駅のホームで、ふと線路に飛び込みたくなることは誰だってある、のかどうかは知らないけど、僕はある。
別に、死にたいとか、ストレスとか、横領とか、失恋とか、そういうことではなくて、普通に生きていて、ふと飛び降りたらどうなるんだろう、とひとつの好奇心が頭によぎる。それは恐ろしい感じではなく、もう少しあっけらかんとした楽しい感じでもある。
先日も、ふと、京王線の明大前駅で乗り換えの電車を待っているときに、向こうからやってくるクリーム色の鉄の塊に自分の身を捧げたらどうなるのだろうとその思考が一瞬よぎった。
それは全校集会で校長先生の訓示の最中に大声を出したくなるのとか、葬式に参列している時に突然笑い出したらどうなるだろうとか、そういうわけのわからない子どもぽい衝動とほぼ匂いや感触は似ている。
このことで、僕が僕に教えてくれることは、自殺する人はなにも特別じゃない。ということや、ひいては人を殺してしまう人や、暴力をふるう人や、人を傷つけてしまうこと、そういう人たちはどこかにいるわけではなくて、僕自身の中にいるということ。なにか決定的な過ちを犯してしまうことは、正直、誰にだってあるのだろうな、と思うのだ。魔が差すの、魔は自分の中にずっとある。李徴にとっての虎のように。アナキンスカイウォーカーにとってのダークサイドのように。
自分とは全く関係のないように思われるどこかの出来事の全部に理解を示すことは不可能だし、トライしてみて狂ってしまいそうになるときもあるけど、やはりそこは踏ん張って、理解はできなくても、想像をしてみたいし、それも難しかったら、同情に近い形で(エンパシー)愛してあげたいとも思うのだ。
別に、死にたいとか、ストレスとか、横領とか、失恋とか、そういうことではなくて、普通に生きていて、ふと飛び降りたらどうなるんだろう、とひとつの好奇心が頭によぎる。それは恐ろしい感じではなく、もう少しあっけらかんとした楽しい感じでもある。
先日も、ふと、京王線の明大前駅で乗り換えの電車を待っているときに、向こうからやってくるクリーム色の鉄の塊に自分の身を捧げたらどうなるのだろうとその思考が一瞬よぎった。
それは全校集会で校長先生の訓示の最中に大声を出したくなるのとか、葬式に参列している時に突然笑い出したらどうなるだろうとか、そういうわけのわからない子どもぽい衝動とほぼ匂いや感触は似ている。
このことで、僕が僕に教えてくれることは、自殺する人はなにも特別じゃない。ということや、ひいては人を殺してしまう人や、暴力をふるう人や、人を傷つけてしまうこと、そういう人たちはどこかにいるわけではなくて、僕自身の中にいるということ。なにか決定的な過ちを犯してしまうことは、正直、誰にだってあるのだろうな、と思うのだ。魔が差すの、魔は自分の中にずっとある。李徴にとっての虎のように。アナキンスカイウォーカーにとってのダークサイドのように。
自分とは全く関係のないように思われるどこかの出来事の全部に理解を示すことは不可能だし、トライしてみて狂ってしまいそうになるときもあるけど、やはりそこは踏ん張って、理解はできなくても、想像をしてみたいし、それも難しかったら、同情に近い形で(エンパシー)愛してあげたいとも思うのだ。