陽の日記

心のままに・・・

日記

2013年05月22日 16時17分38秒 | 日記
ゴッホは生涯の最後37才、自殺と言う瞑目で幕を閉じた、巨匠だった。
今となっては絵を描く事が好きであったのか?さえも分からないゴッホ、
ゴッホは画家になると固い意志で決めた時から、一途に絵と向き合うが、
絵も売れず、うだつも上がらず、瞑想している作風でありながら
ゴッホ展は人気があり、盛況だっだ。

京都市美術館で行われた”ゴッホ展”観に行きたいと思っていた。成果がでて
最終日の2日前、行く事が出来た。以前からテレビで、ゴッホの事、
何度か見ていて、美術の授業でも必ずゴッホ。知らない人は居ないが、
ゴッホの苦悩・・・この年になり考える事が出来るまで、気が付かないのも
間抜けな話である。

ゴッホの絵で、良いと思われるものはない。しかし、自画像はよく描けている。
筆のタッチも、色合いも、バランスが良いと思う。しかし、一枚の絵の中だけで、
全作品を通して見てみると、たいした絵は無い。そこの所が人気が無く、絵が売れず、
という所なのだろうか。

しかし、ゴッホに教えられた事がある。”その場に適応する努力をする。”と言う事。
ゴッホは適応する努力をしたが報われなかった人である。そう言う人も居る。
死後、日本で”ひまわり”が高値で売れる。皮肉なものだ。

ゴッホ、ゴッホと大人のぜん息にかかったようだ。

日記

2013年05月14日 19時18分57秒 | 日記
暑くなってきた。日中の温度、30度近くになると
半袖のシャツ、半ズボンでも良いが、夕方、日がかげると、
着替えなければならず、それが邪魔くさくて、日中の暑い中でも
長ズボン、長袖と言ういでたち、この"ズボラ"も程々にしておくべきだと、
最近の、体調不調の中で思うようになった。

映画、”レ、ミゼラブル”を観に行く。ミュージカルでロングランされていた物語。
この映画も、何ともミュージカル。この様な映画を見たのは始めてだ。
主人公の一生を描いた、激動の時代に生きて、犯罪者から市長まで
この様な生涯、可能なのだろうか?と思うが、見る人に面白く?見て頂こうと思う
”作家の思惑”が面白いのかも。しかし、それでは、物語の本質的な面白さでは無い。

しかし、この物語に携わった人、(私も含め)愛を語らずにはいられない様だ。
主人公のジャン・バルジャンは愛を知らずに生涯を閉じたと思う。
ファンテーヌを愛した訳でもないのに、ただ、自分の責任において、
愛でコゼットを養育し育て上げたと。
ポスターやオフシャルサイトでは”愛とは生きる力”と歌ってある。

子供を育てる事は愛ではなくて、授かった故(ゆえ)の義務で、
愛とは好きになった人との育み・・・
私がこんな事を言うには100万年早いのかもしれないが。
親子関係だけでなく、どんな人に対しても何にでも、愛、と言う風習かはびこっている。
愛する人は1人と言う所が無いと、糧がない。

その点で、ジャン・バルジャンは愛を知らずに生きた。この物語で、
愛と言う言葉が、かもし出される事は、ふに落ちない感じがする。
愛なんて無いだ。
日本語に翔訳された黒岩涙香さんがおっしゃっている”ああ無情”の方が
作品にピッタリと来る感じがする。







日記

2013年05月05日 13時51分19秒 | 日記
今年も5月になり、時間の経過だけが足早に過ぎていく。
ゴールデンウィークと言いつつも、動きを止めることが出来ない為か、
毎年変わらず、こそこそとしている。人の余りいない所を探し出すのも、
一苦労、その一苦労を買って出る事が出来るのも、若く、健康な間だけ、
もう何時?何どき?等と考えるのも、そろそろ茶飯事?になってきた。

そんな事を考えていると、京都には多くの神社やお寺があり、
そう言う考えを何とかして貰えるの?ではないか?等と
あつかましい思うが、謙虚に頼りにしてしまう所がある。

吉田神社では結婚式が取り行われていた。
そう言う気持ちを持った人の前で、若い二人が結婚式を挙げている。
2人には、事を厳粛に受け止めるには絶好の場所だと思う。
最近はホテルが支流だが、神社での結婚式は雰囲気もさることながら、
周囲の人達や私には、希望の様な物として見える。
若い二人が希望を解き放っている場所はここだって感じ。
2人の背後ろから是非、幸せになって頂きたいと神殿の前で祈る事も出来る。



吉田神社では神職5人で雅楽器を奏で(かなで)て下さる。
結婚式は是非、神社で挙げて頂きたい。と思う所だ。

吉田山の山頂のカフェで一服。市内一望とは行かないが、西山の山並みと
御所(京都の人は京都御苑の事を一般に御所と言う。)周辺は良く見える。
茂庵と言う趣のあるカフェ、
山登りで少し疲れた所の柚子ジュース、美味しいです。