夫の留守が長かったので、先週末は実家へ行きました。
そして、「おねだりするようだけれど…」と
両親に雛人形を見に連れていってもらいました。
個性ある商品がいろいろと並んでいて
どんなものを選んだらいいか、迷ってしまいます。
基準は、置き場所の問題と自分の好みかどうか、に落ち着くようです。
1日目は2軒のお店を見てまわりました。
2日目は、購入を前提にそのうちの1軒に行きました。
ゆっくり選ぶ時間がないので、商品を選ぶ前の晩はいろいろと考えました。
雛人形というのは、基本的に宮中(皇室)を表現しています。
段飾りの段は、身分の差も表現しているでしょう。
三人官女らは、「仕える人」です。
雛人形の起源は、「厄除け(身代わり)」と「人形遊び」が合わさったものと言われます。
「天皇制」「身分の差」「厄払い」とは、
寺の父が嫌う要素ばかりです。
また、私の雛人形のイメージは
七段飾りに赤毛氈、金屏風、円いぼんぼり、橘に桜、といったものなのですが、
それは私が見て育ったものなのだということに気がつきました。
だから、我が子の場合は、今回私が選ぶものが
雛人形のイメージになります。
そこで、平飾りにして
内裏雛も家来たちも同じ高さで並べたらどうだろうか…と、
ふと思いました。
でも、これはスペースをとりますし、創作になりますから要望をきいてもらうのに時間がかかります。
他に、北陸だから待ちわびた「春」のよろこびを感じられるものがいい、とか
少しでも子どもが触って楽しめるものはないか、とか
子どもの目線で考えようともしましたが、
どうしても頭にちらつくのは、嫁ぎ先の両親や周囲の人々の反応…でした。
そもそも最初は、子どもが手にとって遊べるものがいいと思っていたはずなのです。
私自身が、人形の首をぬいてみたり、
刀や扇といった小物を人形から抜いて手にとって遊んでいましたから。
立派なものを選んだら、とても触らせられません。
見るだけで触れてはいけないお人形って、なんだか淋しそうです。
結局、従来のものとほとんど変わらない三段飾りを
大人目線で選んでしまいました。
私は、本当は誰に喜んでもらいたかったのかな…?
そして私自身は喜んでいるのかな?
娘の誕生日が3月初旬でなかったら
雛人形が欲しいと思わなかったかもしれませんが、
真宗に縁ある人間にとっては
七五三とか、これからも世間の慣習にぶつかるたびに
迷いが生じることでしょう。
「子どもの健やかな成長をねがう」ということが
これらの行事には名目としてあるはずですが、
形式や衣装など 一つ一つ検証していくと
悪しき思想に支えられているのかもしれません。
「昔からこうだから」では済まされません。
「きれいだね。」と子どもと無邪気に楽しみたかった思いと、
無自覚に日々(行事)を送っていることへの反省、
いろいろな思いが交差した数日でした。
そして、「おねだりするようだけれど…」と
両親に雛人形を見に連れていってもらいました。
個性ある商品がいろいろと並んでいて
どんなものを選んだらいいか、迷ってしまいます。
基準は、置き場所の問題と自分の好みかどうか、に落ち着くようです。
1日目は2軒のお店を見てまわりました。
2日目は、購入を前提にそのうちの1軒に行きました。
ゆっくり選ぶ時間がないので、商品を選ぶ前の晩はいろいろと考えました。
雛人形というのは、基本的に宮中(皇室)を表現しています。
段飾りの段は、身分の差も表現しているでしょう。
三人官女らは、「仕える人」です。
雛人形の起源は、「厄除け(身代わり)」と「人形遊び」が合わさったものと言われます。
「天皇制」「身分の差」「厄払い」とは、
寺の父が嫌う要素ばかりです。
また、私の雛人形のイメージは
七段飾りに赤毛氈、金屏風、円いぼんぼり、橘に桜、といったものなのですが、
それは私が見て育ったものなのだということに気がつきました。
だから、我が子の場合は、今回私が選ぶものが
雛人形のイメージになります。
そこで、平飾りにして
内裏雛も家来たちも同じ高さで並べたらどうだろうか…と、
ふと思いました。
でも、これはスペースをとりますし、創作になりますから要望をきいてもらうのに時間がかかります。
他に、北陸だから待ちわびた「春」のよろこびを感じられるものがいい、とか
少しでも子どもが触って楽しめるものはないか、とか
子どもの目線で考えようともしましたが、
どうしても頭にちらつくのは、嫁ぎ先の両親や周囲の人々の反応…でした。
そもそも最初は、子どもが手にとって遊べるものがいいと思っていたはずなのです。
私自身が、人形の首をぬいてみたり、
刀や扇といった小物を人形から抜いて手にとって遊んでいましたから。
立派なものを選んだら、とても触らせられません。
見るだけで触れてはいけないお人形って、なんだか淋しそうです。
結局、従来のものとほとんど変わらない三段飾りを
大人目線で選んでしまいました。
私は、本当は誰に喜んでもらいたかったのかな…?
そして私自身は喜んでいるのかな?
娘の誕生日が3月初旬でなかったら
雛人形が欲しいと思わなかったかもしれませんが、
真宗に縁ある人間にとっては
七五三とか、これからも世間の慣習にぶつかるたびに
迷いが生じることでしょう。
「子どもの健やかな成長をねがう」ということが
これらの行事には名目としてあるはずですが、
形式や衣装など 一つ一つ検証していくと
悪しき思想に支えられているのかもしれません。
「昔からこうだから」では済まされません。
「きれいだね。」と子どもと無邪気に楽しみたかった思いと、
無自覚に日々(行事)を送っていることへの反省、
いろいろな思いが交差した数日でした。