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聖書と共に育ち、孤独に沈み、世を憂い、書に親しみ、哲学に耽り、詩を愛し、人を好き、愛を求め、真理を知り自由を得ん

イエスの超法規 律法と福音

2012年03月13日 | ■聖書・信仰・キリスト教

 

イエスとイエスの弟子達は病人を癒し、無視されている人の友となり、神様のメッセージを伝えながらイスラエル全国を旅しました。

 

 彼らは常に人々に分け与えて回っていましたので、時には自分たちが食べるものすらもありませんでした。

 

 皆さんならもしも、イエス様についてきなさいと言われた場合、このような状況になったとしてもついていけるでしょうか?

 

 簡単ではありませんね。しかし彼らは不満も言わずに歩いていました。しかしどうしても我慢できなくなり安息日に、途中でムギ畑の穂を摘んで食べ始めました。

 

マタイ12;1              そのころ、イエスは、安息日に麦畑を通られた。弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた。

 

 ところがその事がパリサイ人の目に止まりました、、

2すると、パリサイ人たちがそれを見つけて、イエスに言った。「ご覧なさい。あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています。」

 

安息日とは何の日だったでしょうか?安息日にしてはならない事とは何でしょうか?

レビ記    23              3              六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。

 

なるほど安息日には仕事をしてはならないとありますから、パリサイ人が文句をいうのも理解が出来ます。つまり穂を摘んで食べるのも仕事だというのです!!

 

それに対して、イエス様はなんと言われたでしょうか?

3            しかし、イエスは言われた。「ダビデとその連れの者たちが、ひもじかったときに、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。

2                        神の家にはいって、祭司のほかは自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べました。

 

同じようにダビデ王がひもじかった時に、律法で禁じられていた神様にそなえられたパンを食べたというのです!!

 

すこしストーリーを確認してみましょう。。。

 

1Sam21

1            ダビデはノブの祭司アヒメレクのところに行った。。。。

3            ところで、今、お手もとに何かあったら、五つのパンでも、何か、ある物を私に下さい。」

6            そこで祭司は彼に聖別されたパンを与えた。そこには、その日、あたたかいパンと置きかえられて、主の前から取り下げられた供えのパンしかなかったからである。

 

ダビデ王も神様の法にそむいたことになります。それではこの件に関して神様はダビデを罰したでしょうか?

 

彼は罰せられませんでした!!祭司も又彼がそのパンを食べることを許可しました。

 

変ですね、、、何故弟子たちが律法にそむいて安息日に働いのをイエス様は咎めず、律法にそむいてダビデが祭司のパンを食べた事を神様は咎めなかったのでしょうか?

神様の律法はイエス様の時代にはもう古いので大切でなくなったということでしょうか?

 

⇒絶対にそんなことはありませんね。イエス様ご自身がこのように言っています。

マタイの福音書           5              18              まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。

 

なるほど律法はずっと変わらないものだとあります。それではこの世の法律やルールはどうでしょうか?それらは皆正しく不変でしょうか?

⇒中には変な法律もあり、なくなった法律も沢山あります。皆さんは変なアメリカの法律を知っていますか?

 

 ※ 下の、前投稿を参照して下さい。

いかなる時でもズボンの後ろポケットにアイスクリームのコーンを入れる事を禁止

 

これらの法の大部分は今は効力を失っています。

 

ちょっと寄り道にいってしましましたが、これらは一部であって基本的にはこの世の法律も良く正しいものです!!

 

皆さんは法律やルールがなければもっと自由で良いのにと思いますか?もしくはこのルールだけはなければ良いのにと思う時がありますか?

 

たまに窮屈に感じるかもしれませんが、法はとても大切なものなのです。殴ってはいけないというルールや盗んではいけないというルールがなければ、皆さんはいつも誰かにお金を盗まれたり殴られたりするかもとビクビクしていなければならないのです!!

 

つまり、実は私たちが法律を守らなければならないというよりは法律やルールが私たちを守ってくれるのです!!神の律法も同様です!!

 

この世の法は完全ではありませんが、聖書の律法はもっと正しく良いものですから、当然私たちはこれを守るべきなのです!!聖書も律法の大切さをこのように言っています。

 

ローマ人への手紙       7              12              ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。

 

ではなぜこの正しく不変な律法に反するような事をイエス様は言われたのでしょうか??

⇒イエス様が言いたかったのは、律法も大切だけれどもそれよりも大切な事があるということです。

律法よりもたいせつなのは、あわれみの心、愛の心なのです!!

 

この時弟子たちはとてもお腹を減らしていました。そんな彼らに「ルールだから今は穂を積む仕事をして食べてはならない」と言うのはとても愛のない言葉なのです!!

 

安息日は人と神が安らかにコミュニケーションをする為に神様が人間が休めるように定めて下さったもので、人を苦しめるためではないのです!!イエス様のこの言葉を読んでみましょう。

 

マルコの福音書      2        27        また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。

 

ダビデがお腹をすかせて、律法に反し、祭司以外は食べてはならないパンを食べたのに罰せられなかったのも同じ原理です。

 

神様は私たちを愛し、守るために律法を下さったのであり、罰する為ではないのです!!

 

イエス様がパリ人や律法の専門家に特別厳しかったのですが、それは、彼らが神の律法を守ることには努めましたが、神の愛とあわれみの心を知ろうとしなかったためです!!

 

Matt15:7        偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。

8       『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。

9       彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」

 

私たちはどうでしょうか?毎週教会に来て、学校のルールや法律を守っていますが、私たちの心は神の心の近くにあるでしょうか?

 

それとも律法学者やパリサイ人のように、「あいつが悪い」「あいつが先にやった」「あいつはルールを破っている」と言いつけ合ってはいないでしょうか。

 

律法は正しく良いものですが、残念ながら、残酷で冷たいものなのです!!もしも誰かが重大な罪を犯してしまった場合、どんなに悔い改めても基本的には法によって刑に処せられます。

 

それだけでは私たちには希望がないので、神が下さったもう一つ下さったのがイエスキリストの福音です。

 

今が何の期間か覚えていますか?

 

⇒レントですね!!

イエスと、法により罪に定められた男の十字架上での対話を最後に読んでみましょう。

 

ルカ23:32        ほかにもふたりの犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために、引かれて行った。33        、、、彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。

 

彼らは何故、十字架につけられることになったのでしょう。

⇒ここには書いていませんが、当時十字架刑は一番重い刑でしたから、おそらく彼らは強盗や人殺しをしたのだと思います。

 

ところがしばらくして、一人の犯罪人がイエスを信じ、悔い改めはじめました。

41      われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」

 

イエスは「分かった、それでは思い出すけれど、あなたは自分の罪の為に地獄に行かなければならない」と言われたでしょうか?

 

43      イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

 

なんとその男はその場でゆるされました。それだけでなくイエス様ご自身が一緒にパラダイスまで行ってくださると約束してくださったのです。

 

律法や法律は良く正しいものなので、私達は当然それを守るべきですが、それよりも大切なのが福音でありゆるしでありあわれみであり神の愛なのです。それこそが神の心イエスの心なのです!!

 

神様は法を使って私たちを裁くことを望んではいません。むしろ私たちが悔い改め、全ての人が救われるのを喜ばれるのです!!

 

エゼキエル書        33        11        彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。・・神である主の御告げ。・・わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。、、、

 

イエス様が十字架の上でその事を私たちに見せて下さったのですから、私たちも法を使って互いに裁き合うものではなく、神の心、イエスの心を持つ者となりましょう。

 

 

確認クイズ

安息日にしてはならない事はなんでしたか?またそれは何故でしたかExo20:8‐11

法律やルールがなければ良いのにと思うことはありますか?これらは何の為にあるのでしょうか?

イエス様は律法はもう古いので守らなくて良いと教えたかったのでしょうか?Matt5:18,Roma7:12

安息日は誰のために作られたのでしょうか?Mark3:27

なぜイエス様はパリサイ人や律法学者が神を敬っているのを無駄だと言われたのでしょうか?Matt15:7-9

神様は罪人を法で裁くことを望んでいらっしゃいますか?Ezekiel33:11

もしも友達が病気で少しでも早く病院に連れて行けなければならない場合、あなたの車は制限速度は守るべきでしょうか?

法律を犯して十字架刑を受けている犯罪人に対してイエス様は何と言われましたか?Luke23:42-43

 

[祈り]

私たちが立法と法律を良く守れるように助けてください。

私たちが互いに言いつけ合ったり、裁き合うために法やルールを使わないように助けてください。

律法よりも、愛とゆるしと哀れみを好まれる神様の心を持つ者とさせて下さい。

十字架の隣りの犯罪人のように、イエス様の十字架を想い悔い改める者とさせて下さい。

 

暗誦聖句

Luke23:43


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