風韻坊ブログ

アントロポゾフィーから子ども時代の原点へ。

アントロポゾフィーからみた総選挙06~日本人の意志

2014-12-11 23:53:00 | アントロポゾフィー
朴裕河さんの『帝国の慰安婦』を夢中になって読んだ。
今回の衆院選の直前に、この本を読めてよかったと思う。
私は一人の日本人としてこの本を読み、
過去から現在、そして未来へ続く日本の精神状況について思いをめぐらせた。

これまで私は、朴裕河さんは、慰安婦問題をめぐる日韓の対立のなかで、
懸命に双方の和解に向けて努力されている人だと思っていた。
それは確かにそうなのだが、
この本を読んで、
彼女が目指しているのは「治癒」と「新しい価値の創造」なのだと思った。

治癒は一つひとつの事実、一人ひとりの個人を丁寧に見ていくことでもたらされる。
これまで「慰安婦」として一括りにされ、
強制連行された性奴隷なのか、自発的な売春婦なのかという二項対立で見られていたところに、
一人ひとりの異なる運命を見ていく。
貧しさゆえに故郷に残れなかった人、
兵士に恋愛感情をもった人、
戦線で過酷な性労働を強いられた人、
それぞれが異なる運命を必死で生きた。
そのなかには自分の辛い運命に意味を見出し、
誇りをもって生きようとした人たちもいた。
そうした個々の記憶をそのままに受けとめる姿勢は、
それが治癒につながることを感じさせた。

慰安婦にされた人たちには大概、民間の業者が介在していた。
甘言でだましたり、暴力で支配したのは彼らだった。
また慰安婦の仕事は、兵士の性欲を受けとめるだけでなく、
洗濯をしたり、傷の手当てをしたり、話を聞くこともあった。
慰安所も、駐屯地に簡易につくられたものから、
料理屋や遊郭のようなところまでさまざまだった。
日本という国家の責任は当然あるのだが、
さらにその背後には共通して、
植民地、帝国主義、男性による女性差別や民族差別の構造があった。

この本を読んで、私は、以前朴裕河さんがツイッターで、
「謝罪は新しい価値を生み出す」と書かれていた意味を理解できたと思った。
真の謝罪は、他者の思いに想像力を働かせ、
自分自身が囚われている社会構造を認識するところから可能になる。
それは実は、自分自身が解放されること、自由になることでもある。
それが「新しい価値」を創造するということなのではないか。

私なりの捉え方でいえば、
治癒は、一人ひとりの個人、一つひとつの個別性を見ることからもたらされ、
新しい価値は、普遍的な社会構造を認識することによって生み出されるのではないだろうか。

この本は、日本と韓国、双方への投げかけとして受け止められる。
慰安婦問題を植民地の問題、帝国主義の問題として捉え直すことによって、
西洋からもたらされた帝国主義を乗り越え、
アジアの独自の新しい価値観を生み出すことはできないのか、と。

1990年代に、元従軍慰安婦の人たちの問題が公に取り上げられるようになってから、
日本でも河野談話があり、村山談話があり、
そして今の右傾化した頑なな状況がある。

しかし、今、日本はみずから新しい価値観を創造すべき段階に来ている。
そう思えたことは、私にとって大きな収穫だった。
今度の総選挙も、その文脈のなかで捉えることができる。

もう一度、「日本人の意志」に意識を向けてみようと思う。

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