帰りの列車の誤乗防止の為に赤で「南海」と表示していました。お解りいただけましたでしょうか?長々とすみませんでした。
PS:このサハ4801系が工場に全検入場すると国鉄の客車(形式は不明)が入線しておりました。
ありがとうございます。
思い出しました。
入口の上に「南海」と表示ありました。
シートには枕カバーがついていました。
懐かしいですねぇ
1963-12 時刻表では難波発 7:45 南紀1号 12:43 第2きのくに 13:10 くろしお 16:40 南紀2号
22:07 普通 新宮 5:04着
南紀は新宮行 くろしお・きのくには白浜行きでした。
ありがとうございました。