あるいて健康 奈良県歩け歩け協会 例会情報

ウォーキング愛好グループ「奈良県歩け歩け協会」の例会に参加し、コースマップを中心に訪問地の写真で綴ります。

『御室八十八カ所』巡礼ウォーク

2016年11月06日 | 日記
ウォーキングの愛好者グループ「奈良県歩け歩け協会」で、『御室八十八カ所巡礼』巡礼ウォークをテーマにした例会が、11月20日(日)に予定されています。
JR嵯峨野線駅円町駅に10時に集合して 「平野神社 - わら天神 - きぬかけの路 - 仁和寺 - 御室八十八カ所霊場 ー 双ヶ岡」を辿り、JR嵯峨野線花園駅へ至る約13kmのウオークです。




例会の当日は天候他の事情により、コースが変更される場合もあります。
ウォーキングは野外を歩き自然と親しむ機会です。雨も自然ですから、原則として雨天でも例会は実施されます。


例会当日の朝7時に目的地に気象警報が発令された場合は、例会は中止されますのでご注意下さい。



コースマップ



平野神社







広い境内を持つ平野神社には、今木神(いまきのかみ)、久度神(くどのかみ)、古開神(ふるあきのかみ)、比売神(ひめのかみ)の四柱の神が祀られていて、これらは百済から来た神だとされています。もとは平城京で祀られていたものを、桓武天皇が平安京に移しして平野神社をおこしました。桓武天皇の母の高野新新笠(たかのにいがさ)が、百済系の文人の家の出身であることから、百済系の神を重んじたのではないかとされています。


わら天神





通称わら天神として知られる敷地神社は、この一帯を守る産土神(うぶすながみ=土地の神)です。わら天神は安産の神として、多くの参拝者を集めています。安産のお守りとしてわら天神で授けられるお守り袋に入っている「わら」に節があれば男の子、節がなければ女の子が生まれるとの言い伝えがあります。


きぬかけの路

以前は単に観光道路と呼ばれていましたが、宇多天皇が真夏に雪見するために衣笠山に絹を掛けたとの故事にちなみ、平成3年に「きぬかけの路」と命名されました。


仁和寺



仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となってから、皇室出身者が仁和寺の代々門跡(住職)を務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失するという悲運に見舞われました。そんな中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、聖教などは仁和寺の院家であった真光院に移され、法燈とともに伝えられていきました。 応仁の乱から約160年後の寛永11年(1634年)、ようやく再興の機会が訪れます。『仁和寺御伝』によれば、同年7月24日、仁和寺第21世 覚深法親王は、上洛していた徳川幕府3代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾されるのです。さらには慶長度の御所造替とも重なり、御所から紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建造物が下賜され、正保3年(1646年)に伽藍の再建が完了。ようやく創建時の姿に戻ることが出来たのです。


御室八十八カ所霊場















御室八十八ヶ所霊場と呼ばれる巡拝コースで、文政10年(1827)当時は本四国(四国八十八ヶ所)への巡拝が困難であった為、時の仁和寺29世門跡済仁法親王の御本願により四国八十八ヶ所霊場の砂を持ち帰り、仁和寺の裏山に埋め、その上にお堂を建てたのが御室八十八ヶ所霊場の始まりです。約3kmにわたる山道に、お堂(札所)が点在し、それぞれのご本尊・弘法大師をお祀りしております。参拝道は自然があふれ、眼下に広がる京都市内の眺めは素晴らしく、晴れた日には遠く伏見まで望むことができます。




最後までご覧いただきありがとうございました。




昭和61年に設立された歴史と実績のあるウォーキング愛好者のグループ「奈良県歩け歩け協会」は、歩いて健康の維持や人と人の触れ合いの場を提供することを目的に活動しています。

「奈良県歩け歩け協会」では新規会員を募集しています。例会に体験参加(無料)や入会を希望される方は、例会当日に集合場所に直接お越し頂くかまでメールして下さい。











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