ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「シーンズ フロム ザ ビッグ ピクチュアー」

2010-10-30 16:04:19 | 芝居
10月9日紀伊国屋ホールで、オーウェン・マカファーティ作「シーンズ フロム ザ ビッグ ピクチュアー」を観た(演出:平光琢也)。

演劇集団円の公演。

北アイルランドの首都ベルファスト。そこに住む21人の老若男女の日常が少しずつ描かれる。無職の若者、労働者、子供を欲しがる主婦、ドラッグストアを営む老夫婦、秘書、パブで働く女、そのパブの常連客、父の葬儀で久し振りに会った兄弟、麻薬密売人。とそのうちに、彼ら相互の関係が次第に明らかになってゆく。三角関係、犯罪、和解、狂気・・・。

チラシにある通り「ジグソーパズルに小片をはめ込むように」、或る町の人々の関係がみるみる明らかになってゆくのを上から俯瞰するような楽しみが味わえる。そして若者、中年、老年と、各世代それぞれの人生模様を通して、生の味わいが感じられる。

ドキッとする erotic なシーンも観客の想像力に上手に委ねられている。
しかし主要な登場人物であるジョー・ハインズは、これほどまで酒場の女にもてる上に、美しい女性を妻に勝ち得、職場でも人望厚い男なのだから、その人間的魅力をもっと醸し出してほしい。説得力の問題だ。

赤ん坊を欲しがるあまり時折狂気を感じさせる神経質な妻メイヴ・ハインズ役の高橋理恵子が印象深い。

以前見た「シュート・ザ・クロウ」も面白かったが、ラストが少し平凡だった。その点、こちらの方がよくできている。こういうやり方もあったのか。作者マカファーティの才能は注目すべきだ。アイルランドというところは時々こういう人を生む。実に不思議だ。
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オペラ「アラベッラ」

2010-10-24 18:10:57 | オペラ
10月5日新国立劇場オペラパレスで、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラ「アラベッラ」を観た(指揮:ウルフ・シルマー、演出・美術・照明:フィリップ・アルロー)。

鮮やかな青を基調とする思い切ったデザインの舞台が面白い。壁にはクリムトの絵が何枚か掛かっている。そう、ここはウィーン。窓の外は粉雪が舞っている。

男として育てられている次女ズデンカは、姉アラベッラの求婚者の一人マッテオを密かに慕っている。彼を喜ばせるために、姉からの手紙と偽って自分で手紙を書いて彼に渡しているらしい。それをちょっとした短いシーンで観客に分からせる演出が巧み。ちょうど「十二夜」のヴァイオラ(セザーリオ)のように、心ならずも恋の取り持ち役をやっているわけだ。
アラベッラには何人もの求婚者がいるが、彼女はそのうちの誰にもピンと来ないでいる。

第2幕、幕が開くと舞台の美しさに息を呑んだ。正面にゆるやかな大階段、左右奥に丸テーブルと椅子、背景上方には夜空にきらめく星々。実に美しい。このまま絵本にしたい位。写真を撮りたかった。

舞踏会で、アラベッラと彼女の肖像画に惹かれてはるばる旅してきたマンドリカとが初めて言葉を交わす時、紗幕がそのすべてを覆う。そうこなくちゃ。ここで二人は恋に落ちるのだから。
男は言う、「うちのそばを流れるドナウ川が貴女に出会わせてくれた」。彼はクロアチアからここウィーンにやって来たのだった。
アラベッラに相手にされず絶望したマッテオは自殺すると口走る。ズデンカは姉から渡すよう頼まれた姉の部屋の鍵だと言って、驚くマッテオに(自分の部屋の)鍵を渡す。彼は言う、「女心は分からない」。これには笑ってしまった。そりゃそうだ。今までずっとつれなくされてきたのだから。
しかしそこをマンドリカに見られていた。言葉通りに取って怒り狂うマンドリカ・・・。

第3幕、同じ青が基調のホテルのフロントとゆるやかな階段。しかしモダン過ぎて今度はいささか食傷気味。それに3幕共ブルーではやはり飽きてしまう。
空は少し明るくなっていて、雪がしきりに降り続いている。

ところでアラベッラは一晩中どこにいたのだろう?みんな探していたのに。

「尺には尺を」を思い出す筋書き。(闇に紛れて男は愛する人を抱いていると思い込んでいるが・・・)
オペラにしてはドラマがしっかりできている。
歌う必然性のないところでは節がない!!これは R.シュトラウスでは実に珍しいことだが、我々現代人にはありがたい。歌ってなんかいられない気分だってあるのだ。例えば、婚約したばかりのアラベッラに裏切られたと思い込んだマンドリカが苦々しげに吐くセリフなど。それだけ胸に迫ってくる。

アラベッラは身に覚えのないことで婚約者に疑われ、暴言を吐かれて答える、「許していただく必要のあることなどしていません。むしろ私の方こそ貴方の言葉、貴方のその言い方を許す側です、それができればの話ですけど」。この毅然としたセリフに拍手。何というかっこよさ。

ホテルに一家で住むとは奇妙だと思ったが、鍵の一件でやっと訳が分かった。ホテルの部屋の鍵なら部屋の番号が書いてあるから、簡単にどの部屋か分かるわけだ。普通のお屋敷だとそうはいかないし、第一勝手に泊めてもらうわけにはいくまい。

そもそもの設定が不自然ではあるが、音楽がとにかく素晴らしい。私にとっては初めてのアラベッラ体験だった。
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「カラムとセフィーの物語」

2010-10-18 23:55:03 | 芝居
10月4日文学座アトリエで、マロリー・ブラックマン原作、ドミニク・クック脚色「カラムとセフィーの物語」を観た(演出:高瀬久男)。

1962年生まれのアフリカ系英国人女性が10代向けに書いた小説の戯曲化。

とある国に多数派のクロス人と少数派のノート人が対立しながら暮らしている。前者の肌は黒く、後者のは白い。白い肌のノート人がここでは差別される側だ。
幼なじみの黒い肌のセフィー(渋谷はるか)と白い肌のカラム(亀田佳明)との間に恋が芽生えるが、社会は彼らを引き裂こうとする・・・。

客席の真ん中の空間を使った、相変わらず飾り気のない舞台。直球勝負の真摯な演技。文学座は本当に好感の持てる劇団だ。

誰かがテレビのリモコンをつかみ虚空に向けて押すと、いきなりでかいテレビリポーター(上川路啓志)が目の前に現れてしゃべり出すのが面白い。しかもこの人の声が張りがあって素晴らしい。筆者は時々役者のセリフが聞き取れなくて困ることがあるが、世の中の役者が皆この人のような声だったらどんな大きな舞台でも問題なく聞き取れるだろうに、と思った。小さい舞台にはもったいない声だ。

渋谷はるかはいつもながらの熱演。これからも彼女の成長を見続けようと思う。

途中ロミジュリのようなすれ違いから決定的な破局へ。
だがセフィーが最後に取った行動は理解し難い・・・。

原題は“ Noughts and Crosses ”で、これはイギリスのゲームの名前だそうだ。


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「ガラスの葉」

2010-10-12 23:45:31 | 芝居
9月27日世田谷パブリックシアターで、フィリップ・リドリー作「ガラスの葉」を見た(演出:白井晃)。

4人の芝居。家族の記憶の物語。

舞台には何やら家具がたくさん置いてある。特にテーブルと椅子がいくつもあるのが不自然な印象。その内、奥の方が回り舞台になっていて少し動いたりするが、その意図がどうもよく分からない。

スティーヴン、彼の妻、母、弟バリー、この4人をめぐって少しずつ露わになる事実。
彼の父は自殺したらしい。運河で溺死。
弟は絵描き。アル中だったがここ4ヶ月は禁酒を続けている。
妻は妊娠が分かるが、スティーヴンとどうもうまくいっていないようだ。
彼は母(銀粉蝶)のお気に入り。弟は亡き父のお気に入りだった。
彼と母の絆は強く、弟の孤独は深まるばかり・・・。

兄弟には小さな秘密があった。父の葬儀に来た或る男に誘われて、その男の家に何度か行ったこと・・、そこで・・しかしこのエピソードは非常に婉曲的に述べられるので、その意味するところが果たしてどれ位観客に伝わっただろうか。
弟にとってそれは忘れることのできない忌まわしい出来事だった。
兄は兄で、ある時車を運転していて男の子を轢きそうになり、それ以来そのことが頭から離れない・・。

結局、作者が何を言いたいのかは最後まで分からないまま。ラストでの母の号泣も分からない。



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「カエサル」ゲネプロ

2010-10-07 23:28:15 | 芝居
10月2日日生劇場で、「カエサル」のゲネプロを観た(演出:栗山民也)。

塩野七生のベストセラー「ローマ人の物語」の中から、ユリウス・カエサルの生涯を舞台化した由(脚本:斎藤雅文)。

場面転換が多く、変化に富む舞台(美術:松井るみ)。
静かな弦の響きがいい(音楽:甲斐正人)。

原作を読んでいないので、いろいろと新鮮だった。
例えば主役のカエサルだが、どうも相当の女たらしだったようだ。こちらは何しろシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」と「アントニーとクレオパトラ」しか知らないのだから仕方がない。

ブルータスがカエサルの愛人の息子だったというのにも驚いた。しかも「ジュリアス・シーザー」に登場する高潔な人格者と、ここに描かれる男とは何という違いだろう。ここでは彼はただもう若くて経験に乏しく、コンプレックスを抱えて鬱々としている。恥ずかしいほど情けない奴。アントニウスに散々バカにされているし。しかし塩野さんが描いているのだからこちらの方が実体に近いのだろう。

キケロも今まで何となく描いていたイメージと違って軽い感じ。

役者では、何と言ってもカエサルの愛人セルヴィーリア役の高橋惠子が美しく、魅力的。
クレオパトラ役の小島聖は小柄だが声がよく通る。まだエジプトの女王になる前の、可憐な王女である彼女が、「運命が近づいてくるのを感じる」と語るシーンでは、こちらまで期待に胸が高鳴る。
大富豪クラッスス役の勝部演之と将軍ポンペイウス役の瑳川哲朗とは安定した演技で脇を固める。この二人の役者がいなかったら、この芝居はだいぶつまらなくなっただろう。

この日は2階最前列で見たが、実は18日にも行く予定で、今度は1階の前の方なので、どんな風に見えるか楽しみだ。それに芝居は生き物。日が経つにつれて変わっているところもあるかも知れない。
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「イリアス」

2010-10-06 00:10:05 | 芝居
9月17日ル・テアトル銀座で、「イリアス」を観た(演出:栗山民也)。

この劇場はかつて「銀座セゾン劇場」という名前だった。それが今では・・「ル・テアトル銀座」だなんて、言語情報として何の意味もないではないか。訳せば「銀座劇場」。そりゃそうだけど、銀座にある劇場だから「銀座劇場」だなんて一体どういうセンスなのか?第一短縮できない。以前は「セゾンに行く」とか「セゾンで待ち合わせ」とか言えたのに。どう言えばいい?

さて、気を取り直して本題に入ろう。「イリアス」は紀元前8世紀に詩人ホメロスによって書かれた叙事詩。それをもとに木内宏昌という人がこの脚本を書いた由。

5人の女性(コロス)を使った斬新な舞台が美しい。スタイリッシュと言ってもいい位。彼女らの動きも効果的。
ただし、歌が入ると恥ずかしい。vocalise (母音唱法)ならまだしも、「人はなぜ戦うのか・・」などの歌詞で歌われると居たたまれない。

アガメムノン役が木場克己とは驚いた。相変わらず独特の癖の強いセリフ回し。ギリシャ軍の総大将はこんなに下品な男だったのか?
トロイの王子ヘクトル役の池内博之は語尾が消える。イントネイションも時々おかしい。
ギリシャの英雄アキレウス役の内野聖陽はたまに間違えていたが、さすがの貫禄。英雄役が似合う。
彼の親友パトロクロス役のチョウソンハは前半、いつもと違って声が高過ぎると思ったが、考えた上での役作りだったようだ。
ヘクトルの妻アンドロマケは青い衣を着て、端の方で機を織る。

トロイの鉄壁の城壁を表わす赤黒い背景(美術:伊藤雅子)。ラストで右側の黒っぽい大きな柱がゆっくりと半ば倒れかかるのが印象的。

「イリアス」とは「トロイの詩」の意だそうだ。
「イリアスはヘクトルの葬儀で終わるけれど、そのあと起こったことも少しだけ付け加えよう」とコロスが語り出す。「オデュッセウスの悪辣な策略」である例の木馬の事件と、それによって10年もの長きにわたって続いた戦争の終結、トロイの滅亡・・・。
この物語を貫いているのは、神々の慰みものにされる我々人間という視点・捉え方だ。

同じくトロイ戦争を描いた「トロイアの女たち」を文学座で観たばかりなので、ギリシャ軍トロイ軍の一人一人の性格や関係や運命が、だいぶ身近なものになった気がする。

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