Withjjj(詩と韓国と真理とじゅんと)

聖書と共に育ち、孤独に沈み、世を憂い、書に親しみ、哲学に耽り、詩を愛し、人を好き、愛を求め、真理を知り自由を得ん

クリスマスのちょっと前

2010年12月06日 | ■詩
キリストの半年程前に生まれたバプテスマのヨハネの父ザカリヤの詩です
前半はキリストに対する詩であり後半は自分の子に対するものです
そして最後は私達みなに対するものです

ルカの福音書1:68~
「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、
救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。
古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。
この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。
主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、
われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、
われらを敵の手から救い出し、
われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。
幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、
神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。
これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、
暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」

あわれみ

2010年12月01日 | ■聖書・信仰・キリスト教
神様は初めからおられた自存者です
そして人を造り世界を下さいました

そして人を愛し、人にも互いに愛し合いなさいという命令を下さいました
これが神様の法(つまり神様の願い)です
それというのも互いに愛し合うことによってのみ人は幸せになるからです

そして誘惑に陥らないようにとの具体的な命令を下さいました
しかし人類はアダム以来、みな誘惑におちいりました
食べもの、名誉、富と権力
目の欲、情欲、暮らし向きの欲

その結果神様を愛し、互いを愛し合うことよりも
自分の欲を追求した為、人類に悲劇がはじまった
そうして神様を見失い、人としての生き方と幸せをも見失ってしまった

そんな人類に神様は二つの顔で接っされます

1つは公的な正義の顔であり裁きの顔です
法を犯した人類を裁く裁判官としての顔です
私達は当然罪に定められ罰を受けなければなりません

もう1つの顔は親としての神様の顔です
顔を鉄面皮にして正義を施行し裁きを行いながら
その仮面の下では涙を流して私達を哀れんでいてくださる
父の顔です

その事の故に父なる神は一人子イエスを遣わし
私達を裁く代わりに愛する自分の子を罰して下さったのです
イエスもまたその事を甘受して下さったのです

これは全て神のあわれみによるのです
別の言い方でいえばアメージンググレース(驚くばかりの恵み)
ということです

私は神の真髄は愛にあると思っていたのですが
ふと、その愛は弱い私達に対する深いあわれみに根ざしていることに気付きました

寒い冬になり華やかなクリスマスが近づいていますが
一方では弱り、死にいく人々と
私達の欲の犠牲者達の姿が目にとまります

ルカの福音書6:36
あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。