坂本龍一さんが代表を務めて、水谷伸吉さんが事務局長をされている(一般社団法人)more treesさんを通してプランター製作のお仕事をいただいてた(一般社団法人)エコ食品研究会さんの
http://ecoken-workshop.jimdo.com/
ワークショップに気仙沼まで行ってきました。
仮設住宅の方々への自然栽培でのプランター野菜作りのワークショップです。
このプランターで作られた自然農法の野菜は、もちろん自分で食べてもいいんですが、ちゃんと「買い取って」大手法人の社員食堂さんで使ってくれるという…重要な「出口」が確保されているという、まったく素晴らしい事業で、ぼくは、ほんとに若い彼らのトライに心をうたれてしまいました。そんなこんなで今回は2回目の応援としての気仙沼入りでした。
埼玉を朝5時過ぎに出れば、高速道路で6時間ほどで気仙沼に到着します。
昼には現地に着いて自然栽培用の農薬の無い土の採取の作業をしました。
耕作放棄地の土をふるって袋詰めします。
二人ひと組になって作業をします。
ぼくはやる気満々だったのですが、作業は3時前には終了しました。理由としては私たちボランティアを管理してくださる気仙沼復興協会さんがちゃんと時間割を考えてくださっていて、私たちは翌日配布の土を確保するまで夕刻まで作業するつもりだったのですが、そのメドもたったという事でぼくらは極めて短時間の土集めになってしまいました。
作業は朝9時からおこなわれていたようで、それに間に合わせるには深夜2時くらいに出なきゃならないので、そうなると睡眠をかなり削っての工程となりますので、帰ってからの月曜の仕事だとかに大きな影響も考えられるから思案のしどころです。新幹線だと体力は余裕だけど経済的には自分の財布の中身が削られます。4人乗り合わせなら往復の交通費が約1万円ですから、やはり、「車で乗り合わせで早朝に出発」というのが持続可能なちょくちょくいける支援ということになります。月曜日に居眠り運転で…では洒落になりませんものね。
「土集め」を終えたら、陸前高田でワークショップをしている部隊と連絡をとって、翌日の日曜日のワークショップに配布分の土やプランターを陸前高田から帰ってきたトラックに積むなどの作業をして土曜日は終了。気仙沼に宿泊して翌日に備えます。
翌日は気仙沼市内の公民館にてワークショップのお手伝い。
事前登録された、たくさんの仮設住宅の方々が集まってこられます。久保さんのワークショップが始まりました。久保さんの人柄があぶりだしのおしろいぼりで、とっても楽しくも考えさせられるワークショップです。「食」を通して「種」や「農薬」や「貿易」や…様々な事が重なりあいます。久保さんはそれを悲壮感なく…だけど率直にお話されます。ぼく久保さんの話だいすき!
プランターの説明の時は「はい、これを作った人が今日はきてますから、じゃぁ加藤おとうさんお願いします!」
はい加藤おとうさん頑張って説明します。
「この材料は隣町の志津川の杉です。だけど今は地元でプランター作れる会社がないし、あってもテンテコ舞いだから、埼玉の弊社で作らせてもらいました。塗料はドイツ製のリボス社の自然塗料を使っています。植物由来の、なめても大丈夫な塗料です。実は杉は内部の7割くらいは空洞で空気なんです。私たちの身に回りの素材で最も温まりづらく冷めずらい素材は空気なんです。だからその空気を暖めようとか冷まそうとかしてエアコンに頼って暮らしてるのはナンセンスなんです。話はそれましたが、そんな断熱性の高い空気が7割も占めるこの杉のプランターは、灼熱の夏も土がゆだっちゃわないし、寒い寒い東北の冬期も土が凍りつきづらい最高のプランターです。樹脂やプラスティックのプランターとは性能自体が違うんです!!更には最終的には土に還る素材ですから環境に負荷はまったくかかりません。樹脂のプランターはただゴミとなって次代に負荷をかけます。そんなプランターで日本の在来種の種で美味しい野菜を作ってくださいね!!」
家を流された方々は海沿いの方が多かったからなのか?「野菜作り」に関してはあまり詳しくない方が多い印象があります。そういう意味でもワーウショップは必要です。
ワークショップ終了後に、プランターと土を来場者の車に積むのを手伝います。年輩の方も多いので、腰などを痛められては困りますものね。
ぼくが最初に積んで差し上げた女性は公民館の隣の仮設住宅を指差して、何か話しかけてきました。
「えっ?」
「毎日まいにち、こんなトコ(目前の仮設住宅を指差して)で何の楽しみもなく生きてて…ありがたいことです。今日からは楽しみができました。本当にありがとうございました。」
「しかも、そんじょそこらの土や種じゃないんですからね。最高のお野菜を作ってくださいね!」
おれ泣きそうだった。
6時間かけて運転してきたことも、往復の交通費も、今日の為に残業して頑張ってきた事も…
もうぜーんぶ、このいただいた言葉でそれだけで報酬は充分でした。それどころか「おつり」の涙がでそうだった。
水谷さんからいただいたお仕事がご縁で、久保さんと出会えて、とっても勉強になったばかりか
ぼくが仮設住宅の方々のお役にたてるなんて…、ぼくは死ぬ前に、この事を思い出して、この世に生を受けた甲斐があった証明として思いだして死のう。親や子供や友人の役に立つのは人として当然の事なんだろうけど、親が2人子供が1人、友人は50人として(知り合いは数100人いるけど友人は勘定したことないけどそのくらいかなぁ、その人の幸せが自分の喜びになる人は友人、そうでもない人が知り合いかなぁ・・・)たった53人の役にしか立たなかった人生はさみしすぎるからなぁ。
自分の得意分野にて、無理せずに持続可能に、この54人目以降の方々のお役にたてるような生き方をしていきたいよなぁ・・・
…と考えながら帰路につきました。