鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

J's GOAL岩政インタビュー

2008年01月15日 | Weblog

【 4th MEDIA連動企画:岩政大樹選手(鹿島)インタビュー】「タイトルを獲りたい」から「獲らなくちゃいけない」へ。自分を変えないといけないという気持ちが芽生えたんです [ J's GOAL ]
J1リーグ戦で劇的な優勝を遂げ悲願の10冠を達成すると、1か月後には天皇杯で11冠目を獲得。再び黄金時代への階段を登り始めた感のある鹿島アントラーズ。
「優勝してない世代だった僕らよりも、さらに下の世代も成長しての優勝だった」と2007シーズンを振り返ってくれた岩政選手は、リーグ戦終了後もJリーグアウォーズでベストイレブンに選ばれ、日本代表合宿にも参加…と大忙し。
インタビューは昨年末、天皇杯のスケジュールの合い間を縫って実現しました。開幕後勝利のなかった5試合、その後の9試合無敗、そしてキーポイントになった2回の大敗から、終盤の9連勝など…山あり谷ありだった1年間をじっくりと語っていただきました。

Q:悲願の10冠を達成した2007年は、岩政選手自身、大きな飛躍を遂げた年でした。
    「周りにはそう見えるかもしれないけど、僕個人としてはプロで4年間、コツコツやってきた結果だと思ってます。1年の結果ではなくて、集大成的なものなんですよ」
Q:なるほど。では、改めて1年を振り返ってもらえますか? 今季は開幕から5試合未勝利という厳しいスタートを強いられました。
    「監督が代わって、チーム作りに時間がかかるのはいつものこと。正直、最初の2試合は相手も強かったし(川崎F、G大阪)0-1での敗戦だったし、そんなに心配してなかったんです。でも、その後の3試合も勝てなかった時には、さすがに焦りもありましたね」
Q:パウロ・アウトゥオリ前監督とオズワルド・オリヴェイラ現監督は何が違ったんですか?
    「オリヴェイラの場合は『相手がボールを回したら、こう守備をしろ』といった決まりごとがそんなに多くないんですよ。そういうものはチーム全体が試合をこなしていかないと、共通イメージが出来上がっていかない。それで時間がかかっていたのはありますね。まあ、最終的には、型にはめすぎない『臨機応変さ』につながったと思います」
Q:岩政選手がその頃に考えていたことは?
    「僕はもっといろいろなことを変えていかないといけないと思って、みんなと話をしたりしました。ただ、監督がやろうとしていることも信じていかなきゃいけない。そのへんのバランスが難しい時期だったと思います」
Q:第6節・横浜FC戦での初勝利は大きかったですか
    「いや、僕としては次の清水戦の勝利のほうが大きかった。当時は清水のほうが状態がよくて、攻められる中、何とか耐えて守って点を取り、終盤また押し込まれたところを守り切った試合ですしね。強豪相手にアウェイで、ああいう展開で勝てたことで、やっと『勝つ形』が見えてきたかなという気がしました」
Q:それが5月以降の浮上につながります。
    「勝っていった時期も試合内容自体はよくなかった。相手にボールを回されて、後ろで辛抱して、前の選手の個性で点を取って勝つという試合が多かったから。でも、流れが悪くても試合に勝つためのサッカーをするという割り切り方ができたんです。それが大きかったですね」
Q:前半戦の9試合無敗(9~17節)の頃は、試合内容は苦しかったと?
    「そうですね。基本的にずっと攻められているイメージが僕の中にはありました。ただ、うまくプレスがかからなくても、それでチームがうまくいってないと考えることが問題なんだと思う。あの頃は、プレスがかからなくても失点さえしなければ自然に流れが向いてくると試合中も切り替えができていた。だから、みんなが戻ってゴール前で体を張って…。
    優勝したことで最後の9連勝が目立ちますが、苦しかったこの時期にずっと勝点を拾っていけたことが大きかったと思います」

Q:後半戦から小笠原満男選手が復帰したことも大きな変化につながったと思いますが?
    「満男さんが戻ってきて、前半戦でボールが支配できなかった部分は変化するだろうなとは思いました。ただ、満男さんの試合勘が戻るまでは、前半戦と同じような流れの試合が多かったですけどね」
Q:1つのターニングポイントになったと思うのは、第23節でのG大阪戦の大敗(1-5)と第25節の名古屋戦の敗戦(0-3)です。
    「満男さんが帰って来て、みんなが『前に行ける』と思ってしまう試合が続いて、勘違いが起きたんでしょうね。前半戦はボランチを青木と中後がやっていたのに、 1人が満男さんに代わったことで、まず前目の選手が1人増えてるわけですよね。満男さんがボールを持てるから、タク(野沢)もモトさん(本山)も前に行く回数が増え、さらにサイドバックまで出て行ってしまう。そうやってリスクを冒すことも大事ですけど、試合に勝っていくためにはやっぱりバランスを保たなければいけない。それをしなかったからガンバ戦、名古屋戦で負けた。あれは必要な大敗だったと思います。あそこで負けたからこそ、満男さんを加えた新たなバランスを見つける時間が早急にできたんですよ」

■これからまた『常勝軍団・鹿島』を目指して頑張っていきたい
Q:ここからリーグ戦では9連勝するわけですが、ヤマザキナビスコカップ準決勝ではG大阪に再び敗れています。
    「ヤマザキナビスコカップで敗退した後、(第29節)磐田に勝って『4連勝ですね』と言われたんですけど、僕らの中ではそういうイメージが全くなかった。リーグ優勝したから言えますけど、ヤマザキナビスコカップで1敗したのも必要な負けだったと僕は思っています。そのまま最後まで9連勝したわけじゃないんでね。
    ヤマザキナビスコカップ準決勝はアウェイゴールの差で敗退したんですが、2戦目は勝った(3-2)。ガンバに勝ったという自信が少しついたんじゃないかな。だから、磐田戦以降は全くチームの状態が変わったと思います」

Q:とはいえ、今季最初のタイトルを逃したことは痛手だったでしょう?
    「個人的に言うと今年4年目なんですけど、Jリーグに適応するために3年はかかると思っていたんで、今まではあまり焦りはなかった。で、今年は絶対に獲らなきゃいけないと思ってシーズンに入って、ヤマザキナビスコカップ準決勝の頃はリーグ戦よりも可能性が高いと思っていましたから、今年はヤマザキナビスコカップを獲って、来年はリーグ戦…というイメージもありました。でも最終的に守り切れなかった。あの時点では、ガンバのほうが単純にチーム力が上だったと捉えていますけど、やっぱりショックは大きかった。それまで自分は順調に来ているなと思っていましたけど、あそこで1回、『今までやってきたものを打ち壊していかないとダメだ。タイトルを獲るために自分を変えないといけない』という気持ちが芽生えたんです」
Q:自分を変えていくというのは、具体的にはどういうことですか?
    「常に『タイトルを獲りたい』とは思っているんですよ。でも、その必死さの度合いというか、泥臭さの度合いというか…。微妙なニュアンスなんですけど、『獲りたい』じゃなくて『獲りにいかなきゃいけない、獲るためにとにかく必死にならなきゃいけない』というハングリーさやガツガツ感が僕の中に出てきた。チームもそうだったと感じます」
Q:その後、鹿島はどう変化しましたか?
    「名古屋戦の後に(田代)有三が先発に入ったことがチームとしてすごく大きかったと僕個人は感じています。ヤマザキナビスコカップ準決勝のアウェイのG大阪戦では有三がスタメンで出てなくて負けた。彼が入ってチームの戦い方にオプションが増えたんですよね。彼とマルキーニョスがボールを追っていくことでチーム全体が引っ張られる部分がありましたし。それで連勝しながら浦和戦(第33節)に向かっていけたのは大きかったですね」
Q:迎えた浦和戦。岩政選手にはワシントン選手を止めるという明確な役割がありました。
    「ワシントンが東京Vにいた時から毎試合のように失点しているんですけど、彼がいろいろなところで『嫌なDF』に僕を挙げてくれていた。だから最後に自分の力をしっかり見せたいっていうのもありました。もちろん浦和に勝って優勝したかったし、十分なモチベーションがあの試合にはあった。試合前は大丈夫かなと心配していましたけど、試合の入りがすごくよかった。僕の中では今までのサッカー人生のベストゲームだったと思います」
Q:その浦和戦に勝利し、最終節のホームでの劇的な優勝に結びつくと…。試合後、大泣きしている岩政選手の姿が印象的でした。
    「単純に泣き虫なんで、いつも泣いているんですけど(笑)。負けた時もよく泣いています。まあ、でもこの4年間でタイトルを逃して何回も悔し涙を流してきたんで、4年間分のうれし涙を流さないとね。そのくらいは流れていたと思いますけどね(笑)」
Q:小笠原選手や本山選手たちがニコニコ笑っているのとは本当に対照的でした。
    「僕らは『タイトルを獲ってない世代』と言われてきて、悔しい思いをしてきました。でも今季はタク(野沢)もケガを乗り越えて活躍してくれたし、有三(田代)もいい仕事をして、もっと下の世代も出てきた。みんな、この1つ目のタイトルに対しての思い入れはものすごく強かったとは思います」
Q:これで2008年がますます楽しみになりましたね。新しいシーズンへの抱負は?
    「来年は初体験というか日本代表やACLなど、新しいことが入ってくる年なので、まだ具体的にはイメージできない部分もあるんですけど…。やっと1つタイトルが獲れたし、これからまた『常勝軍団・鹿島』を目指して頑張っていきたいです。秋田(豊)さんも僕もリーグタイトルは4年目だったんで、僕も頑張れば9つまで追いつけるんだと信じて、次のシーズンには3冠、4冠獲りたいですね」
取材日:12月20日
インタビュー・構成:元川悦子

アウトゥオリ前監督は決め事が多すぎたが故に読まれると失点を重ねたということが読みとれる。
オリヴェイラ監督になり決め事が少ないため現場で臨機応変に対応できるようになり勝利へ繋がっていったのであろう。
どちらが良いということではなく、結果的に応用力のある方が向いていただけと言えるのでは無かろうか。
監督がどのような戦術を目指そうとも、それを実践するのは選手である。
その選手の掌握術やモチベーションのコントロールがなしえなければ勝利はつかめぬ。
それがアジアカップの制覇とベスト4に終わった結果になったのではないかと代表について思う次第である。


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