生を受けたのjは不可避な苦を背負うためでしかない、見るもの、感じること、思念がすべ悲観的な方向へと進み悲観の材料になってしま。このような人生観しかもちえない自分はこの上ない不幸を生きている。このようなpessimismとは縁を切り、自己を取り巻く出き事を分け隔てなく甘受すればどれ程幸せだろうか。
これか到来する対象についていくら気をもんでもそれが変わったり動いたりはしない。それから逃げることも出来ない。避け得ない事態について悩み、心を痛めているがこの上なく愚かである。今の時点で気に病むのはその分負荷の加算である。
人為によるものは自然界から外しいるが人が手を加えていても広義においてやはり外せない。人は天然界の一存在であり、それがどんなに手を加えようとも何ら非自然界にはなりえない。ここには人中心の思考によるからであろう。
現在、量子(quantum)の世界が話題になっているのにこんな大雑把な話をしていては時代錯誤も甚だしいといわれるだろう。
人性は絶対負で成立している。絶対正は存在せず、仮に0.i有るとすればすれば相対存在で独立存在ではない。痛痒、怒り、悲しみ、憂、飢え、渇き、心配、不安、恐怖、無数の疾病、人間に存在する感性、理性をあるがまま率直に受け入れればそうなる。世間ではpessimismと呼んでいるようである。苦よりも快を好み、望む。苦から解放されるために死を選択するのは善悪なし。
まほらばは各自それぞれが持っている。奈良や京都だけではない。大切な人生を日々楽しめていればその場が意義を持ち当人にとって最高のまほら場である。 わずか一坪の空間であろうと全宇宙である。
日本は幸せ感の順位が低いようであるが、個人的な感じでは自他の相対評価をすれば高いと感じている。内戦がなく、治安もいい方である。医療制度が一通完備している。
北欧の行き届いた社会制度やアラブ諸国の場合を別にすれば上位にある。しか し他国に住んでいないので絶対的見地では判断できない。さらに、自己のみで成立する絶対幸福感は一切の外部条件の影響を受けない世界である。
話はいささか賞味期限を過ぎたが昨秋Beau jolaisnouveau(フランス産の赤ワインが)が発売になったので久しぶりに買ってみたら以外にも旨かった。この酒を通常は口にしない。大勢の日本人愛好家がありがたく飲むのをこんな色のついた酒っぽい水を飲むものだと感じていた。二本目を買いに行ったら何処にもなかった。
根拠なき過大評価は論外として必要以上の過小評価はさらに悪い。あれもこれも出来そうにないので最初から挑戦を断念して自己実現を妨げる。自己萎縮症侯群である。自己鼓舞、励まし、そして自己暗示も有効である。
努力は大きな資質の一つであり自分のように地が粗悪であれば他者の何倍もそれに励まねばならないのに少しもしない。しようとは思うがその天分を与えられていないから出来ない。