今日の社内連絡(ブログver)

sundayとかオリジナルテンポとかの作・演出家ウォーリー木下のつれづれなるままのもろもろ。

エンパシー

2020-09-11 | Weblog
駅のホームで、ふと線路に飛び込みたくなることは誰だってある、のかどうかは知らないけど、僕はある。
別に、死にたいとか、ストレスとか、横領とか、失恋とか、そういうことではなくて、普通に生きていて、ふと飛び降りたらどうなるんだろう、とひとつの好奇心が頭によぎる。それは恐ろしい感じではなく、もう少しあっけらかんとした楽しい感じでもある。
先日も、ふと、京王線の明大前駅で乗り換えの電車を待っているときに、向こうからやってくるクリーム色の鉄の塊に自分の身を捧げたらどうなるのだろうとその思考が一瞬よぎった。
それは全校集会で校長先生の訓示の最中に大声を出したくなるのとか、葬式に参列している時に突然笑い出したらどうなるだろうとか、そういうわけのわからない子どもぽい衝動とほぼ匂いや感触は似ている。
このことで、僕が僕に教えてくれることは、自殺する人はなにも特別じゃない。ということや、ひいては人を殺してしまう人や、暴力をふるう人や、人を傷つけてしまうこと、そういう人たちはどこかにいるわけではなくて、僕自身の中にいるということ。なにか決定的な過ちを犯してしまうことは、正直、誰にだってあるのだろうな、と思うのだ。魔が差すの、魔は自分の中にずっとある。李徴にとっての虎のように。アナキンスカイウォーカーにとってのダークサイドのように。
自分とは全く関係のないように思われるどこかの出来事の全部に理解を示すことは不可能だし、トライしてみて狂ってしまいそうになるときもあるけど、やはりそこは踏ん張って、理解はできなくても、想像をしてみたいし、それも難しかったら、同情に近い形で(エンパシー)愛してあげたいとも思うのだ。

パズル

2020-09-07 | Weblog
20代の頃、劇作で行き詰まったときに指南書としてページを繰っていた本が2冊あってそのうちの一冊は「ヒッチコック/トリュフォー」(もう一冊は「ワイルダーならどうする?」)。若きトリュフォーがベテランのヒッチコックにインタビューをしたその本は、どの行も金言に溢れているのだけど、そのインタビューの様子がドキュメンタリー映画としてあるのを最近知って、それを見た。文章からしかわかっていなかった声のトーンや表情をこうして実際に映像で目撃することは不思議な追体験だった。そして改めてトリュフォーの物怖じしない態度、それに真摯に答えるヒッチコックの懐の広さ、丁々発止の先に、年齢を超えたお互いのリスペクトが垣間見えて、清々しさを感じた。当たり前だけど、フランス語と英語で会話してたこと、そこに通訳がいたことに気づき驚いた。で、その通訳の人のキャラクターなんかも(とても愉快そうな人だった)、実は大きく影響していることも知れて良かった。
あの頃、レンタルビデオ屋(懐かしい響き!)で、ヒッチコックの映画を片っ端から借りて、全部見た(初期の短編は置いていなかったのか記憶にないけど)。好きになった監督の映画をなるべく全部見るというのは、もしくは見た経験というのは、いつまでも自分の感性に残りやすい。その中には面白いものもさしてそうでないものも混じっていて、それでも面白さというのは、実は一つ一つの作品で計られるものではなく、体系的に見えてくることだと気づく。特にヒッチコックくらい多作でかつ自我が強い作家の場合、あれとこれが混ざり合っていてひとつの実験であり、鑑賞者にとっても完成するパズルの絵のようになっていることだってある。そういう発見もまた監督至上主義的鑑賞法の醍醐味のひとつだ(俳優やプロデューサーや編集マンなんかでそれをしてももちろん別の発見はある)。
一応、単体での僕のベスト3は「ファミリープロット」と「北北西に進路をとれ」と「裏窓」。今見たらまた違うかも。

中と外

2020-09-04 | Weblog
神戸から大阪までの新快速。ボックスシート。僕の向かいには一人の女性。アイロンのあたった白いブラウスに黒のセミタイトスカート、膝の上には上着が畳んである。就活中だろうか。その女性はずーと船を漕いでる。あんまりじろじろと見てはいけないと思いつつ、つい目がいってしまう。何度も何度も頭ががくりがくりと落ちる。そのまま首がもげて地面に落ちてしまうんじゃないか。しかし限界の一歩手前で、ふと目を覚まし我にかえる。しかし睡魔には勝てない。しばらくすると再び船を漕ぎ出す。疲れているのだろう。暑さもひどいし。
こういう部防備な人、たまにいて、見てはいけない、と思うが好奇心は駆られる。あえていえば素だからだ。思うに、人は外でほとんどの場面、仮面を被っている。
その仮面がとれているところに興味がわくのだろうか。

ところが子どもは違う。うちの三歳児にはまだ外と内の違いはほとんどない。仮面を被ることはない。
たとえば歌をうたう。電車の中でもどこでも。最近は彼の中でPSYの「カンナムスタイル」が流行っているので、電車の中でよく大声で歌っている。
しかし、子どもが電車の中で歌をうたっていてもそれをとがめる人はいない。笑う人もいなければ変に思う人もいない。子どもだからだ。
では、これが何歳を過ぎれば人は変だと思うのだろう。中学生?高校生?20歳から?うーん、年齢というより、照れなく歌ってくれれば何歳でもokな気がしてくる。
そういえば時たま酔っぱらってるからか、自転車を漕ぎながら大声で歌ってるおじさんとかいるよね。
大人だってきっと外でも歌をうたいたいときはあるのだろう。歌っていいと思う。

中と外がごちゃごちゃになる世界に住んでいたい。仮面も非仮面もごちゃごちゃに。

COVER

2020-09-02 | Weblog
カバーが好きだ。
カバー音楽のこと。たとえばビートルズのカバー。井上陽水のカバー。今夜はブギーバックのカバー。WANNABEのカバー。いろんなカバーが世の中にある。ジャズやクラシックなどの多くもカバーと言えばカバーだけど、ここでは一応歌ものという括りにしておく。
今日はカバーを聴こうと思う日がある。
新しい音楽を聴くほどには集中力もなく、かといってBGMとして保守的ないつものやつをかけたいわけでもないとき。部屋の窓をあけて少しだけ風を取り込みたい、そういう気分のとき。簡単にいい気分で目を覚ましたいとき。
あるとき、名曲が誕生する。その後、別のミュージシャンがその名曲を演奏したり歌ったりする。自分の解釈で。その循環は何か素晴らしいものに思える。美の再生産、増幅、まるで螺旋構造の遺伝子がほつれ、再びからみ、新しい子孫を作るような奇跡にも思える。カバーは原曲を超えられない、という意見もあるだろう。しかし超えるとか超えられないとか、音楽に必要なのだろうか。
そんなことを思ったのも先日録画してた「ナニワサリバンショー」を見たからだ。忌野清志郎、RCの音楽を今の人たちがよみがえらせるフェス。渡辺大地さんの「ヒッピーに捧ぐ」良かった。それまで渡辺さんの歌を聴いたことなかったけど、これを契機に聞いてみよう。
そういえばTHE TIMERS の「COVERS」は、僕が最初にカバーの良さを意識したアルバムかもしれない。デイドリームビリーバー。ほろ苦い高校時代のいろいろも一緒によみがえる。

タワーのこと

2020-08-06 | Weblog
東京の東側のベイサイドで生まれ、そのあとは江戸川区で小6まで育ったので、東京タワーは子どもの頃何度も通ってる。家族で学校で町内の友達たちと。高所恐怖症の僕は展望階の透明な床が怖くてしょうがなかった。悪趣味、だと思ってた。それでいうと蝋人形館も怖かった。一体全体誰がこんなことをして喜ぶんだ、と幼心に怒りと疑問を感じていた。つまり、東京タワーは、見世物小屋とかお化け屋敷とかに近い怪しくて近寄りがたい場所だった。でも東京の東側の人間からすると遊びに行く場所は、亀有か東京タワーか有楽町か、狭い選択肢しかなく、行きたくもないのに何度も行って、いつしか、おそろしいものにこそ抗いがたい好奇心が沸く、という人間心理の、欲望の、不思議さを実感していった。

それから30年以上経って、まさか自分が東京タワーに関わることになるとは思ってもいなかった。あの蝋人形館があったフロアだ。そこにワンピースのアトラクションができることになった。およそ5年前の2015年のこと。集英社や東宝、ネルケ、アミューズなどなどの会社が関わるなかなかのビッグプロジェクトで、その年の元旦に新聞に一面広告が出たことを覚えている。
オリジナルテンポで海外公演をするようになったり、大阪でノンバーバルのパフォーマンス劇を創ったりしているうちに、自分の興味が”海外”とか”ショーの演出”にむかっていっていた頃だったのもあって、棚ぼたというか、千載一遇のチャンスだと思って、二つ返事で引き受けた。
ワンピースという日本を代表する漫画のテーマパーク。そこのステージで毎日ライブをする。そりゃ、わくわくするでしょ。それに何にもないコンクリート打ちっ放しのフロアを改造するところから参加できたのも嬉しかった。いわば専用劇場をつくるということだ。その頃、東京で一緒にやらせてもらってたスタッフでチームを組んで、ここでしかできないもの、ここでしか見られないものを創ろうと鼻息荒く挑んだ。
まあ、次から次へと問題は起こったけど、それを上回るアイデアを出して、無理ゲーをなんとかチームワークで攻略し、初日を迎えた。
とにかく、楽しかった。何が楽しかったのか、と思い返せば、創りながら学ぶことも多かったからだと思う。今まで何度も遊園地やテーマパークでショーは見てきたけど、それがいったいどうやって創られていくのか、どうやって運営されるのか、どうやって毎日事故なく公演を打てるのか、わかっていなかった。作品の中に関しても、録音した声でどうやって演技をするのか、ダブルキャストの違いをどうやって解決するのか、観客にどうやったらリアルさを感じてもらえるのか。
他にも、こういう場所だからこそできる観客の能動的な参加や、言葉がわからない人たちへのアプローチや、ワンピースという世界観の中での演劇的な見せ方や、キャラクターというものの捉え方、コンテクストの使い方など、教科書になるようなことを実践で学んだ。それはもう大学に4年間いくよりも、多くの知見を得たと思う。
1分間に1回は驚くようなことをしたかったし、手に汗握って、最後は一緒に歌って踊ってもらえたらそれで良かった。
ありがたいことに、5年半続いた。毎年リニューアルを繰り返し、再演もあったけど、いくつもの実験と挑戦をさせてもらった。長い間やることで、経験も活かされていき、自分にとってはホームグラウンドというか、毎年ワンピースの稽古がはじまると、よし今年はさらにここを追求してみよう、と企んだものだった。意外なことに、”ショーの演出”をすることで”より演劇的なものとはなにか”を考えることができた。生声を出せない、頭から最後まで決まった動きをしないといけない、などなど普通の演劇よりも縛りは圧倒的に多い。しかしその縛り(ルール)は、僕にとって実に演劇的なものに還元できた。だから何回やっても楽しかったのだろう。
キャストに関してはそれを365日するわけで、そのことが彼らの身体におよぼす影響はすごいことだと思う。僕個人的には、東京タワーに出てた人たちは、もうそれだけで十分俳優修業をしてきたと思って信用している。

コロナのせいで、中途半端なタイミングで閉園することになったわけだけど、とてもとても大きな財産として自分には残っている。

世界中から見に来てくれた人たちの中には、人生で最初の生の舞台って人もいただろう。旅の途中にふらりと寄ってくれた人もいるだろうし、もちろんワンピースファンだという人だってたくさんいた。子どもから大人まで、目を輝かせながら、開演のベルを待ってくれている人たちがいて、あの景色は、やはりテーマパークじゃないとなかなかうまれないものだった。とてもとても幸せな場所だったのだろうな。またいつか。

初日と千秋楽

2020-07-31 | Weblog


本日2020年7月31日は、舞台「スケリグ」の初日で、東京ワンピースタワー5年半の歴史に幕が閉じられる日になった。
「スケリグ」は、昨年上演されたもので、再演の話が決まった時はまだこういうことになるとは思ってなかった。もちろん中止にするかもという状況はあった。しかし、プロデューサーの江口さんをはじめ、たくさんのスタッフ、そしてもちろんキャストが、こういう中ででも安心して見てもらえるよう最善を尽くし、やるぞと決めて邁進してきた。演劇の創作以外の対策や準備、劇場での換気実験(これは新聞にも載った)、抗体検査にpcr検査、観客への対応マニュアルなどなど、山盛りやることは増えている。制作陣は勿論お金の勘定もそこに入れている。
日々すり減りながらも、ようやくここまで辿り着いた。感謝しかない。
まだ安心はしていない。けれど、やらないという選択肢は、結局のところ、自分たちのレーゾンデートルまでも潰すことになる。そう思う。
パン屋はパンを練り、大工は家を建て、音楽家は歌を唄う。演劇人は、演劇を作る。そんな当たり前のことを、はいそうですかと手放すわけにはいかない。
まあ世の中の不要不急や自粛などの話を聞いていると、少しだけ抵抗したくはなる。
なくてもいいと言われれば、まあそうかもしれないけど、そう言われないためにできることを始めるいい機会だ。

東京ワンピースタワーは、コロナの影響で閉園が決まった。ワンピースタワーとは東京タワーにある漫画のワンピースの世界を楽しめるアミューズメントパークだ。5年半前にできて、僕はそこのステージ演出を任され、毎年リニューアルをしている。この5年で一番多く通った仕事場は東京タワーかもしれない。正直、思い出がありすぎて、ここがなくなるなんて信じられないし、寂しいし、悲しい。でも仕方ない。来園者の多くは外国人や日本の旅行者で、今は彼らがいつ戻ってくるのかわからない。運営側も苦渋の決断だろう。右肩上がりに人気も出てきただけに残念でならない。
インバウンドを狙って作られた多くのショースペースやイベントは、このコロナでオリンピックも延期になり、大打撃を受けていることだろう。僕も仕事柄、そういうことに今まで関わってきたから、その被害は想像に難くない。
ワンピースタワーは無くなってしまうけど、世の中からワンピースがなくなるわけでも、東京タワーが消えてしまうわけでもない。そこで出逢ったスタッフ、キャストとも、また別の場所できっと会えるだろう。
今は、ありがとう、という気持ちでいっぱいです。

どちらも公演も生配信ありますのでぜひ!

https:// skellig.jp

https://onepiecetower.tokyo/news/452

秘密基地

2020-06-22 | Weblog
INTHEHOUSEでやるべきことが徐々に積まれてきたのだけど、一向にやる気が起きないので、気分転換、もしくは逃避のために文章を書いている。掃除をし始めたら昔のアルバムをめくり出すのと同じ原理。アルバム的に、いっそこの機会に過去作を振り返ってみようと思っている(神様のくれたモラトリアムな時間)。(そういえば今ってアルバムってあるのかな?あのプリント写真の時代!)
稽古して本番やってるときは、当たり前だけどその作品に100%心身を預けているので、生活のほぼすべてがその作品の創作過程として存在するのだけど、千秋楽を迎えた瞬間に、なにがどうやって作ったのか、どういう気持ちだったのか、さっぱりなくなってしまう。びっくりする。
だから一生懸命思い出して書くのは大変なので、自分の演出作品を題材にして、なにか今思うことを書いてみるだけになる。
順不同で書けそうなものから書いてみようと思う。

で、今日は「スケリグ」。これは、今再演の準備をしていて、とってもタイムリーだからだ。
「スケリグ」は、去年、2019年の12月〜1月に稽古があった。2018年の年末に「ハイキュー!!最強の場所」、その直後だったことは自分にとって大きい。というのも演劇ハイキューのシリーズものとして一旦の区切り、ある意味大団円、3年間の集大成をつくろうとしていた。とても力の入った作品になった。おかげで疲労困憊、終わった後はへとへと。フルマラソン走り終わったようだ。
そのあとに控えていた「スケリグ」は自然と肩の力の抜けた、深呼吸をしたあとのようなささやかな作品にしようと思っていた。もしくは走り方を試すように、持久走というよりかは短距離走的に、自分の新しいフォームを探すような作品になるだろうと確信していた。実際にそうなったかどうかは覚えていないのだけど、稽古場の場所とその空間のおかげで、まるっきり今までとは違う作り方ができた。
そう、稽古場によって作品って随分と変わるって話。
「スケリグ」に関して言うと、その稽古場はまるで秘密基地のようで、キャスト、演出部、スタッフと色々な実験を繰り返して、それをこつこつと積み上げていくような時間になった。誰も来ない山の中に小屋をつくって、そこに好きなおもちゃやお菓子や持ち込み、子どもたちだけで、その世界を創り上げるような、そんなやり方になったし、それが「スケリグ」の演劇世界にはあっていたと思う。
駅から少し遠い稽古場の立地や、地下に降りていく造りや、セットを立て込むとまるっきり美術だけでできている空間になることや、そこに照明や映像なんかも持ち込んでわいわい作るあの時間は、実際に子どもに戻ったような感覚になった。とくに音楽を生演奏ですることで、みんなでいろんな楽器をもちこんで、演奏したり、声を出したりしたことも、「スケリグ」がアナログな力で立ち上がっていくことに大きく貢献したと思う。

大きな稽古場や、窓のある稽古場、都心の稽古場、倉庫のような稽古場、いろいろな稽古場に毎回行くけど、好き好きはもちろんあるが、そこに作品が少なからず影響を受けることはある。だから作品のことを思い出すときに、まず最初に稽古場のこと、雰囲気、温度などを思い出す。ああ、稽古場に行きたいね、はやく。


準備

2020-06-09 | Weblog
6月に入り、本来なら「プラネタリウムのふたご」の稽古と、あともう一個の情報の出ていないリハーサルを重ねていたはずの日々なんだけど、それらは泡と消えて、相変わらず自炊とこどもと体重計だけを一日の寄る辺として生きている。その隙間に本を読んだりドラマを見たりもしている。絵を描いたり運動して散歩をして移ろいゆく季節を楽しんでもいる。先日は散歩の途中、近所の家の庭になる枇杷をもらった。空を見上げることも増えた。
これって相当幸せなはずだ。しかしどうも、幸せだけれど、物足りない、のも確かで。演劇を創りたい、という願望もあるけれど、そこにいくまでの準備すらできていないような有様だ。
とはいえ、演劇の準備ってなんだろう?生活をしていればそこには演劇はある。と思ってずっと生きてきた。この教えは誰に教えてもらったわけでもないのだけど、たぶんオリジナルテンポをやっているときに自然と身についた。限界芸術とまではいかないけれど、生きていればそこには発見があり、その発見こそが芸術になると、そう信じている。
おそらくコンプレックスからきている部分もあると思う。周りを見渡して、様々な尊敬する人たちと自分を比較して、特別な何かが自分にはないとあるときに気づき、「to be or not to be」的に、自問した。このまま、ゼロのまま、人になにかを見せる仕事をしていていいのだろうか、と。自分の心に問うてみても、ありあまるオリジナリティ等一切なく、語る物の少なさ、ありふれた人生、できることの稚拙さ、と、マイナスな要素しか出てこない。
それでも、止めなかった(to be)。それは、まあ、いろいろあって(色々な人に出会ったおかげで)、そんなことを理由に止めるなんてくだらないし、間違っていると気づいたからだ。
ゼロならゼロで、描けることは、ある。そのうちのひとつが、生活だったりする。生きているひとみんなが、発見することを、ひとつの形として切り取り、提示することで、そこに何かがあると思えた。
深い意味などなくてもいい。それは僕が決めることじゃない。
さて、長い自粛期間で、もちろん問うてみる。発見したことを演劇にできないだろうかと。そのことがひとつの準備だとすれば、かなりいろいろ準備はできてきている(頭の中だけ)。楽しみはこれからだ。

血肉

2020-05-27 | Weblog
みんな元気? 

手帳を見返すと3月21日の初日から会っていない。そのあとも兵庫、宮城、福岡と続く予定だったので、あたりまえだけどきちんと締めの挨拶もしていない。なんなら「だめだし」をしっかりして別れた。このあとの公演での伸び代を期待していたし、やれることは千秋楽までやるつもりだった。役者もスタッフもそのつもりでいてくれていた。
それに、開けた東京公演は、赤間役のリクが怪我で一時離脱することになるという大ピンチが襲っていた。なので急遽代役でアンダースタディのタクが出ることになり、本番の5日前にそれは決まった、なので実は僕らは稽古場は終了したのだけど、スタッフが仕込んでいる最中、別の稽古場を借りて、タクとあわせる稽古をしていた。
劇場に入ってからも場当たりのほとんどはそれに費やされた。ということもあり東京公演が終わっても、地方に向けてまだまだやることはあったのだ。
あの4ステージは、奇跡のように、素晴らしいものではあったけど、それは火事場の馬鹿力的な、そういう一過性のものでもあった。これをもっと冷静に、2ヶ月間のロングランを健やかに演じられることになれば、まあ無敵だな、と思っていた。そういう前向きな終わり方をした東京公演だった。そしていつか帰ってくるリクのために、より完成度を上げていくことに使命感を持っていた。僕もキャストも。
終わってしまったことをいつまでもくよくよしていてもしょうがない。少なくともあの濃密で創造的な稽古ができたことでも感謝しないといけない。新生烏野があんあに大きくなるとは思っても居なかった。予想以上だった。ほんと、驚いた。そして稲荷崎も食らいついていた。お互いがお互いを高めあうとてもよい環境だった。そのことは忘れないで未来に繋げないとね。
和太鼓の生演奏も、いくつもの地獄と呼ばれるダンスパフォーマンスの連続も、最後のたたみかけるラリーも、マッピングと綿密にあわせて作ったOPも、2幕のはじまりも、全部のプレイが好きなシーンだ。ああ、いつかまた”生”で見てみたいな。

いま、なんの稽古もしていない。2ヶ月、家族以外には誰にも会っていないのだから(オンライン以外では)当然だ。果たして感覚を取り戻せるのだろうか。架空の演劇の架空の稽古のことをせっかくだから頭の中で考える。作り方もできあがるものもきっと変わるだろう。そうすることで、この2ヶ月が血肉になる。

じゃんけん

2020-05-20 | Weblog
地球にやってきてもうすぐ三年目のわが子がじゃんけんを覚えたから今日はじゃんけん記念日。
今までも何度となく、グーのようでグーではない何かは手で作っていたのだけど、ついに、三すくみ全て拳一つで表現できるようになった。名前も覚えた。チョキはちょっと怪しいけど。
別に教えたわけではないのに。
この、別に教えたわけではないのに、ということが毎日一つはあって、いったいどこで仕込んできたんだろう、と不思議に思う。しかし火のないところに煙は立たないわけで、無意識に発している親の言葉、テレビから流れてくる音、YOUTUBEの少し先輩たちの行動を学習して自分なりに解釈して、あっていようがいまいが、勝手に使っていく。使ってさらに周りの反応を見て修正していく。
形容詞にかんしては特に不思議で、怖いとか暑いとか、そういうのなんでわかるんだろう。 その心の中で起きていること、体が感じたことをどうして「それ」だとわかって言葉にしているのだろう。赤ん坊が立ち上がる瞬間や歩き出す瞬間も感動したけど、形容詞ひとつひとつを発した瞬間も、ミステリーな感動がある。
あと色ね。青!って言葉を発したときの驚きたるや。僕らの目は繋がっているのだろうか?

じゃんけんに話を戻すと、ただただこどもとじゃんけんをして遊ぶ、無為な時間がいとおかしい。勝手に、じゃんけんって何かを決めるときにすることだと思ってしまっていた。しかし、ただの遊び、戯れとしてじゃんけんを嗜むというのも悪くない。勝っても負けてもなにかが待っているわけではない。ただじゃんけんをするだけという純粋な行為。今度大人同士でもやってみよう。そういえば、僕のジョジョベストバトル第1位は「じゃんけん小僧がやってくる」です!圧倒的イイイイイ。

徒然

2020-05-14 | Weblog
楽しい巣ごもり、とは口では言ってるが。

次々と進めていた舞台が目の前から消えていき、未来は白紙になっていく。若い頃は、手帳をすぐに埋めたくなる性分だった。少しは変わったかもしれないが、さすがに1ヶ月以上なにも予定がないのははじめてで、なんだか笑えてくる。代わりにオンラインでできることを探さないと、と思いつつ、実際はオフラインでできることの方が面白い気がしている。実験として、誰とも繋がらないで、生きていたいと思ってしまう。

移動と密集。このふたつは都市のあり方そのものだから、それができないとなると今後都市部に住む意味は失われるのではないだろうか。もしくは都市部に田舎的な地域コミュニティが復活して、小さなサークルが生活の基盤になるのか。他人も自分も感染者だと思え、という専門家会議の提言はわからないではないけど、家族をそう見なすことは難しいし、隣の家の人は?など考えていけば、自然と自分の半径何メートルの地域の人たちは許すことになっていく。うん、過敏になりすぎるのもどうかと思う。バゲットをぶんぶん振り回してソーシャルディスタンスをとる人間にはなりたくない(フランスではあるらいし)。

密集はさておき、移動が制限されるというのは、旅好きとしては非常に困る。少し前のニュースで、日本のパスポートは最強で、ビザなしで行ける国が世界でもトップクラスに多いのだと聞いたばかりだ。これから先、渡航許可を得るのに、いったいどれだけ苦労することになるのだろう。そういえばアフリカで発生したバッタの大群のニュース、最近聞かないけどどうなったのだろう。バッタは密集して移動しまくっていた。彼らに全部持っていかれた。

ここまで明確に自由を奪われた経験ははじめてかしら。いや、神戸の震災の時に、2ヶ月以上入院したときも、どこにもいけなかった。あのとき、自分のベッドが窓の近くになったときとても嬉しかった。四角く切りとられているとはいえ、青い空を眺めるのは、心休まるものだった。そういえばこの軟禁状態がはじまってからも空を眺める回数は増えた。ぼんやりするには、ちょうどいい色と大きさなのかもしれない。

僕は知らないけど、教科書で習った、戦後のGHQが行った教育改革とか、そんな風な、白が黒になることが今起こっているのだろうか。それともこれは世界全体を襲った大きな津波なのだろうか。アフターコロナもウィズコロナもそのネーミング以上にはなにもわからないし、あの頃の自由はもう手にすることは(しばらくは)できないとなれば、新しい自由を創らないといけない。そしてそれを楽しむ。僕はたぶん今までの人生で、自分で手にした自由というものはない気がする。そのくらい自由が当たり前すぎて、空気とか水みたいに、見えないものになりすぎていたことを反省してる。反省ていうか自覚。ウイルスも自由も見えないものだからこそ、もっと目をこらさないといけない。目以外を使って。

自粛か禁止か

2020-05-12 | Weblog
自粛か禁止かどっちがいいのだろう。
今のところ、この日本では他の国がやっているようなロックダウンは起こりそうにない。それは法システムとしてできなさそうだ。日本人の多くが過去の戦争のなりゆきみたいなものを恐れた結果なのだろう。この国ではファシズム的な政権が現れることは難しい仕組みになっているようだ。そのことを知れたのは良かった。もちろんだからといって戦争に巻き込まれないとは限らないけど。
で、それゆえに、禁止されないまま、長い自粛が続いている。補償の件は置いておいて(それは自粛だろうが禁止だろうがなされるべきものだ)、精神的なじわじわ感、真綿で首を絞められている感でいえば、ずばっと禁止にしてくれた方が楽なんじゃないかと思ったりもする。しかし、楽さは、怖い。楽な道にろくな道はない気もする。
それに、自粛という自主性に任されていることで、僕らは市民としての責任を果たすことになっている。ここまでひとりひとりが、この国の未来に関与しているんだという意識になったことはなかったのではないだろうか。僕はない。市民教育なんてされた覚えはないけれど、この数ヶ月でずいぶんと賢くなった。
そういう意味では、自粛は、政治的な活動のひとつだ。自粛はデモに近い気がする。もしもこの国の未来を気にせずに、小さな国家転覆をはかりたければ全員で自粛を止めちゃえばいいわけだから。それを誰にとがめられるわけではない。アイドルが政治的な発言をしてうんぬんかんぬんみたいなことも、ここまできて政治的な発言を一切しないことなんて逆にあり得ないだろう。政治家のすることにイエスとノーを言い続けることと、自粛はワンセットだ。
しかし、このままいけば、小さな国家転覆は起こりうるだろうな(外に飛び出すという簡単な方法で)。政治家はその前に、愛のある決断をして欲しい。

12人の優しい日本人

2020-05-09 | Weblog
すでに学生劇団で演劇をはじめていた。最初はサークルの先輩に映画を薦められて見た。衝撃だった。端的に言えば、こんな日本映画があることに驚いた。それからこれが東京サンシャインボーイズという劇団の作品であることがわかって、大阪の近鉄小劇場に公演を見に行った。一夜のファミレスの話だったと覚えている。「もはやこれまで」という変なタイトルも印象深かった。それからは大阪公演があるたびに通うようになって、作家の三谷さんの名前を今度はテレビドラマで見つけるようになり、「振り返れば奴がいる」、それも毎週楽しみに見ていた。サンシャインボーイズの作品はおよそ1幕物で、舞台美術もワンセット、いわゆる舞台らしい舞台なのだけど、なぜかそれに反して「演劇ってなんでもできる」と思わせてくれた。
「12人の優しい日本人」の舞台版は記録映像かなにかで一度見ることができた。映画で何度も見ていたけど、それでも格別に面白かった。こんな風に人を楽しませることができたら幸せだろうな、とも再び思った。
youtubeでzoomで、あのときの劇団員が(全員ではないけれど)揃っている姿は自分が演劇に対してわくわくしていたときのことを思い出させてくれたし、感覚はあの当時に戻れたし、やっぱり、こんな風に人を楽しませることができたら幸せだろうな、と思った。
新型コロナが運んでくる新しい演劇の形、そういうものに今はあまり関心が向いていないけど、演劇の面白さを考える時間にしようとは思った。

平行世界

2020-05-08 | Weblog
雷の夜に、突然、右肩の肩胛骨のあたりに肉離れのような痛みが走り、そのあとは、肋骨も(折れたことないけど)折れたような痛み、なんだこれは?雷がどっかに落ちて、回り回って、この体に電気を流したのか、と思ったが、おそらく夕方頃こどもと遊んでいたときの不自然な体勢と力の入れ方のせいだろう。テレワークというが、一日家にいると、ワークする時間はなかなかない。本を読む時間も、ネットフリックスを見る時間もほとんどない。有り余るこどものエネルギーを文字通り消化させてあげるだけで、日は昇り沈む。それはそれで本を読むよりネットフリックスで連続ドラマを見るより(ストレンジャーシングス面白い!)有益な気もするけど。
およそ2歳から3歳の間のこどもにこのパンデミックのことを説明するのはとても難しい。最初は京王ランドという郊外にある子供用の施設が行ってみたら閉まっていた。3月の中旬くらいのことかな。それから大好きな電車に乗れなくなり、公園からも閉め出されて、なにかと「閉まってるの?」という質問で状況の不可思議さを確かめてはいるが、恐ろしい理由や歴史的な出来事であることは、まったくわかってはいない。
わかっているからといって、大人たちが、この状況をうまく呑み込めているかというと、おそらく2〜3歳児と同じくらいに状況には対応はできずにいる。もしかすると大人になるほどにバイアスやら生半可な知識や経験で、曇った眼鏡で見ている。そのせいでこんなことになっていると言えなくもない。こどもの見ている世界の曇りのなさは驚くばかりで、平行世界に住んでいるんじゃないかと思うこともある(まるでストレンジャーシングス)。そういう平行世界を行ったり来たりできる能力が大人にあるといいし、僕は欲しい。ああゲート!

千秋楽

2020-05-06 | Weblog
とてもとてもひさしぶりにブログを書く。この時期、つまりは家から出るな(stay home)がはじまってしばらくしたら、まずできることは文章を書くことだと思い当たり、とはいえTwitterに関しては疲弊するので一日に1回とか2回しか開かないようにしているので(その理由はわかりますよね)、どうしようかと思いnoteをトライしたりしてみたのだけど、なんかしっくりこずに、やっぱりここに戻ってきてしまった。深く考えずに、つらつらと文字数も気にせず書けるのがいい。誰が読んでようが読んでなかろうがそれも気にならない。いいねとかもないのがいい。落ち着く。しばらく続けてみよう。

今日は本来は「ハイキュー!!最強の挑戦者」の大千秋楽だった。
はじまりの東京の4回だけ公演できた。そのあとは全滅だ。関係者は皆、粘ったのだけど、非常事態宣言が決定的になった。公演中止。今までの演劇人生で2回だけかな。2011年の3月に行われる予定だったPLAY PARKというフェス。震災による自粛。それと去年の「セーラームーン」。台風で3ステージほどなくなった。最近はインフルエンザや台風など、興行主の危機管理を試すようなことが増えてきたように思う。どういう風潮なのだろう。想定できる命に関わる危機は、責任者を明確にしたいということなのだろうか。「なにかが起こったときどうするんだ」という天からの声のボリュームが大きくなってきたのだろうか。一長一短だと思うのは僕だけかしら。まして「自粛」というワードで世論を作るのもいかがなものかと思う。
本来の昨日は、なんかおかしな文言だけど、もうひとつの昨日は、静岡でストレンジシードが千秋楽を迎えていた。おかげさまで天気にもめぐまれ、4日間すばらしいパフォーマンスが見られました。皆さんありがとう、なんて挨拶してたのだろうか。今日は雨。だいたい雨なんだよな、バラシの日って。(ストレンジシードは延期)

千秋楽とは言いたくない。全然言いたくない。じゃあ、なんて言ったらいいのか。それがわからないから、こうして悶々としている日々を送っている。