高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

飯田線伊那松島機関区EL運用(1975年)とED 19 1 (蔵出し画像)

2016-04-16 22:28:21 | 国鉄
 今まで飯田線の電車ばかり紹介してきましたが、本日は電気機関車で行きたいと思います。こちらは輸入電機であった伊那松島機関区ED19 1です。アメリカのウェスチングハウス/ボールドウィンで6輌製造され、1926年に輸入。Wikipediaの記述によりますと、当初は6010型と称していたのが、1928年の形式称号改正でED53型となり、当初国府津機関庫に、のち東京機関庫(のち東京機関区)に転属し、東海道本線の東京口客車列車牽引に活躍したようです。またED53 1-2号機はお召し列車牽引機にも指定されていたようです。
 やがて3-6号機は1937年に仙山線・勾配区間で使うために歯数比を落とす改造が行われED19 (1-4)と改称。1-2号機も1938年にはお召し指定を解除され、1940年には甲府に移りそこでやはりED19に改造されたようです。
 やがて一部が南武線に使われたりしましたが1948年には豊橋機関区に全機集結し飯田線貨物を担当します。飯田線北部昇圧後は伊那松島機関区に移り、飯田線北部貨物を担当しましたが、1976年にED62の入線で全機引退しました。



 写真はトップナンバーのED19 1で元ED53 3です(1975.5飯田駅)。本機は唯一保存機となり、箕輪町の郷土博物館前に展示されているようです。とにかく輸入電機がまだ現役で使われていたなんて、写真を撮ったときは非常に驚きでした。当時車令は49年だったことになります。

 でこの当時の飯田線北部・伊那松島機関区の電機の運用表はこちらです。

1975.3改正 EL運用表

 交換設備の関係で長い編成が組めないせいか、かなり頻繁な運用があったことが分かります。とはいえ後には貨物列車の運用自体飯田線からなくなってしまうのですが...



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