風韻坊ブログ

アントロポゾフィーから子ども時代の原点へ。

アントロポゾフィーからみた総選挙03~子育て支援

2014-12-08 07:31:37 | アントロポゾフィー
アントロポゾフィーからみた総選挙03~子育て支援

今回も、選挙演説では「教育」や「子育て」が強調される。
「子育てにがんばっている女性」「仕事にがんばっている女性」を支援するという。
保育の受け皿を20万人分、40万人分つくるという。
私が指摘したいのは、どの議論も、
女性や子どもを既存の社会に組み込むことしか考えていない、
社会の側が変わろうとはしていない、ということだ。

フリースクールを支援する、
不登校の子どもたちを支援する、
そこに期待する人たちは多いけれど、
私たちが見極めなければならないのは、
子どもに即して社会を変える意志があるのかということ、
大人の側が変わるつもりなのかということだ。

シュタイナー教育は、
第一次世界大戦後の混乱した社会のなかで始まった。
シュタイナーは当時の政府の役人と話し合い、
たくさんの妥協をしたけれど、ひとつ絶対に譲らない点があった。
それは「教育は社会変革だ」ということだ。
子どもを社会に合わせるのではない、
新しく生まれてくる子どもたちに合わせて、
社会を新しく形成しなければならない。

社会のため、国家のために教育があるのではない、
子どもたちが育つために社会があるのだ、
人々の生活を守るために、国家があるのだ。
私たち大人は、そのことを絶対に忘れてはならないと思う。

これまでの政権が次々に打ち出したのは、
人々の暮らしよりも、国家を優先する政策ばかりだ。

私たちは「子どもたちは宝だ、未来だ」という。
けれど、実は子どもたちは、大人にとって「挑戦」である。
大人たちに、社会に、変革を迫るのが子どもたちだ。
未来は、まだ何も見えないから、大人たちを不安にする。
そしてすでに分かっていること、安全と思われることで道を固めようとする。
それを根底から覆すのが子どもたちなのだ。

もし政府が、フリースクールに手を差し伸べ、
「教育の多様性」に理解を示すなら、
行政と手を携えることはつねに必要なのだけれど、
私たちは一貫して言い続けなければならない。
「私たちの立場は、子どもたちではなく、大人が変わらなければならない、ということです。
少しずつでもいい、社会のどこが変わりうるのか、一緒に考えていただけますか?」

けれど、秘密保護法、集団的自衛権、そして原発への執着は、
今の政権に「変わる意志」などないことを示している。
そして「この道しかない」と言う。
ちょうど、長崎の被爆者の方が「集団的自衛権に納得できない」と訴えたとき、
「見解の相違です」と言い切ったように。

もちろん、現在、子どもをもつ親にとって、
待機児童や子育て支援は、緊急の課題である。
そこへの対応は当然求めていかなければならないが、
親としての責任、社会の大人としての責任は、
子どもたちが生きる未来に目を向けることだ。
短期的ヴィジョンだけではなく、
長期的なヴィジョンが必要だ。
そして、未来へのヴィジョンはつねに修正を迫られるのである。
なぜなら、未来は子どもたちのなかに隠されているからだ。

今、子育て中の保護者には、
秘密保護法も、集団的自衛権も、そしてエネルギー政策も、
すべて深く「教育」にかかわる問題だと伝えたい。
そこから社会が変わる。

しかし、この社会は絶対に変えない、
そのためには憲法さえ変えてしまおうというのが、今の政権なのだ。

それに対して、私たちが今度の総選挙で示す結果は、
現在、私たちのもとにいる子どもたちに対する、
私たち大人の答えでもある。

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