yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

伊豆國踏査-1 伊豆國大北横穴群に石櫃を見るの条

2009-10-23 12:16:43 | 歴史・考古情報《日本》-3 東日本
 10月17・18日(土・日)、次男に車を出してもらって伊豆へ行った。



生まれて初めて伊勢湾岸道路というのを通りました。こんな感じの吊り橋がいくつも連なっている道路です。とても便利なのですが、これを維持するのってとても大変だなーと思いました。贅沢と無駄、そろそろ贅沢は身に合わなくなっているように思います。


 何しに?



これを見に行ってきました。
「何じゃこれ?穴ちゃうんか?」
「はい、崖に開けられた穴です。」
「古墳時代後期になると全国にこうした崖を利用したお墓が流行します。これを横に向けて穴を掘ったものなので「横穴(おうけつ・よこあな)」と言います。」
「横穴式石室とどうも紛らわしいな!」
「ハイそうですね。お墓には違いないのですが、横穴式石室は基本的に首長層のお墓です」
「フーン、庶民の墓か?」
「ま、そうですね。」



北江間横穴群とも表記されています。この大北横穴群のあるところが北江間地域で、その一体にたくさんの横穴群があるのです。実はこの辺り箱根火山の火山灰や溶岩が堆積した山が多いので石はとても柔らかく彫りやすいのです。



報告書の図面ではこんな感じでたくさんあることが判ります。

 大北横穴群という国の史跡に指定されている著名な横穴群を見学に行ったのである。とは言っても、きっかけは、四年生の卒業論文のための調査である。
 静岡県出身の学生は3年生の頃に出した課題の延長線上で、『土葬から火葬への転換』を主テーマに、調査、資料あつめをやっている。その中で伊豆半島にある横穴群に納められている石櫃に着目した。石櫃とは火葬したお骨を入れる石製の骨箱である。



これが横穴に埋納された石櫃です。ちゃんと印籠蓋になっていて、蓋が身とずれない工夫がされています。



横穴の内部から外を見るとこんな感じなのです。意外なことに横穴は結構集落に近いところに築かれていました。

 そもそも横穴というのは崖の壁面に穴を掘って遺体を埋葬するもので基本的に土葬である。ところが伊豆半島の横穴に限って、何故かある時からこの石櫃が入れられるようになるのである。

 土葬から火葬への転換は日本ではなかなか進まなかった。
 仏教思想によるこの遺体処理方法は、遺された遺族にとってはなかなか刺激的な処理方法である。土葬は遺体がいずれ腐り、消え去ると判っていても埋葬する段階ではまだ死者の姿を留めている。ところが火葬では遺体は目の前で消失し、遺されるのは骨のみである。これではとても甦ることは期待できない。

 恐らくこうした刺激的姿が土葬の火葬化を促さなかったのだろう。「三法の奴」とまで称した聖武天皇ですら、結局は土葬されたし、遺言書で強く火葬を願ったにもかかわらず嵯峨天皇の遺体は結局土葬されたことが知られている。
 古代の支配層で火葬されたのは持統天皇と淳和天皇くらいなのである。もちろん僧や渡来人層では火葬に付された人物もいるが、決してそれは一般的ではなかった。



 にもかかわらず伊豆半島の根っこ部分に近く位置する大北横穴群(北江間横穴群)を中心とした旧伊豆長岡町や韮山町、函南町などに展開する横穴には「追葬」のような形で石櫃が集中するのである。決して付近に寺院が多くあるわけでもない。つまり石櫃に入れられたお骨の主は僧侶とは限らないのである。

 では一体いつ頃から誰がこのような葬法を持ち込み広まらせたのか。

 さらに石櫃自体にもいろいろなタイプのあることが知られている。先の写真のようなきちんとした身と蓋から成り、それ相当のお骨を入れることのできる石櫃から。10センチ四方くらいの小さな穴に栓をしてお骨を納めるタイプまで様々なのである。今でもそうだが、お骨を全部入れる地方と、一部だけを拾い、その他は廃棄する地方、全部のお骨を粉々にして入れる地方等々様々である。恐らく後者の石櫃ではとても全部は入らないので粉々にして入れるか一部しか入れないことになる。前者の石櫃もお骨を破壊せずに全てを入れるのは困難であるから仮に全部を納めるためには一部を砕かなければならない。いずれにしろ、お骨に対する考え方が異なることになるのである。どうして比較的近くに点在する横穴群でこうした違いが起こるのか。これからの研究が楽しみな素材である。



石櫃内のお骨の状態。大北横穴二十九号横穴からの出土。


 踏査の方は途中から雨が降ってきてずぶ濡れになりながらで大変だった。大師山、宗光寺と夕方の暗くなりつつある伊豆路の雨の中を竹藪をかき分けかき分け、進めていった。さ、これで終わりという柏谷横穴で事件が・・・。



大師山横穴には横穴内に作り出しの石棺が設けられている例が多い。



大師山横穴内に納められた家形石棺



破壊された穴から写した石棺内部






宗光寺の出土遺物



現在の民家の倉庫、その奥に横穴が口を開けている。いかに低いところに横穴があるかよく判る。

 そろそろ陽が沈むかという時に柏百穴とも言われていた国史跡柏谷横穴に着いた。たまたまナビがおかしくて丘の上の裏の方の横穴に着いた。どうも正面はこの下の方にあるらしい、また、そちらにこそたくさんの横穴があるらしいからそちらに行こうと言うことになった。



暗闇に沈む柏谷横穴


 三人がバラバラに何となく下で会おう、みたいな感じで別れたのが悪かった。

 まさかあれほど広いとは思っても見なかったので、進み出して不安になってきた。みんなどこへ行ったのかな・・・。そんな思いを抱きつつ横穴の中心らしいところにやってきた頃にはすっかり陽が暮れて辺りは真っ暗、写真も全く撮れなくなってきた。

 仕方がないので正面たら言うところを目指そうと進み出したのだが、どうも複合施設らしく公園やらグランドやらがあって、正面と言うところがわからない。ま、いざとなれば、携帯で・・・・、と、そこで問題に気がついた。

 携帯がない!!

 なんで?

 そう言えばさっき車の中で上着を脱いだ、その時たまたま電話が不自由なので、いつもの鎖から携帯を離しポケットへ入れた・・・・・


 えらいこっちゃ!!
 
 あいつ等が見つけてくれるのを待とうかな?

 15分ほどうろちょろして待つが誰も来ない!!迷子になってしまったのである。

 しばらくうろちょろすると公衆電話が見付かった、ポケットにはわずかなお金が入っていた。

 そうだ!家に電話して息子と連絡を取ってもらおう。リーンリーン???

 でない!

 リーンリーーんやっと繋がったがそれは息子のお嫁さん。家には妻はいないという。仕方ないから頼んで居場所を連絡してもらう。ところがこの居場所というのが何とも説明しにくいもの。あれこれ説明して何とか連絡をしてもらうが待てど暮らせど来ない。

 もう一度電話をかけようと思っていたら暗闇から

 「先生!」

皆さん、携帯はいつも身につけておきましょうね。或いは携帯に頼る人生は止めましょうね。

 とんでもない落ちが付いて初日は終わった。この続きはまた明日。

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 それにしても広島県知事の肝っ玉の小さいこと!元々目立たないが、ヒロシマ・ナガサキ市長にオリンピック誘致をぶち上げられると「不愉快だ!」と宣う。そもそもそんな発想ー平和の祭典をヒロシマでーというのがないから文句ばっかり言うんだよな。悲しい!!大体広島県知事なんてこの間ヒロシマでの核兵器廃絶に何の力も出さないもんね。
 そしてもちろん、 オバマ大統領のヒロシマ,ナガサキ11月訪問を求めよう!!<