解脱の光輪きはもなし
光觸かふるものはみな
有無をはなるとのべたまふ
平等覚に帰命せよ
「解脱の徳ある無辺の光を身に蒙るものはすべて、
有・無の偏見を離れるとお説きになる。
平等覚の仏に帰順せよ。」
と、名畑応順先生の『親鸞和讃集』には注があるのですが、
私にとっては、どうも文字が上滑りしてしまって
なかなか心や腹に届きません。
たまたま自坊には「おやまごぼう」があって
そこに古田和弘先生の解説があるので、
こちらも読んでいこうかと思います。
「誤ってこだわるために、自分自身を苦しめている者を、何とかして、こだわりから解き放ってやりたいと願っておられるのが阿弥陀仏です。(中略)自分を照らしている智慧の光に少しでも気づかされるならば、どのような人であっても、一切のこだわりから離れることができるのであるから、自分の都合だけで、あれこれと、邪見を重ねないで、仏さまの智慧をよりどころにしなさい」
(おやまごぼう・第274号)
あけましておめでとうございます。
気まぐれに更新しているにもかかわらず、
またこちらをのぞいてくださって有難うございます。
赤ちゃんのいる場所の関係と
パソコンに触ることのできる機会が少ない状況のため
なかなか更新ができずにいます。
でも、「だから、出来ない。」と思い込まないよう、
探し求めていく姿勢を
今年は持ちたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
光觸かふるものはみな
有無をはなるとのべたまふ
平等覚に帰命せよ
「解脱の徳ある無辺の光を身に蒙るものはすべて、
有・無の偏見を離れるとお説きになる。
平等覚の仏に帰順せよ。」
と、名畑応順先生の『親鸞和讃集』には注があるのですが、
私にとっては、どうも文字が上滑りしてしまって
なかなか心や腹に届きません。
たまたま自坊には「おやまごぼう」があって
そこに古田和弘先生の解説があるので、
こちらも読んでいこうかと思います。
「誤ってこだわるために、自分自身を苦しめている者を、何とかして、こだわりから解き放ってやりたいと願っておられるのが阿弥陀仏です。(中略)自分を照らしている智慧の光に少しでも気づかされるならば、どのような人であっても、一切のこだわりから離れることができるのであるから、自分の都合だけで、あれこれと、邪見を重ねないで、仏さまの智慧をよりどころにしなさい」
(おやまごぼう・第274号)
あけましておめでとうございます。
気まぐれに更新しているにもかかわらず、
またこちらをのぞいてくださって有難うございます。
赤ちゃんのいる場所の関係と
パソコンに触ることのできる機会が少ない状況のため
なかなか更新ができずにいます。
でも、「だから、出来ない。」と思い込まないよう、
探し求めていく姿勢を
今年は持ちたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。