カクレマショウ

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「自動車が起こす革命」か─NHKスペシャル「自動車革命」

2009-10-25 | ■環境/科学
先週の第1回「トヨタ 新時代への苦闘」に続いて、今日は第2回「スモール・ハンドレッド 新たな挑戦者たち」。ここ数年加速する「電気自動車」の開発競争に焦点を当てています。

まず驚かされたのは、中国の農村地帯で電気自動車を製造するメーカーの映像。およそ自動車工場とは思えない倉庫みたいな場所で、小さな電気自動車が1台1台、ほぼ手づくりで生産されている。電気自動車は、複雑な構造を持つガソリンエンジン車に比べると、10分の1ほどの部品でできてしまうとかで、この工場では、車体もプラスチックを加工して作っているという。値段はなんと13万円! 「世界中の貧しい人がターゲット」と言う社長の夢は、でっかく世界進出! 手始めにヨーロッパに試作車を送るのだと言って、その製造に余念がない。

この会社で技術面の指導をしているのが、かつてホンダなどで技術開発に携わってきた日本人。現在70歳の彼が、中国の電気自動車工場で働く若者たちを見て、自分の若い頃と似ていると語っていたのが印象的でした。他のメーカーに先駆けて、少しでも性能のいいクルマを作りたいという情熱が、確かに映像を通して伝わってきました。

ようやくできた試作車をコンテナに積もうとして、何を焦ったか、運転していた若者がいきなりドスンと何かにクルマをぶつけてしまったのにはびっくりしました。悪いけど、笑ってしまいましたが、彼らはそれでも決してメゲずに、また試作品を作り始めるのでした。

日本では、電気自動車は日産が最先端を行っているそうですが、中国のこうしたパワーに押され気味のようです。その背景には、電気自動車の命とも言える「電池」の原料である希少金属が中国に豊富にあるという点も。高性能のリチウム電池を搭載した中国・BYDオート社製の電気自動車が、日産が開発中の新型車の2倍の距離を走ると聞き、そんな重いクルマが…と半信半疑で試乗した日産の副社長が、その意外な加速性に驚くという一コマもありました。

中国だけではありません。韓国でも、インドでも、電気自動車に参入する新規メーカーが虎視眈々と世界を狙っています。インドのREVAというメーカーは、ロンドンで市場の拡大を狙っている。ロンドンでは、環境に優しい電気自動車に対する優遇制度があり、ニーズもどんどん増えているという。中国でもヨーロッパでも、政府や自治体が電気自動車の導入に非常に積極的なんだなあということを改めて感じました。ガソリン車にとってのガソリンスタンドと同じように、電気自動車には街なかの充電ステーションが不可欠で、そうしたインフラづくりは一企業だけの手ではかないませんからね。

さて、これまでほぼ1世紀にわたってクルマ社会をリードしてきた米国ではどうなのか。

米国でも、これまでのガソリン車のメーカーではなく、「スモール・ハンドレッド」が電気自動車の開発に挑戦しているところは同じです。まるで飛行機のような流線型のスタイルを持つ三輪の電気自動車を開発した人が、「これまで100年間、自動車は鉄製で箱形のものだと思い込んできた大手自動車会社には、決してこういう形のクルマは作れないだろう」と語っていたとおり、電気自動車ならではの発想の転換が可能となっているのだなと思いました。だからこそ、今、「スモール・ハンドレッド」が百花繚乱しているわけですね。アイディアとそれを支える技術力があれば、世界を席巻するクルマを売り出す可能性がある。

米国では、シリコンバレーを中心として、ネット業界や投資家が電気自動車に目をつけているというのも興味深い。たとえば、Googleは、「スマート・グリッド」という壮大な計画を売り込み中だそうで。これは、電気自動車が積む電池の蓄電力(太陽発電による)を利用して、夜間の家庭内での電力使用をカバーし、さらにそのシステムをネットで管理して、各家庭同士の電力を相互補完しようというもの。いわば、電気自動車を「(家庭内最大の)家電」化しようというわけです。これが実現すれば、これまでの電力会社から供給される電力供給システムを根本から変えることになります。投資家も、産業界を揺るがす「革命」になるかもと、この戦略には大いに注目しているのだとか。

たかが自動車、されど自動車ですね。自動車には違いないはずなのに、動力が内燃機関から電気に代わっただけで、いろいろな可能性が出てくる。

電気自動車って、実は100年前にもあったんだそうです。自動車の動力としては、最初に蒸気機関が考えられましたが、あまりにも重すぎて普及せず。次に、内燃機関が使われ、1886年にドイツのベンツがガソリンエンジンによる自動車を作り、これがその後の自動車の原型となっていきます。その一方で、ボルタによって発明された電池(1800年)を自動車の動力としようとする動きもあり、19世紀終わり頃には、米国・英国でさかんに電気自動車が製造されていたといいます。もちろん、ガソリンエンジンとモーターの両方を動力とする「ハイブリッド車」も当時からあったそうです。

電気自動車は音も静かだし、操作も簡単で好評だったのですが、ネックは搭載する電池の重さでした。いわば、「電池を運ぶための自動車」みたいなものになっていく。こうなると、何のための自動車なのかわからなくなります。

20世紀初頭、米国のフォードがT型フォードというガソリンエンジン車の大量生産を始め、安価なガソリン車が世に出回るようになると、電気自動車はすっかり影を潜めてしまいました。

100年後の今、「電池」の改良と進歩により、再び「電気自動車の時代」の到来を迎えるのかもしれません。しかも、「移動・輸送手段」としてだけでなく、エネルギーの管理という新しい使命をも帯びる可能性を持ちつつ…。「自動車革命」って、「自動車の革命」だけじゃなくて、「自動車が起こす革命」という意味もあるんですね。

ただ、電気自動車による「21世紀の産業革命」がやってくるとして、それをGoogle(みたいな一企業)が仕切るのかよーという思いはなんとなくありますけどね。ま、19世紀の産業革命だって、もともとは「個人」の発明や技術革新に始まっているわけですから、現代ではそれが「企業」に代わっているだけで、構図としてはおんなじなのかもしれませんが。

それにしても、日本は、まだまだ、そういうダイナミックな変革を仕掛ける企業なり個人が出てきにくい社会なのでしょうか?

 

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