古庵の書斎から

日々のエッセイ

古庵の書斎 306

2012-08-29 18:22:35 | 日記・エッセイ・コラム
               古庵の書斎 306            如意古庵
 はや8月も終わり、まだまだ暑いと思っていたが、この暑さが懐かしくなるのももう少し。私たちにとっては8月も9月もなんら変わりありませんが、それでもなんとなく夏の終わりというのは寂しいものです。
 例年ですと、庭木や生け垣の剪定をあらかた済ませているところですが、今年はまだ少しも手を入れていません。生け垣のかいずかは道にかなりせり出して歩道を狭めています。庭の紅葉もサザンカも伸び放題、この暑さではいっかなやる気が起きません。早く秋の涼しさが来ないかとと想う気持ちと夏の暑さを惜しむ気持ちと揺れています。 
 今回は奇しくもアメリカの話題ばかりとなりました。
○ 「フェイルセイフ」
 その昔、朝日ジャーナルという週刊誌に連載された近未来仮想小説です。もう一度読みたいと思っていてなかなか実現しなかったものですが、今回やっと借り出して読みました。
 アメリカ戦略空軍がちょっとした機械の故障で、誤った攻撃命令を出してしまうのです。6個のうち5個の編隊は引き返すのですが、1個の編隊(6機構成)はフェイルセイフ(この点を超えたら何があっても、誰の命令があっても予め設定された目標に向かわなければならない地点)を超えてソ連攻撃に向かいます。
 気がついたアメリカ大統領は、ソ連首相に直接電話でその誤りを説明し、どんな防御をもってしても2機の爆撃機はモスクワに侵入し、4個の原子爆弾を落とすだろうと伝えます。そして、その攻撃が誤りであるということを証明するために、ニューヨークにも同時に4個の原子爆弾を落とすということで誠意を示そうとします。ソ連首相も了解します。
 2人はモスクワとニューヨークの数百万の市民を犠牲にして、地球規模の全面戦争になるのを防ぐ決断をするのです。
 数十年経って読んでも臨場感あふれるストーリーでした。
○ 服部君射殺事件20年
 20年前、留学先のアメリカ・ルイジアナ州バトンルージュの住宅街で、ハロウィーンパーティーの日、招かれた会場の家を間違え、他の人の玄関敷地に入った。そして、「フリーズ」の警告に従わなかった服部君は銃で射殺された。これをどう見るか。
 私はやむを得なかったと思う。平穏な夕方、夕食中かその後の家族の団らんを楽しんでいたところへ見ず知らずのアジア系の若者が奇声を発して飛び込んできたらその家族はどう思うか。恐怖を感ずるのはあり得ること。
 置き換えてみるとよく分かる。私たちの平和な家庭に、突然髭を生やした中東系の若者が大声を発して飛び込んできたらと。
 アメリカは自分の家はまず自分で守るという思想があり、そのために建国以来、各家庭には銃が保有されている。そこが日本と異なるところ。2億8、300万丁の銃が民間に出回っている。学校や教会等で銃の乱射事件が起こるのもむべなるかなである。
 そこで凄いのは服部君の両親である。そのアメリカの銃の規制を求めて署名活動や大統領とも面会、時限立法ながら短銃規制法を成立させたのである。
 私はこの服部君の両親(特にお母さん)と松本サリン事件第1通報者の河野義行さんを尊敬する。
 
○ 妊娠中絶、是か非か
 今、大統領選挙に向けて共和・民主両党がしのぎを削っている。その争点の一つに妊娠中絶問題がある。日本ならまったく問題にならない事柄だが、かの国ではそうもいかないらしい。建国の大きな柱の一つにピューリタン精神がある。この宗派、自己の生活態度に非常に厳しいのである。妊娠中絶なんて飛んでも発奮である。
 かってこんなこともあった。キリスト教の言い伝えの一つに「ノアの箱船」伝説がある。人類の堕落に怒った神は洪水を起こすのだが、品行方正なノア一族に箱船を造らせて助ける。こんな旧約聖書の時代の伝説を真実かどうかをテレビ討論の中で争われたのである。
 日本で言えば、邪馬台国が北九州にあったか、畿内にあったかを選挙の討論でやりとりしているようなもの。それが当落に影響するというのだから何をか言わんやです。
 アメリカという国は自由で民主主義の国と自他共に認めるところですが、こんな一面もあるのです。

古庵の書斎 602

2012-08-25 09:15:43 | 日記・エッセイ・コラム
                古庵の書斎 302            如意古庵
 久しぶりにテントでのキャンプをやった。孫に経験させてやりたいと思って息子と計画したは良いが、やっぱり年寄りのやることじゃないことがよくわかった。 
 ところは三重県の大淀海岸ムーンビーチオートキャンプ場。海に近く、プール、風呂、シャワートイレ等設備もよく整っていてそれなりにいいキャンプ場だったが、なにせ地べたに寝袋だ。硬いうえに枕も低く、孫が真ん中で大暴れ、熟睡したという気がしないうちに朝だ。
 それでも、男2人が作った料理を孫はパクパク食ってくれたし、海とプールで飽きることなく遊んでくれた。釣りも少し小さめだが、鯛が1尾釣れたし、何よりも海辺の朝はまた格別。しかし、今後は民宿でも良いから柔らかい布団と、上げ膳据え膳が良い。
○ 図書館で
 連日の猛暑に我が楠図書館は大入りである。それはいいのだが、おばさん連中の非常識には困ったものだ。先日もほとんどの人が静かに新聞や本を読んでいるところに3人の子連れの中年女性が入ってきた。途端に賑やかになった。
 ベチャクチャと世間話しを始めた。回りの迷惑なんぞおかまいなし、ケタケタ笑ったりもしている。この人たち、どういう神経の持ち主だろうと顔をしかめていたら、司書に叱られた。「あーら、ごめんなさい」と抜かして出て行った。 
○ ブルガリア男声合唱団
 私、若い頃にこの合唱団の演奏を生で聞いたことがある。それは棍棒で頭をぶん殴られたような衝撃と言ったらいいか、背筋にゾクッと寒気が走ると言ったらいいか、そんな強烈な印象を受けたことを覚えている。こんな合唱があったのかという想いと共に、当時入っていた合唱団(グリーンエコー)の歌いは何だったのかと思ったものだ。
 以来ずっと男声合唱に憧れてきたが、今の名古屋ゴールデンエイジ、メイルクワイアーに入ったのもその想いがあったからである。
 その合唱団のCDを最近手に入れた。やはり圧倒的な迫力である。この合唱団の得意はロシア民謡である。ブルガリアはロシアではないが、民族的にはおなじスラブ民族である。
 「12人の盗賊」「ヴォルガの舟歌」の他「オー・ソレミオ」等、これが人間の声かと紛うばかりである。その圧倒的な声量と叙情性は凄いの一言。生演奏とは違うが、かって受けた衝撃を思い出させてくれるには十分な合唱でした。
○ 「私は貝になりたい」
 を見ました。あの巣鴨プリズンでの面会のシーンでは不覚にも泣いてしまいました。思えば何十年か前、モノクロテレビの出回り始めた頃のフランキー堺主演の同名のドラマも忘れられません。むしろそちらの方が強烈な印象として残っている。
 最近のドラマはちょっとリアリティーに欠けるのではないか。中井君の顔と声はいかにも甘いし、四国の高知にあんな大雪があるのか。1人で罪を背負って絞首台に登る上官の最後の言葉も少し甘すぎる。
 それと私たち見ている方は日本人ばかりに注目するが、異国の地であの床屋に刺し殺されたアメリカ兵も同じ人間だ。戦争の酷(むご)さだけは伝わった。

古庵の書斎 301

2012-08-15 20:49:48 | 日記・エッセイ・コラム

               古庵の書斎 301          如意古庵

 テニス仲間の1人に、孫が甲子園に出場した爺さんがいる。春の選抜でもそうだったが、今回も愛知大会決勝戦の辛勝などあってテニス仲間で大いに話題になった。
 ところが先日、「もし、良かったら1回戦の応援に参加してくれないか」ときた。昼食付きで6,000円だという。それはいいのだが、早朝の2時半に集合とのこと。これにはついていけない。試合は8時から始まるのでいたしかたない。
 ところが、試合はあっさりと負けてしまった。準決勝ぐらいまでいったら、一度は参加しなければと考えていたのだが。
 それにしても、身内から1人甲子園に出場となると回りは大変だ。まず、お金がかかる。いくらか知らないが、応分の負担はあるようだ。そして応援に行く人を集めなければならない。 これがオリンピックに出たなんてことになるとまた大変だ。
○ ブックオフ
 友人の1人が、人生の店仕舞いの準備を始めたと知ってオレもというわけではないが、長年ため込んだ書籍の処分から始めようと思い立った。
 そこで手始めにもう絶対に読むこともないだろうと思われる書籍10冊ぐらいを苦労して選んだ。その中に羽仁五郎著作全集5冊も入れた。
 そして、近くのブックオフに持っていったと思え。いくらの値が付いたと思う?。価格の付いた箱がない、表紙が汚れている等理由を付けて1冊5円だよ。
 そこで、売るのは馬鹿馬鹿しくなっていつもお世話になっている楠図書館に寄贈することにした。そこでは寄贈本コーナーがあって、そこに並べてある書籍は誰でも自由に持っていっても良いということになっている。そこに並べてもらって意のある方に読んでもらえたらそれに越したことはない。
 翌る日、除いてみたら私の本が並んでいる。次の日には全部無くなっていた。なんだか嬉しくなった。
○ ちょっと生臭い話題
 「近い将来」とか「近いうち」とか、どうでもいいようなことで下らない論争が政界で起きている。それはそれで大いにやってもらってかまわないが、私の危惧することは2つ。
 1つは、9月の党大会で民主党の代表が交替するかも知れないこと。つまり、また1年とちょっとで日本の総理大臣が代わることだ。いま、民主党内ではまたぞろ野田下ろしが始まっている。1年そこそこの代表を降ろしてどうしようというのか。その感覚を疑う。
 私は個人的には野田佳彦という人は総理としてそんなに不適な人とは思わない。イラ菅なんて言われてすぐ癇癪を起こしたり、その前の沖縄問題で大風呂敷を広げた大金持ちで宇宙人と言われた人、そのまた前の口をへの字にして漢字を読み間違えた人、またまた前の年金記載ミス問題を1年で解決すると言って政権を放り出した人等々に比べたらはるかにましと思っています。
 2つは「近い将来」と「近いうち」のどちらでもいいが、その総選挙で、もしかするとまた政権が交代するかも知れないことだ。つまり自民党回帰だ。
 政党政治にとって政権の交替は必須。そして政権が交替したら、8年はやらないとそれなりの結果は出ないと思う。考えてみれば、1千兆円に及ぶ国の借金、沖縄問題、原発政策等、すべて数十年に及ぶ自民党政治の積年の膿である。それをたった4年で解決できると期待する方がおかしい。もう少し、息長く見てみないと評価のしようがない。ヒトラーが言っていることは正しい。「国民大衆は感情で物事をとらえ、忘れやすく、飽きっぽい」