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『うめ版 新明解国語辞典×梅佳代』─コミュニケーションのある写真

2008-08-31 | ■美術/博物
2006年に出した初の写真集『うめめ』が話題を呼び、昨年は第32回木村伊兵衛賞を受賞。今、もっとも脚光を浴びている写真家、梅佳代さん。彼女の写真を見ていると、「シャッターチャンス」がいかに大切かということを感じます。日常生活の中の、どの一瞬を切り取って見せるか。そのセンスこそが、写真家としての資質なのかもしれません。彼女はあまりプリントの色などにはこだわらないということを何かで読みましたが、確かに、「そっち方面の写真家」とは明らかに違うセンスを持っているような気がします。

大阪の町の小学生の男の子たちの「ばかで無敵でかっこいい」姿を切り取った写真集、その名も『男子』(2007年)。写真専門学校時代に撮りためた写真らしいです。こっちでカメラを構える梅佳代さんと彼らとの会話が聞こえてくるような、ピチピチの写真ばかり。男の子の表情があまりにも豊かなのは、そこが大阪だから、なのかもしれませんが、かつて「男子」が持っていた無駄なパワーが満ちあふれていて、今でもこんな「ガキんちょ」は健在なんだと、胸が熱くなります。

『男子』と同時に出た『うめ版 新明解国語辞典×梅佳代』は、あの「明解さん」とのコラボレーション。見開きの左側のページに梅佳代さんの写真、そして右側には、おそらくはその写真の「タイトル」と、その言葉の意味が「新明解」からそのまま引用されています。─これはやられた。

勝手にコラボの方法を想像してみましょう。まず写真に「タイトル」をつけてみる。次にその言葉を新明解国語辞典(現在出ている第6版)で引く。そこに記された「新明解」的な説明文が、写真とマッチしていれば採用。ちょっと違和感があれば、別のタイトルでまた引いてみる…。という感じ?もしかしたら、その逆パターン、新明解の方からこの文章はぜひ使いたいというのがあって、それに合った写真をストックから見つけてくるという方法もあったかもしれません。どっちにしても、これほど写真とキャプションがぴったり合う写真集はないかも。

たとえば、「人生経験」という写真。キオスクのおばちゃんを真正面から切り取った写真ですが、新明解の意味はこんな感じ。「人生の表街道を順調に歩んできた人にはとうてい分からない、実人生での波瀾に富み、辛酸をなめ尽くした経験。〔言外に、真贋の見極めのつく確かさとか、修羅場をくぐり抜けて来た人たちの一大事に対する覚悟の不動とかを含ませて言うことが多い〕」。普通の国語辞典じゃ、「人生経験」は誰でも持っているものというニュアンスの説明だと思うのですが、さすが、新明解は、「辛酸をなめ尽くした経験」しか人生経験じゃないときっぱり言い切っています。で、そこに、この写真でしょ。なんだか、このおばちゃんがそんな風な人生経験を歩んできた人のように見えてきてしまいます。

「実社会」も、新明解の説明は偏向的だけど実に明快。「実際の社会〔美化・様式化されたものとは違って、複雑で、虚偽と欺瞞に満ち、毎日が試練の連続であると言える、きびしい社会を指す〕」。で、写真には、床屋さんっぽいおじさんが厳しい顔して電話している光景。それはないでしょう、とでも言いたげな表情。まるで映画のワンシーンのよう。

その数ページあとには、また同じおじさんが登場。今度はうって変わって穏やかな表情を浮かべて電話している。キャプションは「人生意気に感ず」…! 意味は、「人間は、金銭や名誉のためにではなく、自分を理解してくれる人の暖かい気持ちに感じて仕事をする(引き受ける)ものだ。」新明解に時折見られる「断定口調」が使われていますね。「ものだ」。「ものだということ。」ではなく、「ものだ。」です。おじさんは、「毎日が試練の連続である」「実社会」を生きている。でも、それでもこの仕事を続けているのは、「人生意気に感ず」ことが多いからなのですね、きっと。

こういうコラボ作品は、写真とキャプションと、どっちを先に見たらいいのか迷ってしまいますね。ま、たいていは写真の方を先に見ますけど、あ、先に「新明解」を読んでからじっくり見ればよかった!と思ってしまった写真もいくつかありました。

先日、『じいちゃんさま』という写真集も出している梅佳代さんですが、『うめ版』にもそのおじいちゃんや、家族(含む犬)が何度も登場します。『男子』にも登場してきそうなとぼけた男の子たちも。そして、街々で、村々で出会ったいろんな人々。どれもが息づかいがしっかり聞こえてきます。カメラをはさんでの「コミュニケーション」が存在する写真だからですね。

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