ウォーキングの愛好者グループ「奈良県歩け歩け協会」で、「大和の奇祭お綱祭りと磯城の古寺を訪ねる」をテーマにした例会が、2月11(木)建国記念の日に予定されています。
近鉄笠縫駅に9時30分に集合して 「泰楽寺 - 本光明寺 - 補厳寺 - 村屋神社 - 素盞鳴神社(お綱祭り) - 千萬院・池神社 - 鏡作神社」を辿り、近鉄田原本駅へ至る約13Kmのウォークです。
例会の当日は天候他の事情により、コースが変更される場合もあります。
ウォーキングは野外を歩き自然と親しむ機会です。雨も自然ですから、原則として雨天でも例会は実施されます。
例会当日の朝7時に目的地に気象警報が発令された場合は、例会は中止されますのでご注意下さい。
コースマップ
秦楽寺
大化三年(647)、渡来人系の泰河勝の健立と伝えられています。本堂の千手観音像は、百済から聖徳太子に献上されたもので、河勝が太子より賜ったあものとの事です。境内の阿字池は、弘法大師が築造したと伝えられています。
本光明寺
明治三十一年(1898)、天理市の本光明寺を本地に移し、廃寺となった勝楽寺を再興したもので、勝楽寺は弘法大師の開基と伝えられ、現在も八条のお大師さんとして親しまれています。寺宝の十一面観音立像は、国の重要文化財に指定されといます。
補厳寺
至徳元年(1384)に創建された大和では初めての禅宗寺院で、室町期には十市氏の菩提寺となっていました。了堂派の総本山として崇敬をあつめ、能楽の基盤を築いた世阿弥も二代目の竹窓智厳に師事していました。
村屋神社
正式には村屋坐彌冨都賣神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)で、三穂津姫命(みほつひめのみこと)と大物主命を祭神とする延喜式内大社です。日本書紀に天武天皇元年(673)壬申の乱のとき、村屋神が神主にのりうつり「わが社の中を敵が来る。社の中つ道を防げ」と大梅人皇子軍に神託を与えたとの記述があります。境内のイチイガシなどの林は県の天然記念物に指定されています。
素盞鳴神社
昔、大洪水があって稲田姫と素盞鳴の二神が上流から流れてこられたのを助けて祀ったといわれます。毎年ここで五穀豊穣と子孫繁栄えお願う農耕神事の江包・大西のお綱祭りは国の重要無形文化財に指定されています。
大和の奇祭お綱祭り
江包(えっつみ)地区では雄綱を、大西地区では雌綱を作り、旧暦正月(今では2月11日)に素盞鳴神社の神前で両地区から運び込んだ雌雄の綱が出会い、夫婦の契りを結ぶ神事が行われます。これが結婚式で「入船式(いりふねしき)」とも言われます。
初瀬川(大和川)を挟む両地区では早朝から藁で作った綱の化粧直し。雄綱の頭部は直径1.5m、長さ3mほどで、それに約30mの尾がつけられます。雌綱は長さ8mほどの頭に100mもある尾がついて、頭部は重さがともに500~600kgにもなります。これを20人ほどで担いで村内を巡回し結婚や新築など祝い事のあった家々を回ます。この後、田んぼの中で泥相撲、泥が多くつくほどその年は豊作になるといわれています。
千萬院・池神社
千萬院はもとは千萬寺と呼ばれ法貴寺塔頭の子院でした。法貴寺は聖徳太子の創建と伝えられ、後に泰河勝だ受け継いだとされています。千萬院の不道明王立像は平安後期の作され、国の重要文化財に指定されています。
池神社は機織りの女神である天万栲幡千千比売命(あめのよろずたくはたちぢひめのきこと)と菅原道真を祭神とする式内社です。
鏡作神社
正式には鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)で、天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)・石凝姥命(いしこりどめのみこと)・天糖戸命(あめのぬかどのみこと)を祭神とする延喜式内社です。上代人が魂の宿るものとして最も崇敬尊重した鏡を制作することを業とした鏡作部がこの地一帯に居住し、大和朝廷に仕えていました。神宝として二神二獣鏡が所蔵されています。
鏡作神社のお田植え祭り
最後までご覧いただきありがとうございました。
昭和61年に設立された歴史と実績のあるウォーキング愛好者のグループ「奈良県歩け歩け協会」は、歩いて健康の維持や人と人の触れ合いの場を提供することを目的に活動しています。
「奈良県歩け歩け協会」では新規会員を募集しています。例会に体験参加(無料)や入会を希望される方は、例会当日に集合場所に直接お越し頂くか<yakuoji@gmail.com>までメールして下さい。
近鉄笠縫駅に9時30分に集合して 「泰楽寺 - 本光明寺 - 補厳寺 - 村屋神社 - 素盞鳴神社(お綱祭り) - 千萬院・池神社 - 鏡作神社」を辿り、近鉄田原本駅へ至る約13Kmのウォークです。
例会の当日は天候他の事情により、コースが変更される場合もあります。
ウォーキングは野外を歩き自然と親しむ機会です。雨も自然ですから、原則として雨天でも例会は実施されます。
例会当日の朝7時に目的地に気象警報が発令された場合は、例会は中止されますのでご注意下さい。
コースマップ
秦楽寺
大化三年(647)、渡来人系の泰河勝の健立と伝えられています。本堂の千手観音像は、百済から聖徳太子に献上されたもので、河勝が太子より賜ったあものとの事です。境内の阿字池は、弘法大師が築造したと伝えられています。
本光明寺
明治三十一年(1898)、天理市の本光明寺を本地に移し、廃寺となった勝楽寺を再興したもので、勝楽寺は弘法大師の開基と伝えられ、現在も八条のお大師さんとして親しまれています。寺宝の十一面観音立像は、国の重要文化財に指定されといます。
補厳寺
至徳元年(1384)に創建された大和では初めての禅宗寺院で、室町期には十市氏の菩提寺となっていました。了堂派の総本山として崇敬をあつめ、能楽の基盤を築いた世阿弥も二代目の竹窓智厳に師事していました。
村屋神社
正式には村屋坐彌冨都賣神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)で、三穂津姫命(みほつひめのみこと)と大物主命を祭神とする延喜式内大社です。日本書紀に天武天皇元年(673)壬申の乱のとき、村屋神が神主にのりうつり「わが社の中を敵が来る。社の中つ道を防げ」と大梅人皇子軍に神託を与えたとの記述があります。境内のイチイガシなどの林は県の天然記念物に指定されています。
素盞鳴神社
昔、大洪水があって稲田姫と素盞鳴の二神が上流から流れてこられたのを助けて祀ったといわれます。毎年ここで五穀豊穣と子孫繁栄えお願う農耕神事の江包・大西のお綱祭りは国の重要無形文化財に指定されています。
大和の奇祭お綱祭り
江包(えっつみ)地区では雄綱を、大西地区では雌綱を作り、旧暦正月(今では2月11日)に素盞鳴神社の神前で両地区から運び込んだ雌雄の綱が出会い、夫婦の契りを結ぶ神事が行われます。これが結婚式で「入船式(いりふねしき)」とも言われます。
初瀬川(大和川)を挟む両地区では早朝から藁で作った綱の化粧直し。雄綱の頭部は直径1.5m、長さ3mほどで、それに約30mの尾がつけられます。雌綱は長さ8mほどの頭に100mもある尾がついて、頭部は重さがともに500~600kgにもなります。これを20人ほどで担いで村内を巡回し結婚や新築など祝い事のあった家々を回ます。この後、田んぼの中で泥相撲、泥が多くつくほどその年は豊作になるといわれています。
千萬院・池神社
千萬院はもとは千萬寺と呼ばれ法貴寺塔頭の子院でした。法貴寺は聖徳太子の創建と伝えられ、後に泰河勝だ受け継いだとされています。千萬院の不道明王立像は平安後期の作され、国の重要文化財に指定されています。
池神社は機織りの女神である天万栲幡千千比売命(あめのよろずたくはたちぢひめのきこと)と菅原道真を祭神とする式内社です。
鏡作神社
正式には鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)で、天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)・石凝姥命(いしこりどめのみこと)・天糖戸命(あめのぬかどのみこと)を祭神とする延喜式内社です。上代人が魂の宿るものとして最も崇敬尊重した鏡を制作することを業とした鏡作部がこの地一帯に居住し、大和朝廷に仕えていました。神宝として二神二獣鏡が所蔵されています。
鏡作神社のお田植え祭り
最後までご覧いただきありがとうございました。
昭和61年に設立された歴史と実績のあるウォーキング愛好者のグループ「奈良県歩け歩け協会」は、歩いて健康の維持や人と人の触れ合いの場を提供することを目的に活動しています。
「奈良県歩け歩け協会」では新規会員を募集しています。例会に体験参加(無料)や入会を希望される方は、例会当日に集合場所に直接お越し頂くか<yakuoji@gmail.com>までメールして下さい。