Cosmos

 徒然に委ねて自己と宇宙との対話メモ

時 空

2016年03月27日 | Weblog

 時間と空間は異質の存在でありながら分離不能である。これはanalogありてdigitalありの関係で、質量の有無、時の方は感覚では容易にとらえられず掴みどころがなく、場である空の方は視覚で確認可能な点で手懸りがあるけれども、これらの実体と仮想の両方を同一stageに乗せてあれこれと論じても交わりはない。


苦 艱

2016年03月20日 | Weblog

 人に限らず自然界に存在のすべてが背負っている最も厄介なものは自己愛であり、これには各人を苦しめる大きな代償が付随する。これさえなければ苦源の多くは泡沫となる。負けて悔しく、しくじって恥ずかしく、勝てばうれしくとなるが、常時敗者にはそこだけが無縁である。無用で有害なルサンチマンやトラウマは自己愛なる怪物から押し付けられる賜である。


凡 日

2016年03月13日 | Weblog

 生きる行為は時間と空間の協力をもらってわけもなく懐かしさを創りつづけている。今日は昨日までの過去を、明日になれば今日が昨日となり、何のとりえもない日々の積み重なる事象が否応なく懐旧の材料となる。 


些 事

2016年03月06日 | Weblog

 外出中に伴う悩みの一位は男性用の排尿器に対するこだわりである。駅・ホテル・病院・レストラン・百貨店等すべての個所において日本国内では例外なく受け位置が低すぎる。跳ね返りを恐れて気がもめる。だから、まずは必ず水たまりのある構造の方に向かう。陶器に直接放出するよりも跳ね具合は緩和されて着衣にやさしく高さもよい。そこで先客が占拠の場合はその場を去る。日本以外では例外なく当該器についてこんな心配は無用。短脚にはかろうじて届くほどの高さにある。放と受けの距離が短いほど物のreactionは穏やかである。