わたしは20歳まで大阪府浪速区という所で育ちました。
住まいの長屋からほど遠からぬ所には、今でいう地区もありました。
本来なら浪速区の小中学校に通うべき地域だったのですが、
隣の西区に非常に近かったことと浪速区に編入される前に西区であったこともあり、
特例で小中学校は西区の学校に通うことが許されていたのでした。
通っていた小中学校の傍には、昔の花街の「堀江」という場所がありました。
そんな関係で大西順教尼が巻き込まれた事件のことを知ったのは随分昔のことでした。
多分小学生の頃だと思います。おぼろげに父親から彼女の悲劇を聞いた記憶があります。
その悲劇とは、彼女がまだ14歳?の見習い芸者の頃、
彼女が習い事のため訪れた楼内で刀を振るう狂人の巻き添えを食らって、
両方の腕を付け根付近から切断されるという災難に遭遇するのです。
興味のある方は「堀江六人斬り事件」で検索いただければ詳細がわかると思います。
被害者6人の内、瀕死の重傷の彼女だけ何とか命を取り留めたということでした。
中学生の頃でしょうか、わたしはテレビで何度か大西順教尼を観た記憶がありました。
口に咥えた筆で書画を書いておられた姿を今も鮮明に記憶しております。
幼い頃、その悲劇を父親から聞いていたこともあり胸が締め付けられたものです。
不自由な身体で結婚もし(後に離婚されたようです)、2人の子供も設けられた由です。
その後得度されて大西順教尼となられたというのが概略です。
大概の人間は五体満足であることを当たり前の如くに思っています。
そして愚痴や不平を言うことに慣れて、自ら努力することを怠りがちです。
わたしも弱い自分に負けそうになることばかりの情けなさですが、
そんな折、大西順教尼の歌に触れて自らを鼓舞しています。
何事もなせばなるてふ言の葉を胸にきざみて生きて来しわれ 大石 順教尼
住まいの長屋からほど遠からぬ所には、今でいう地区もありました。
本来なら浪速区の小中学校に通うべき地域だったのですが、
隣の西区に非常に近かったことと浪速区に編入される前に西区であったこともあり、
特例で小中学校は西区の学校に通うことが許されていたのでした。
通っていた小中学校の傍には、昔の花街の「堀江」という場所がありました。
そんな関係で大西順教尼が巻き込まれた事件のことを知ったのは随分昔のことでした。
多分小学生の頃だと思います。おぼろげに父親から彼女の悲劇を聞いた記憶があります。
その悲劇とは、彼女がまだ14歳?の見習い芸者の頃、
彼女が習い事のため訪れた楼内で刀を振るう狂人の巻き添えを食らって、
両方の腕を付け根付近から切断されるという災難に遭遇するのです。
興味のある方は「堀江六人斬り事件」で検索いただければ詳細がわかると思います。
被害者6人の内、瀕死の重傷の彼女だけ何とか命を取り留めたということでした。
中学生の頃でしょうか、わたしはテレビで何度か大西順教尼を観た記憶がありました。
口に咥えた筆で書画を書いておられた姿を今も鮮明に記憶しております。
幼い頃、その悲劇を父親から聞いていたこともあり胸が締め付けられたものです。
不自由な身体で結婚もし(後に離婚されたようです)、2人の子供も設けられた由です。
その後得度されて大西順教尼となられたというのが概略です。
大概の人間は五体満足であることを当たり前の如くに思っています。
そして愚痴や不平を言うことに慣れて、自ら努力することを怠りがちです。
わたしも弱い自分に負けそうになることばかりの情けなさですが、
そんな折、大西順教尼の歌に触れて自らを鼓舞しています。
何事もなせばなるてふ言の葉を胸にきざみて生きて来しわれ 大石 順教尼