風韻坊ブログ

アントロポゾフィーから子ども時代の原点へ。

アントロポゾフィーからみた総選挙05~TPPと景気回復

2014-12-11 06:02:51 | アントロポゾフィー
ついに特定秘密保護法が施行された。

このことに精神活動を縛られる実感のある人がどれだけいるだろう。
それでも、今日から、日本の精神性と知性は大変な枷をはめられるのだ。

これからは一人ひとりが、今まで以上にきわめて意識的に、
自分の精神活動を展開しなければならないと思う。
不安に制御され、無意識に自粛するという事態が増えてくるだろうから。

景気回復というのは、人々の「意欲」に深くかかわっている。
ある社会が元気で、創造性に富むためには、
一人ひとりが生産的でなければならない。
人間の生産性のためには「自由な精神活動」が必要である。
ところが秘密保護法はその精神活動を縛るものだ。
本質的に「景気回復」に逆行する法律である。

アベノミクスと言われる論理は、
経済活動の源泉を個人のなかにではなく、企業の中に見ている。
それはある意味、自民党の憲法改正案と一貫した論理であり、
徹底して「個」を排除しようとする意図にもとづいている。

この意図は、日本の政権に限ったことではなく、
むしろ世界中の政治と経済のなかに働いている。
それを端的に表しているのがTPP(環太平洋連携協定)である。

日本は昨年3月にTPP交渉への参加を正式決定しているが、
今回の総選挙の争点としては、
それぞれの政党の見解は、日本の参加継続か撤退かに分かれている。

けれど、投票する側にとって重要なことは、
候補者や政党が「経済」をどう見ているかだと思う。

TPPは2006年にブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポールの4国で始まったが、
その協定の序文(Preamble)を読むと、その最初に
「参加国の友情と協力の特別の関係を強める」と謳われている。

当然のことだが、経済の本質は関係性である。
シュタイナーという人は、経済の原理を「友愛」と表現した。
これはしばしば「慈善事業」のように誤解されるが、
シュタイナーは経済の動き方をそのように捉えたのだ。

つまり、人間の身体に例えるなら、
経済は神経=感覚活動であって、
どこで誰が、何を生産しているかを知覚し、
その製品を欲しいとか、要らないというように共感や反感が働く。
ネットショッピングはまさに「友愛」の原理で動いている。
自分の製品を提供する側は、そこで認められたと感じ、さらに生産意欲が増していく。
仕事をしても報われない、認められないと感じていれば、
やがて生産性や創造性は衰退していくだろう。

これは個人を中心にした経済活動の捉え方である。
本来の「景気」は、この友愛の原理によってしか回復しないと思う。

しかし、現代世界では、
経済活動はますます個人から切り離されていく。
原発推進も、沖縄の基地も、それを正当化する人々の理由は「経済」である。
けれど、それは個人の精神活動から生み出される経済ではない。

よく経済は国家を超えるという言い方がされるが、
私は、国家は今までになく強固に働いていると感じる。
ただ、それは国境に隔てられた国家というよりも、
多国籍企業である場合が多い。
多国籍企業が帝国化している。
しかし、そこに働いているのは依然として「国家の論理」である。

私自身は、TPPの問題点は「秘密」と「文化」にあると思っている。
TPPの交渉の中身は4年間は公開されないという。秘密なのだ。
だからウィキリークスが「知的財産」をめぐる条文草案をリークしたりする。

また、先に挙げた協定の序文には「文化」という言葉は一切出てこない。
たとえばこの序文には、「経済的発展、社会的発展、環境保護は相互に依存するものであり、持続可能な発展の共通の要素であり、より緊密な経済的パートナーシップは持続可能な発展の推進において重要な役割を果たすことができるということに留意する」とある。
この「留意する」という言葉には、おそらく意識的にマインドフル(mindful)が当てられている。

つまり最近の認知療法や禅などを想起させる「マインドフル(気づき)」という言葉を使い、経済におけるスピリチュアルな観点を踏まえていることを示唆しているが、
そこでは個人や文化というものが度外視されている。

今、世界経済を動かす主要な力は、
一人ひとりの個人の内面から出てくる意欲ではなく、
あらかじめ存在している企業の利益の自己増殖への意欲である。
それは第二次世界大戦までの国家の領土拡張への意欲が変容したものだ。

そしてTPPについては、
農業や食の安全、医療の質や医療費への影響などから、
日本の経済は発展するのか、私たちの暮らしは脅かされるのかといったことが議論される。
けれど、農業も食も、医療も、その本質は「文化」である。
一人ひとりの人間によって営まれる創造活動(精神活動)なのだ。
だから、農業や食事には、国や地域の文化の違いがはっきり現れる。
そして医療にも、西洋医学から東洋医学、漢方やアーユルヴェーダなど、
やはり文化の違いがある。

TPPに関して重要なのは、
経済効果の試算よりも、
交渉に参加する政治家の「経済」と「文化」の捉え方である。

徹底した情報公開と、
経済の基本は個人であるという確信があれば、
そこから環太平洋の経済圏を構築していく努力は、もちろん意義があるだろう。

シュタイナーの時代から、
文明の中心は「太平洋」に移っていくのではないか、という見方をする人は多かった。
何より、「太平洋」(パシフィック)という言葉は「平和」を意味する。
けれど、そのヴィジョンを打ち砕いたのが太平洋戦争だった。

今、環太平洋を見つめるなら、
その視座は徹底して個人に根ざしていなければならない。

アントロポゾフィーでは、社会を「生きもの」と捉え、
経済、政治、文化を社会の生命を支える三領域と考える。

たとえば、人間の身体のなかには、
頭部の神経=感覚系、
胸部の呼吸=循環(リズム)系、
手足と内臓の四肢=代謝系が、
それぞれ独立した領域として働きつつ、
生体全体を支えているように、

社会のなかでも
文化は自由という原理で、
政治は平等という原理で、
経済は友愛という原理で働くことによって、
社会有機体を支えているという見方だ。

そのとき、もっとも重要なのは、
自由、平等、友愛は、一人ひとりの個人が、
自分のなかで実現していこうとする理想であるということだ。

個人の意識的な関与がなければ、
経済は単独で暴走し、ちょうど神経が形成する回路網のように、
世界に張り巡らされた関係性をつかって増殖することだろう。
それは金融の世界にみられるような、個人や文化の破壊にもつながるだろう。

個人の意識的な関与がなければ、
政治は暴走し、国家の名のもとに個人を抑圧し、
結果として、自国の文化の破壊にもつながるだろう。

個人の意識的な関与がなければ、
文化は暴走し、他者を認めることなく、自己の内部で動き回り、
結果として、自己と他者の破壊にもつながるだろう。

今、どうしても必要なのは、
一人ひとりの「私」が社会そのものをつくっているという自覚である。

平和が可能であるとすれば、
それは個人のなかから生まれるはずである。

その観点からは、
今、総選挙で掲げられている「この道しかない」というその道は、
平和の真逆を行く道である。

そこからは民族の和解も、文化の発展も、そして個人に支えられた本当の経済の発展も生まれない。

この選挙は、個人にとっても、環太平洋の諸民族にとっても、決定的な意味を持っている。

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