提案であれ、打診であれ、さらには命令であっても「できない」を即答する人は職員にも利用者にもまたその家族にも多い。「できない」の沸点が非常に低い。「できないことははっきりと言うべき」、「できることしかやらない」とか「できることから始めます」という一連のご説明にはどこまでも慣れない。「できない」は「できなかった」より性質が悪い。取り組んでもいないわけだから。結果「できなかった」ことはその過程で様々な気付きを得ることが多く間違いなく次につながる。分厚いブラウン管テレビしかない時代、「壁にテレビをかける」とSFめいた話をぶち上げた人たちが周囲の失笑に屈していたら今でもテレビはリビングの主だったことだろう。きっと経過の中で様々な失敗を繰り返し泣きながら吐きながらだったと容易に想像できる。
できることをやるのは誰にでもできることなのではっきり言って大した価値はない。そうした人の材料としての人材はいくらでもいる。できないことをできることに仕上げて初めて価値だと思う。そういう人たちはかけがえのない財だ。人財である。
「うちの子は絶対そんなことできませんから」という家族のできないと「絶対無理」という何をもって絶対?のできないの日々の中、「無理かもしれない」と思う案件を一晩かけて分析、複数の対策を発案し、それでもそれぞれに不足する要素を具体的に示したプランをいただいた。「その意気やよし」である。0の次は1ではない。0と1の間には無限の数値が存在する。0はどこまでも0のままだ。0.000001でしかなかったとしても未来への可能性は遥かに大きい。
できることをやるのは誰にでもできることなのではっきり言って大した価値はない。そうした人の材料としての人材はいくらでもいる。できないことをできることに仕上げて初めて価値だと思う。そういう人たちはかけがえのない財だ。人財である。
「うちの子は絶対そんなことできませんから」という家族のできないと「絶対無理」という何をもって絶対?のできないの日々の中、「無理かもしれない」と思う案件を一晩かけて分析、複数の対策を発案し、それでもそれぞれに不足する要素を具体的に示したプランをいただいた。「その意気やよし」である。0の次は1ではない。0と1の間には無限の数値が存在する。0はどこまでも0のままだ。0.000001でしかなかったとしても未来への可能性は遥かに大きい。