高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

京王バス南 温泉マーク付バス (第2報)

2015-12-31 23:16:43 | 日記
 今年も僅かとなりました。皆様良いお年をお迎え下さい。

 ところで、京王高尾山温泉開業と共に、京王バス南寺田支所に投入された、特別仕様のバスですが、現在2台あります。

 T30808とT30809です。

 このうち、T30809は前回取材後、投入後1ヶ月ほどして温泉マークが天狗マークに変わりました。



 T80808の方は、原型のまま活躍しています。






 山01-03系統に優先的に充当されるようですが、そのほか高01(高尾駅北口-小仏)にも入っていますし、夜は八81系統 (めじろ台駅-八王子駅南口) に入っていることが多く、たまにゆりのき台線(め82)に入っているのも見ます。

 なお12/29に片倉に竜泉寺の湯という入浴施設が開業したようです。車で来られる方は駐車場が広いこちらの方が良いでしょう。値段もリーズナブルです。但し天然温泉ではありません。無料送迎バスもありますが高尾山口駅からはないのは、高尾山温泉に遠慮したせいでしょうか?
http://ryusenjinoyu.com/hachioji/

1977年の飯田線車両配置表

2015-12-28 22:35:44 | 旧型国電

1977年3月現在の飯田線車両配置表です。ほぼ自分のための備忘録です。○は'78年の80系投入以降も83年まで生き残った車輌たちです。なお、少なくとも75年3月から配置車輌に変化はありません。

豊橋(静トヨ) クモハ54 ○2, ○6, 7, 8, ○112, 119, 121, 123, ○125, 127, ○129, ○131 12 57
クモハ52 1, 2, 3, 4, 5 5
クモハ50 0, 2, 4, ○8 4
クモハ42 8, 9, 11, 13 4
クハ68 38, ○42, 68, 98, ○416, ○418, ○420 7
クハ47 114 1
サハ87 1 1
サハ75 101, 102, 103, 106 4
サハ48 21, 24, 34 3
○クハユニ56 1, 2, 3, 4, 11, 12 6
○クモニ83 101, 102, 103 3
○クモニ13 25, 26 2
○クモル23 50 1
○クモヤ22 112, 113, 201 3
○クエ28 100 1
中部天竜
(静チウ)
クモハ51 15, 19, 21, 44, 46 5 11
クハ68 401, ○403, ○405, 407 4
クハ47 151 1
サエ9320 9320 1
伊那松島(静ママ) ○クモハ61 3, 4, 5 3 51
クモハ54 ○1, 9,104, ○106, ○108, ○110, ○111, ○117, ○133 9
○クモハ53 0, 1, 7, 8 4
クモハ51 23, 27, ○29, 69, ○200 5
クモハ43 7, 9, 13, ○15 4
クハ68 13, ○400, 402, ○404, ○406, ○408, ○409, ○410, ○412, ○414 10
クハ47 ○9, 11, ○69, 70, 74, 76, 102, ○104, 108, 116, 153, 155 12
クハニ67 901, 903, 905 3
○クモエ21 9 1

 


(静ママ クモハ43009 [再掲写真])


仙石線から流れてきた飯田線クモハ54007 (蔵出し画像)

2015-12-25 00:26:46 | 旧型国電
 こちらはクモハ54007 (静トヨ) です。仙石線から流れて来た車輌で、仙石線特有の押し込み式ベンチレーターを装備した車輌でした。撮影時(1978)は全検を受けた直後だったらしく、塗装もぴかぴかでしたが、秋の80系投入であっさり廃車になってしまいました。


(1978.1)

 そして反対サイド。こちらの写真は上の写真の1-2日前ですが、おそらく浜松工場の全検から戻った直後の写真ではないかと思われます。上の写真はその後編成に組み込んだ姿であったかと。なおパンタグラフが上がっておらず、写真では分かりませんが、東日本に転じた旧国の例に漏れずPS-13化されていました。

(1977.12)

 因みに『関西国電50年』等より本車の車歴を見ますと、以下の通りです。

 1941.12.20汽車会社東京支店製造、同日使用開始(大ヨト)→1948.9.11大オト→1950.9.28大ミハ→1955.7.15更新修繕I(吹田)→1956.3.1大タツ→1961.10.1大アカ→1969.8.30仙セキ→1971.12.17静トヨ→[77-12全検浜松工]→1978.12.20廃車 (静トヨ)

 最初の配置が淀川電車区 (城東・片町線担当) というのがちょっと意外です。ですが、1950年以降は順当な経歴を歩んだと言えるでしょう。また仙石線での活躍も1年半足らずと短かったようです。



クハ79055車歴データ

2015-12-23 00:08:54 | 旧型国電
 以前アップしたクハ79055の車歴データを掲載しておりませんでしたので、掲載します。
 (写真は再掲です)





製造1936.3.31日本車輌 (クハ58025 大ミハ)→1937.11.6 大アカ→ 1945.11.1改造 (吹田工) 改番クハ85025→1948.8.6 大ミハ→ 1948.12.2 座席整備→ 1950.11.14 大ヨト→1954.7.8 改番 (クハ79055)→1954.10.6 更新修繕I (吹田工)→1961.4.1 大モリ→1961.11.29 大ヨト→1976.10.6廃車 (大ヨト)

製造後は、京阪神急行・緩行線で使われ、戦中・戦後の混乱の収束と共に城東線へ転じ、そのまま城東線の大阪環状線化・森ノ宮電車区開設で森ノ宮区へ移るものの、61年秋からの101系環状線投入で片町線に移り、その後15年間を片町線で過ごして廃車という経過を辿ったもののようです。

出典は例によって『関西国電50年』です。