風塵社的業務日誌

日本で下から258番目に大きな出版社の日常業務案内(風塵社非公認ブログ)

次の連載の構想

2017年03月03日 | 出版
久しぶりに長い文章を書いてみたら、気が抜けちゃったなあ。仕事でも某雑誌の作業が終わり、そっち方面でも気が抜けてしまった。某対談集のリライト作業がもう少しで終わりで、定例の「救援」紙もやっつけないといけないとはわかっているが、例によってゲームにうつつをぬかしていたら、日が暮れていた。もう、仕事をする気がわかない。ビールでも飲むか。
このブログでは、お次の連載として「倒産物語」なるものを構想しているのだけれど、これがまた現在進行形でやっかいな問題をいろいろと残しており、なかなか書きにくいのである。ちなみに倒産したのは弊社ではなく、別の出版社である。しかし、その出版社の倒産に弊社も巻き込まれて死にかかったというわけだ。そして、その傷が完全には癒えてないので、発表するタイミングを見計らっているという段階である。
といっても、その会社が倒産してめでたく5年が経過しており、忘れちゃったこともずいぶん多いはずだ。登場人物も複雑で事態は錯綜しており、しかも、弊社が倒産の当事者ではないから、小生の知らない重要事実もかなりあることだろう。しかし、その当時はまさに地獄のような日々であった。小生は楽天的で能天気な人間ではあるけれど、毎晩悪夢にうなされることになった。
しかしいま振り返れば、よくあの状況を生き延びたものだと素直に感心してしまう。ビジネス的な教訓としては、手形、小切手を振り出してお金を作ろうとするのは、必ず負の結果を招くということだ。そしてまた、もうそういう時代ではなくなってきている。いまどき、普通の中小企業の手形など、金融機関が割ってくれることはそうそうないだろう。ネットバンクが普及してきて、手形、小切手での集金も減ってきたと聞いたこともある。いつもニコニコ現金払い、これが基本なのだ。
ところが不思議なことに、いまも主要な取次(本の問屋)の支払いは小切手振り込みである。その小切手振り込みなるものを小生はしたことがないのでやり方をいまいち知らないが、要は、受け取る側にしてみると振り込まれてから2日経たないと現金化されないのである。その2日間、お金がないのと同じ状態であるというわけだ。
弊社の場合、先月分の売り上げがいろいろと複雑に計算されて、翌月末に振り込まれるわけである。その金額が例えば100万円だったとしても、現金化されるのは2日後なので、振り込まれた月の月末の支払いに使用できるわけではない。そのため、以前にも記したけれど、毎年年末は息苦しい思いを噛みしめることになる。一般的な商習慣として、月末が銀行休日の場合、支払いは翌月最初の銀行営業日ということになる。現在、12/31は銀行も休みだから、したがって取次からの振込みは正月明けの1/4、そこから現金化されるのが1/6ということになる。
ところが、その「倒産物語」においては、この取次の支払い方のおかげで弊社は助かった面もある。こちらで計算して、意図的にそうしたわけではなく、ただ単に運がよかっただけなのであるけれど、そういう非常事態の場合はさておき、平時においては月末に現金が振り込まれた方がとても助かるのはもちろんである。
また、小生が出版業界に入る前の話では、12/31の大晦日に取次に行けば、直接手形で支払ってくれたらしい。当時、零細出版社のおやじたちは、それを握りしめて某金融機関に走って現金化してもらい、それで年末の支払いをすませてから、ようやく呑み屋に入って一年の精進を落としたなんて話も聞いたことがある。そういえば、昔は銀行も12/31まで営業していたような気がする。いつから、大晦日は休業になったのだろうか。
何年前のことだったかすらも忘れてしまったけれど、ある年の大晦日、当座口座の残高がもしかしたら危ないという状況にあった。「銀行ってきょうも営業しているんだっけ?」と妻にたずねたら、「やっていると思うよ」げな。それならば、うかつに不渡りを出すわけにはいかない。とにかく出社して、当座勘定入金帳で残高照会だけしておこうと、某銀行本郷支店へと慌てて向かった。そこで銀行の前に着いたら、休みでやんの。体中の力が抜けるとはこういうことかという体験をしたものである。
こうした緊張感というのは一般の人にはなかなか理解してもらえないだろうし、また前述したごとくいまは手形、小切手の扱いも減っている。しかしその当時は、小切手での支払いというのは日常的に行われていたのである。そのため、万が一小生に計算ちがいがあれば、弊社は不渡りを出してしまうことになりかねない。経営者として、これはかなりの重圧だったのだ。
ところが現在、その重圧からは解放されてしまった。どうして解放されたのかは「倒産物語」に記すことになるだろうけれど、しかしその代償としてかなり深い傷を負ってしまい、それがいまだに癒えていないというわけだ。5年という時間では解決されない難儀な問題である。

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