原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

ホテルライフにスポット

2012年03月06日 08時46分12秒 | 社会・文化

 旅を楽しむ上でホテル選びは重要なポイントとなる。旅の善し悪しを決めることもある。ホテルフリークと呼ばれる人たちには、どこに行くかより、どんなホテルに泊まるかが旅の基準となる。こうした人たちの動向が注目され、ホテルライフだけを楽しむ旅が少しずつ広がり始めた。ホテル側も新しいニーズとして、それにこたえる工夫を始める。ホテルが魅力的になれば、旅も一層面白くなる。その相乗効果は高い。かつて日本人は、遊び方が下手だとか、レジャーが画一的だと酷評された時代があった。日本人の意識も随分変わった。少し言い過ぎのきらいはあるが、欧米の真似から始まったレジャーも、日本人に少しずつ定着しつつあるのでは、と思う。

 ホテルライフを楽しむというのは、基本的には欧米にあったもの。英国で人気のマナーハウスなどはその出発点と言っていいだろう。そのせいか、日本人が当初めざした「ホテルライフを楽しむ旅」は欧米のクラシックホテルが中心であった。例をあげれば、ロンドンのサボイやリッツなどである。歴史があり、数多くの著名人の物語があるホテル。そこに宿泊するだけで、その時と同じ空気を感じる。歴史物語とともにくつろぐ時間がある。

ホテルもこうした期待にこたえるために、昔と変わらぬことを強調する。小さなシミまで再現してみせる。この細かな演出に客は酔うのだ。

徹底したホテルフリークは宿泊中一歩も外に出ない。すべてホテル内で過ごす。なかなかに贅沢な旅となる。実はこうしたマニア好みのホテルは世にはたくさんあって、それだけを探すといくらでも見つけることができる。こうしたホテルを紹介する本も目白押し。けっこう注目されているのだ。

 そんなホテルに憧れ、ホテルフリークもどきの体験をしたことが少しある。仕事にかこつけての宿泊なので完全とは言い難く、あまり数多くはないので偉そうなことは言えないのだが、それなりに良かった。

サイゴン(現ホーチミン・シティ)のマジョスティックホテルではヴェトナム戦争時代のジャーナリスト気分に浸り、シンガポールのラッフルズホテルではモームの部屋をのぞき見して、シンガポールスリング(発祥のホテル)を飲みながらバーで過ごした。ダラットホテル(ベトナム)では最後の皇帝パオ・ダイの恋物語と世界大戦の終戦前夜にこのホテルで起きた歴史を振り返りながら、日本とインドネシアのことを考えながら三日間過ごした。

印象的だったのはやはりロンドンのサヴォイ。チャーチルが愛用したレストランはそのまま残り、チャーチルが銜えた葉巻の煙が今も漂っていた。ここのバトラー(執事)が凄い。部屋を十分間開けただけで、その間に素早くクリーンナップする。不在をどこで察知するのか全く気づかせない。自然にしかも素早くやってのける。アメリカのホテルはそんなヨーロッパの雰囲気を持ち込もうと懸命な努力をしているが、ちょっとあか抜けない。マイアミにある有名ホテルを予約した時、予約確認と同時に注意書きが添えられて返信が来た。ドレスコードの注意書きである。そもそも、こんなことを言うこと自体すでに田舎なのである。

シティホテルだけかと思っていたら、リゾート地でもこうした考えのホテルが増えてきた。リゾートと言ってもちょっと離れた位置に作られたホテルで、その場所だけですべての用が完遂する。食事からレジャーすべて。あちらこちらを歩き回る必要がなくなる。プーケット(タイ)のアマンリゾートがそうであった。南アフリカや南米にもこうしたホテルが増えている。旅好きには嬉しい限りである。

こうしたホテルにはそれなりにルールがある。ドレスコードは当たり前で、基本は一人か二人旅。グループ旅行や子連れの家族単位は絶対だめ。当然コストも高くなる。コストの割にホテルにとってはあまり儲からない。イメージ作りには最適なのだが、経営を考えると?がつく。ここに問題がある。

今やホテルの経営者がどんどん変わる時代となった。健全な経営のためにクラシックホテルもまた変わりつつある。歴史だけでは食べていけない。かつてサヴォイの象徴だったチャーチル像がある日消えていた。これも時代の流れなのだ。残念だけど。うまくバランスをとって、経営との両立ができることを強く望みたい。

 日本でもホテルライフを満足させるホテル(旅館)がある。箱根の富士屋ホテル、日光の金谷ホテル、軽井沢の万平ホテルは日本の三大クラシックホテルとして有名。ただ、富士屋ホテルに関して言えば、経営者が変わり相当に様変わりした。クラシックな佇まいは昔のままなのだが、かなり軽くなった。庶民的な宿泊価格もそうだが(昔はサラリーマンの月給分が一泊の宿泊代だった)、時代が変化を余儀なくしていた。赤字続きでは存続も無理なのだ。金谷ホテルや万平ホテルの現在はどうなのだろうか?

まだ宿泊したことはないのだが、石川県の加賀屋もホテルライフの魅力を感じさせる。ホテルをテーマパーク化して開発したと聞いた。現在はどうなっているのかは不明なのだが、ホテルフリークには、興味深い。

 転じて北海道をみると、残念ながらこうしたホテルは見つからない。もともと観光地として成立している場所だけに、ホテルの魅力に重点を置く考えは生まれにくいのだろうか。だが、これからのホテルの運営方針としてこうした考えをとりいれてみるのもいいのではと、門外漢ながら望む。

日本旅館の良さを生かした日本らしい宿泊は必ずある。阿寒の鶴雅や養老牛の湯宿だいいちなどは人気はあるのだが、ホテルライフという点ではいまいち。ヨーロッパ並みの品格作りにまだ開発の余地がある。ホテルの魅力だけで集客できる、そんなホテルが北海道にもたくさん生まれてほしい。

ホテルフリークが、春先に見る夢の一つとでも思ってもらえれば、幸いである。

 *ホテルライフとは通常、住まい代わりに使用するとか、ホテルで仕事をするという日常を意味するものだが、ここでは非日常である旅の中のホテルライフという意味で使っている。


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2 コメント

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加賀屋・・・ (numapy)
2012-03-06 10:10:59
23歳~25歳の2年間、従業員として加賀屋にいました。
ここの経営方針は徹底してました。旅館サービスを徹底的に追及していくスゴサがありました。
当時専務だった小田禎彦氏が目標としたのが“宝石のような旅館づくり”。信州山田温泉の「藤井荘」でした。不肖ワタクシの出身地小布施から13kmのところにある旅館です。
ここは当時、後にマーケティングや広告の世界で言われるCIらしきものを導入してました。といっても、デザインマニュアルなどができていたわけじゃない。女将の頭の中の“行動マニュアル”が従業員に定着していた。コピーライターになってから、そのことに気づかされました。
加賀屋には、当時大阪からクルマを飛ばして鱈ちりを食べに来る客や、秋田から来て1日、10万円を落としていく客が結構沢山いました。未だにすごいホテルだと思っています。
かなり昔から評判 (原野人)
2012-03-06 13:12:17
加賀屋は相当昔から人気ナンバー1でしたね。私はついに行く機会が作れませんでしたが、一度は止まってみたいと思ったホテル(旅館)でした。
やはり、経営者やスタッフがただものではなかったようですね。マーケティングとか市場分析などという理論が交錯するずっと前から、考える人は考えていたということですね。先達に学ぶことは多いです。

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