木竹記

カトリック司祭職から還俗し、広告代理店代表取締役としてそ10年になります。「木に竹」を継いだ状況にならないようにしたい。

灰の水曜日

2009年02月25日 | Weblog
先週、久しぶりに司祭である友人と電話で話をした折、今年は2月25日、つまり今日が灰の水曜日だと教えてもらいました。灰の水曜日というのは、キリスト教最大の祭日=復活祭(イースター)の46日前に置かれる、回心(自らの罪を見つめて信仰に立ち返る)の時期の開始日です。カトリックの文化圏ではこれから復活祭までの期間を四旬節と呼び、節制に勤めます。ちなみにこの改悛の季節の前に、区切りの派手なお祭りとして行われるのがカーニバルです。しばらくは地味ーに、真面目に暮らすので、その前にパットやろうというのでしょうか?先週ジロラモ君は仕事でブラジルに行くといっていたので、カーニバルの取材にでもいったのかも知れませんね。ところで、私は修道会を去って4年半ほどになりますので、カトリックの年間儀礼ともすっかり離れてしまって、そろそろ回心の季節だなぁと思っていても、この日が年によって移動することもあって、はっきりとは意識しなくなっていました。友人から聞いて「ああそうか」と懐かしく思った次第です。灰の水曜日の式では、前の年から飾ってあった常緑樹(たいていシュロ=花屋さんにあるソテツ)の枝を燃やして灰を作り、それを司祭は信者の額につけて「あなたはちりであり、ちりに帰って行くのですgen3.19」または「回心して福音を信じなさいmk3.19」ととなえます。ついつい虚しい生き方になり人としての本分を忘れがちな人間存在に、命の源へ心を向けるように促す式ですね。司祭として暮らしていた頃は、式をちゃんと執り行うとか、会衆の皆さんに「少しでも良い説教をしなくちゃ」とかのほうに注意が行っていて、自分自身の回心の実感は薄かったかもしれません(苦笑)。なんだか「節分の豆まき」ばりの年中行事になってました。それはそれでよかったとも思いますが・・・。皮肉な事に、最近の厳しい景況の中、悩みぬいている今のほうが、確かに「風を追うような」存在から「命の源へ」の転換の必要性がより実感を持って感じられる気がします。