古庵の書斎から

日々のエッセイ

古庵の書斎 239

2011-02-28 07:15:12 | 日記・エッセイ・コラム

             古庵の書斎 239              如意古庵 

 我が家もやっとテレビを地デジ対応に切り替えた。家中のテレビはすでに買い換えてあったのだが、アンテナが対応していなかったのだ。
 どうしようかと迷っていた。というのも私のパソコンはチューナーを付けても地デジはダメと言われたので、アナログと地デジが両方見えることを考えていたのだが、もうこの時期になったらアナログは諦めた。
 今までのアンテナを全部撤去、瀬戸向けのUのみにした。実にスッキリした。
○ なぜ太陽は燃えているのか
 これ、孫の一晴君(小学1年生)からの電話での質問です。先日、合唱の練習から帰ったら彼から電話があって土曜日にかけてくれとありました。
 前に、彼への葉書に「空手を頑張っていますか」と書いたところ、電話があり「僕のやってるのは空手ではなく、少林寺だよ」と訂正されたことがあります。その時、子供にはいいかげんなことを言ったり、書いたりしてはいかんなと反省した。
 今度もまた、私がなんか失敗でもしたのかなと思って電話したら見出しの質問でした。で、とっさにどう答えて良いかわからず、後で調べて送りますとだけしか言えませんでした。
 あれは何かが燃えているんではなくて、巨大な核爆発が連続して起きているんですね。初めて知った。
○ 政府専用機は誰のもの?
 またまたエジプトの話題で恐縮。昨日、図書館でなにげなく週刊朝日を見ていたら頭にくるような記事が載っていた。
 先日のエジプト民衆革命のとき、カイロ国際空港に500人もの邦人が足止めされて、その中に私たち夫婦もいたことは前に記した。その時邦人救出のために外務省は政府専用機を使おうとしたが、それを聞いた菅首相が激怒、「私がダボス会議に使う」「勝手にエジプトに行った奴をなぜ助けるのか」と言ったというのです。前原外相が翻意を促しても聞き入れなかったとも書いています。
  さらに外務省関係者は「国民を切り捨てるなんて首相として許しがたい、他国では救出機を送っている、いったい何のための飛行機で費用はどこから出ているんだ」など、非難の声が噴出したと延べています。
 首相は1月30日に帰国したというが、その頃私たちはカイロ空港で二日間、一日千秋の思いで救出機を待っていたのです。専用機は必ず2機飛ばしますが、1機は空(から)で飛んでいます。それをちょっと回してくれるぐらいの判断はできなかったのでしょうか。   結局はドバイからエミレーツ航空が来て救われましたが。
 そう言えば、今度のNG大地震で緊急援助隊の乗る専用機に被災者家族も一緒にという話しがあったらしいが、飛行機を管理する防衛省が話しを聞いていなかったとかで実現しなかった。
 「国民の生活が第一」という民主党政府にしてはお粗末な話し。国民のために使わないんなら、あんなどでかい飛行機なんて売ってしまえと言いたい。これも事業仕分けの対象だ。
○ パンダ
 テレビはパンダで大騒ぎしている。私は昨年北京動物園で見ましたが、どうってことはありませんね。
 それよかまた石原都知事が下品な言葉で「あんなものに大金(2頭で年8,000万円)を出す意味があるのかね。ご神体じゃないんだから、居ても居なくてもどうでもいい」という意味の暴言を吐いた。
 何を言うかと私は言いたい。かってオリンピック招致に150億円もの大金を湯水のように使ってその詳細を公表しなかったのはどこの誰だったかと。
 言葉の内容もさることながら、70歳も過ぎてあの言葉づかいと目の泳ぎはなんとも品がない。
 それにしてもパンダの食事にはビックリだ。あの硬くて不味そうな竹をバリバリ喰うには驚かされる。あれって栄養があるのだろうかとか、あれを咀嚼し消化する歯と胃袋はどうなっているのかと思う。 

古庵の書斎 238

2011-02-23 13:12:10 | 日記・エッセイ・コラム
               古庵の書斎 238              如意古庵
 今ごろになって、エジプトまで行ってピラミッドを見ないで帰ってきたことに非常に悔やむ気持ちが強くなった。特に水曜日の池上彰の「学べるニュース」を見ていたらそう思うようになった。
 振り返ってみると、なんとまあ間の悪いときに行ったものかと自分でも呆れている。もう3日早く発っていれば全てを見学できただろうし、3日遅れを申し込んでいれば延期となって、いつかまた行く機会があるだろう。
 カイロでは三大ピラミッド、スフインクス、ツタンカーメンの仮面等々世界史の教科書、副教材に載っている史跡をほとんど回る予定でした。それが全部パー。こんなのありって感じだ。
 旅費は政府チャーター便のカイロ~ローマ間の3.4万円のみ負担で、あとは旅行社が相殺してくれましたが、残念な気持ちには変わりありません。
○ トイレとシャワー
 今度のエジプト旅行でまたまたトイレとシャワーで大失敗。1泊目のルクソールの「ソネスタ・セントジョージホテル」。ナイル河畔に位置した五つ星。外国で初めてシャワートイレに出会ったは良かったが、水を流すボタンが見つからない。ホテルマンを呼んだら便器の後ろ側にあった。目に見えるところにつけろってんだ。
 もう一つ。シャワーの蛇口が上からと横からと10個ぐらいある。ほんと、こんなの初めて。 要するに豪華なのだ。がその操作がわからない。あちこち触っていたら、突然冷たい水が頭から降ってきた。何泊も滞在する人には良いのだろうが1泊しかしない我々にはなんとも不親切極まりない。
 2泊目の「イシスハイランドホテル」。ナイル川に浮かぶ島全体がホテル。ここのトイレも欠陥だ。便座を上げると固定しないのだ。男が小を足すとき片手で便座を支えていなければならない。ここでもホテルマンを呼んだが、両手を拡げてどうしようもないという仕草をするばかり。
 だいたいこの便座とふたがなんで陶器でできているんだ。用をたしてそれを降ろすとき、途中で手を離すとガーンと大きな音がする。日本ではポリでできているし、ソフトランディング式になっているのでそんなことはない。
 要するにトイレと風呂は日本が最高だ。これ、もっと日本のメーカーは宣伝して輸出したらどうかと思う。
 例えば、ヨーロッパ各地の主だった観光ホテルや有名ホテルに無料で取り付けたらどうか。私の家に取り付けてある安い物でも感激しちゃうんじゃないか。そしたら、それが広がって大儲けができること間違いなしだ。
 先日、テレビを見ていたら外人女性のなんとかステグマイアーという人も言っていた。外国のホテルには洗い場が無いのがいけない。あれは日本の風呂の一番良いところだと。
 
○ 名古屋市議会選挙
  今、名古屋市民の多くは何を考えているかというと、3月にも行われる市議会選挙で前議員は全部落としてやらなあかんということではないか。
 河村市長の当選によって、議員歳費の半減が現実のものとなってきた。それを巡って前議員達はパニックに陥り、恥も外聞もなく半減を認めると言いだした。そのあられもない姿を見て多くの市民はそんな風に思い始めた。これは恐ろしい。
 万が一、そんなことで議会の大半が入れ替わったとしたら、不幸が待っているだけ。
 かって日本の多くの人は、もう自民党ではあかん、一度民主党にやらせたらということで、そのマニフェストが実現性のあるものかを深く考えることなく投票した。そして政権の交代がなったがその結果はどうだ。
 私が言いたいのは、そんな軽い気持ちで投票行動をとつてはいけないということ。

古庵の書斎 237

2011-02-15 19:11:29 | 日記・エッセイ・コラム
              古庵の書斎 237            如意古庵
「激動のエジプト9日間」   (下)
7日目
 ほとんど寝た気がしないうちに朝になり、さんまの缶詰とアルファー米にお湯を注いで朝食です。大使館差し入れのアルファー米ですが、お湯がない。そこまで気が回らないのがお役所ですね。幸いツァーの誰かが携帯用のポッドと変換器を持っていて、コンセントも探し出してお湯が沸かせたのです。こういうときは大勢居ると心強いですね。こんなもの平素なら食べられた代物ではありませんが、みんな久しぶりの米のめしだから美味い美味いと言って食べました。
 こんな騒ぎがなければ、今ごろはナイル河畔のシェラトンに泊まって美味しいものを食べ、昨日はピラミッド、今日はツタンカーメンとエジプト文明を満喫していただろうにと思うと情けない。
 一人旅の若者がやってきて大使館員は何処にいるかとか、私たちの帰国便について聞いていましが、彼等はほんとに心細いようです。
 ロビーの一角では「中国大使館」と書いた大きなプラカードを持った人を中心に中国人が騒いでいます。彼等はこんな処でも国を誇示します。

 9時頃になってやっと私たちにもチャーター便の知らせが入りました。政府が用意した3便のうち私たちは3時の2便に乗れるというのです。てっきり日本から飛んでくるのかと思っていたらドバイからのエミレーツ航空です。それも有料(34,000円/人)。しっかり誓約書をとられました。 
 そして、まずローマに飛んで一泊して、そこからキャセイ航空で香港経由中部空港と聞かされました。
 それでもやれ一安心というところです。しかし、それからがまた長かった。食事はあるものの、みんなあのパサパサのサンドウイッチとミネラルウォーターにはウンザリしています。午後3時頃、今まで居た第3ターミナルから古い第1ターミナルに移動。そこは外まで人があふれて超満員です。第1便は11時の予定がまだ飛んでいません。私たちはトイレのあるバスの中で待機。夕方になってやっとチェックイン、こんな混雑で果たしてスーツケースが無事ローマに届くかしらと心配になる。
 この時、かの奥村女史は転んで足を挫いたとかで、エジプト人に押させた車いすにどっかと乗っかり、エジプト人スタッフを指揮して荷物を全て運んでくれた。そして私たちが安全にローマに着くためになんでもすると言ってくれたには感激しました。その彼女たちも2・3日後にはエジプト退去を迫られたようです。
 無事チェックインした私は2日ぶりにビールにありつく。イスラム教の国ですからホテルにも空港にもアルコール類は全然置いてないのです。あるのはノンアルコールばかり。
 そして夜も12時過ぎになってやっと搭乗、3時間半かかってローマ着。こんな混乱のなか、それも夜中に誰がどうやって予約したのか、ローマのシェラトン・ゴルフリゾートに入り、4時頃ようやく柔らかいベッドに潜り込む。

8日目
 あまり寝られず8時には食事。12時半のローマ発キャセイ航空に乗り、2日朝(9日目)香港着。予定の関空ではなく中部空港に着くのでやれこれで安心と思っていたら、霧島のどっかの山が噴火して飛行機が全便止まっているという。
  どこまで我々はついていないことかとみんな思わず呆然。天を呪いました。それでも1時間遅れでなんとか離陸、午後6時頃やっと帰国できました。 (完)
 戦車の写真を1枚添付しました。
○ 「夢のよう」「国よくなる」
 これは12日の中日新聞夕刊の11面の中見出しです。ムバラク大統領の辞任の報に喜ぶ愛知県在住のエジプト人の言葉です。エジプト国内の多くの人々の率直な思いも同じでしょう。
 ところで、私は今後のエジプトがどうなるかを心配する。人々は単純に夢が実現したとか国がすぐにでも良くなると思いがちですが、実はこれからが大変なのです。
 何事も壊すのは容易いが、造るのは難しいとは歴史の法則。歴史は悪い方向へは一直線に落ちてゆくが、良い方向へはジグザグの道をたどる。
 今まで考えの異なる人々が独裁を倒すということで一致してきたが、これからはそうはいかない。善意で無欲な民衆に代わって、欲や思惑を持った政治家、団体が現れるだろう。話しがまとまらない。時間がかかる。人々は期待が大きいだけに失望も大きい。あとはどうなるか。誰もわからない。
○ 給与半減
 名古屋市議会では、今ほとんどの前議員がパニックに襲われている。市長選で議員の給与半減を主張する河村氏が圧倒的に勝利し、議会解散の住民投票も成立したからだ。 今、それらに反対してきた議員たちは3月にも行われる市議会選挙に向けてなりふり構わぬ対応を迫られている。   
 民主党は、今までそれではまっとうな議員活動はできないと主張してきたが、一転半減を認めると言い出した。なんとまあ変わり身の早いことよ。選挙目当ての姑息な手段ととられても仕方あるまい。
 しかし、半減とはまた凄まじい。このことはさらに、他の自治体に甚大な影響を及ぼすに違いない。名古屋だけが特別な環境にあるわけではないのだから。

古庵の書斎 236

2011-02-13 18:34:38 | 日記・エッセイ・コラム
               古庵の書斎 236    如意古庵
 
「激動のエジプト9日間」  (中)
6日目(現地1月30日)
 朝食後、今日もこのホテルで待機すると告げられました。テレビではCNNとBBCがエジプトのニュースばかりやっている。それを見て「我々は今、世界的な大事件の真っ只中に居るんだ」とか「歴史的大事件に遭遇している」とか勝手なことを言いながら、みんなのんびりとホテルライフを楽しんでいました。
  それが一変したのが昼食前、突然直ちに荷物をまとめるよう指示、これから空港に移動すると告げられました。ホテルより空港の方が安全ということと、いつでも帰国便をつかまえてエジプトを発てるよう待機するという理由でした。
 1時間後にマイクロバスが来てそそくさと乗り込み発車。道中カーテンを閉めるよう指示されたが、そう言われると余計に覗きたくなるのが人情。空港までの道ばたに装甲車が何台か止まっているし、2回戦車が道を塞いで検問をしている。その他は止まると危ないということで突っ走る。
 12時頃無事空港に到着。これからほぼ2昼夜ここに留まるとは予想だにしませんでした。着いてまずやったのがイスと寝る場所の確保です。要領のいい人が居てどこからか段ボールを都合してきて、回りをスーツケースでかこって横になるスペースを造りました。
 そして、水と食糧が運ばれてきました。帰国して新聞を読んでいたら「不安と空腹に耐えながら」(2/1朝日)と書いてありましたが、少なくとも私たちに関する限りそんなことはありませんでした。ハムサンドは美味くはないがふんだんにあり、最後には捨てるほどでした。
  添乗員の寺地さんやガイドのアブド氏、それにブルースカイ社の奥村女史が適時情報を流してくれ、完全に私たちをフォローしていることがわかっていたからです。
 また、日本の家族への連絡も寺地さんが携帯を貸してくれてその点でも不安もありませんでした。このころ2人の日テレの記者が来て私の隣の人にインタビューしていました。
 そのような私たちと異なって単独の旅行者は心細かったようです。3・4人ばかり私たちのところに情報を聴きに来ました。
 外の情報としては、銀行や商店が襲われたとか、刑務所が開放されて囚人8,000人が逃亡したとか、カイロ博物館のミイラが破壊されたとか、内務省ビルが燃えたとか、ギザのピラミッド地区への道が焼き討ちされて閉鎖されたとか色々入ってきました。
 その中でもガイドのアブド氏の家が襲われて車が盗られてしまったというのもあり、彼は目に涙を浮かべていました。しかし、「私はあなた方の安全を守るために最後まで付き添います」と言ったのには感激しました。またその通りに行動したのです。
 夕方、やっと2人の日本大使館員がやって来て、乾パン、みそ汁缶、さんま缶、アルファ米等を差し入れてくれました。そして政府チャーター便を用意すると言明しました。
 夜になって硬い椅子ではどうにも寝られません。冷たい石の床に衣類を敷いて横になるが2時間ぐらいしか我慢できません。しかし、みんな元気で「我々はピラミッドを見ないで戦車を見に来たんだ」とか冗談を言いながらなんとか時間を過ごしました。
 どうもこの空港には450人ぐらいの邦人と、 他に数千人の搭乗待ちの外国人がいるようです。私たちの隣ではインド人と思われる若者数人が床に座って若者らしく屈託無く雑談したり、カレーらしき弁当を右手で器用に食べていました。
 その向こうではヨーロッパ人のカップルが床に寝ています。彼女が丸くなって彼氏の胸に頭を預けたその寝姿に年甲斐もなくときめいたものです。
○ 人々の生活
 ルクソールからアスワンへのバス移動の時、道の両側の民家の貧相なこと。泥を固めただけの壁に、屋根は木や椰子の葉っぱを載せてあるだけ。雨がほとんど降らないからそれで良いのだろうがまるで家畜小屋だ。
 その家の前で、そんなに年寄りでもない人々が何をするでもなくガラビアと呼ばれる民族衣装を着て固まって話しをしたり、ただ座っているだけとか、ぶらぶらしている姿をよく見ました。日本では絶対に見られない光景です。
 帰って新聞に、エジプトの若者の失業率40%とありました。こんなことも今度の騒ぎの根底にあるのでしょう。
 辟易したのは大人や子供の物売りのしつこいこと、今まで外国旅行で最悪でした。カンボジアもひどかったがその比ではない。目と目が合っただけでもバスに乗るまで着いてくる。腕をつかんで放さない。スカーフを勝手に女性の肩にかける。店先で品物を見ようものならすぐ人が飛んできてまくし立てる。そんなことがなければゆっくり選んで買ってやるのに。
 ホテル以外のトイレは全て1エジプト・ポンド(18円くらい)硬貨がいる。結構な大人が手ふき用の紙を持って待っている。たいした金額ではないが鬱陶しい。
 こういう人たちにとって今回の大騒動は極めて深刻な影響を受けることは間違いない。

古庵の書斎 235

2011-02-08 08:10:29 | 日記・エッセイ・コラム
                古庵の書斎235              如意古庵
 「激動のエジプト9日間」   (上)
 エジプトに行ってきました。 阪急社の「感動のエジプト8日間」といううたい文句のツァーです。ところが感動どころか「激動のエジプト脱出9日間」となり、この2日にほうほうの体で帰ってきました。その顛末を記します。
 予定では1日目(1月25日)、関空からルクソールへ直行。2日目、ルクソール観光。3日目、アスワン観光。4日目、アブ・シンバル神殿観光。5日目、ギザ、ピラミッド観光。6日目、アレキサンドリア観光。7日目、エジプト考古学博物館等見学。8日目(2月1日)、帰国というものでした。
 天気も気温も申し分なし、着いたその日から、「ああこれが悠久のエジプトだぁ」とまさに感動の連続。
 テレビでも有名になったハトシュェプスト女王葬祭殿(かってここでテロリストが機関銃で日本人を含む数十人を射殺した)、王家の谷、ルクソール神殿、アスワンハイダム、アブ・シンバル神殿のラムゼス2世の巨像と、次から次へと圧倒されぱっなしです。
 紀元前3~2千年と言えば日本ではまだ縄文時代、竪穴住居の時代です。私は授業でこれを「腰簑付け、手に槍持ってキャホーと猪を追っかけていた時代」と表現して、いつも生徒に笑われていました。
 これらを実際に見もないで偉そうにエジプトの歴史を講釈していた自分は何だったのかと恥ずかしくなりました。
 ところが感動はそこまで。4日目アブ・シンバル神殿を見て興奮冷めやらぬ気持ちを抱えてカイロに飛び、空港に降りたとたん(16時頃)に状況は一変。 
 待っていたのはカイロに「戒厳令」(これはデマ)がしかれた。外出は18時から朝7時まで禁止というものでした。ということはこの空港から出られないということ。まだこの段階では事態を正確につかめていないのでみんな(21名)はそんなに深刻には受け止めていませんでした。
 この時ツァーメンバーの若い女性から「戒厳令ってなに?と聞かれたのが印象に残っています。
 しかし、夜中の8時になっても10時になっても事態は変わりません。食事と水は現地の提携会社(ブルースカイ社)が手配してサンドウィッチとミネラルウォーターが支給されました。
 このころゲートのところで中国人の若者達が固まってシュプレヒコールを叫んでいました。早く開けろと言っているようです。こういう点では日本人は温和しいものです。日本大使館はなにをしているかと言葉では言いますが、騒ぐようなことはしません。
 今日はここで一夜かと思っていた12時頃、ブルースカイ社と現地ガイドのアブド氏の努力で近くのホテルが取れたとの知らせ。それを聞いてから約3時間後ようやくバスが到着、乗り込んでやれ出発という段階で警官に止められました。
  この時のブルースカイ社の現地ボス奥村女史の迫力は見ものでした。100㌔は優に超える巨体を揺すりながら、身振り手振りで大柄なエジプト人警官に向かって「早く出せ」とまくし立てている姿は日本人離れした頼もしいものでした。
 彼女、説明の言葉も歯切れ良く、ユーモアを交えて人を安心させる話術にたけた人でした。
 ともかく午前3時半には、空港から20分ぐらいの五つ星ホテル「Dusit Thay」に入りました。さっきまでの空港の硬いベンチと違って柔らかいベッドに潜り込んで一時幸せを感じたものです。
5日目(現地29日)
○ エジプト人
 帰って朝日新聞を遡って読んでいたら、「古代エジプト文明の時代から地域のリーダーを務めてきたエジプト人は誇り高い」とアラブ系新聞の編集長アブデル・バリ・アトワン氏は述べています。これはおかしい。
 古代エジプト文明を築いた人々は今は居ない。今日エジプトに居るのはアラブ人であり、8世紀以降イスラム教と共にアラビア半島から北アフリカを席巻し、スペイン・ポルトガルまでその支配を拡げた人々だ。
 従ってアブ・シンバル神殿やピラミッドは今のエジプト人の文明ではない。エジプト文字であるヒエログリフもフェニキア文字、ギリシア文字となって英語のアルファベットに繋がっていく。このように古代エジプト文明を受け継いでいるのはヨーロッパであり、今のエジプト人(アラブ人)ではない。今エジプトで使われているのはミミズの這ったようなアラビア文字である。
 このようにみると、民族と文化とはなんぞやと考えてしまう。
 ちなみに日本の北海道に行くと、我々の近くにあるような原日本の山村風景が感じられない。かの地はもともとアイヌの地であり、近年になって彼等を征服して和人が住み着いたからだ。それと同じこと。
 アメリカンスタイルの朝食をゆったりと摂ったあと、ミーティングで今日1日ここのホテルで待機する、ピラミッド観光はなんとか実現したい、食事はホテルで用意すると告げられました。部屋とロビーは広いし、それに庭もあって滞在するには申し分なし。不満をいう人なし。この段階ではまだピラミッド観光は諦めていませんでした。
 午後にはガイドのアブド氏のエジプト史の講義があり、みんないつにも増して真面目に聞いていました。アブド氏は今度のカイロ危機(CNNはクライシスと報道していました)
の説明になると力が入っていました。彼は、ムバラク大統領が退陣しない限り事態は収まらないと断言しました。今度の金曜日(4日、イスラム教の礼拝日)が大きな山になるだろうとも言いました。
 私はホテルの回りを3周ばかりウォーキング、読書したりと不安はまったくありませんでした。それでも夕方にはさすがにピラミッド見学は諦めざるを得ないことを悟りました。今は安全に帰国することが最優先だと理解したのでした。
 夜8時頃、添乗員の寺地さんから部屋に電話があって「ホテルが暴徒に襲われるかもしれない。部屋から絶対に出ないように」との指示がありました。後で聞くとホテルマンは入り口を固めたというし、警察は姿を消し、軍隊が来て警備したと聞きました。民衆が各地で食糧を求めて商店や民家を襲っているとのこと、ホテルには食糧があるから危ないということらしい。
 それでもやることもなし、疲れていたので9時過ぎには寝てしまいました。思えばこれが日本に帰るまでゆっくり寝られた最後の夜でした。