SIA人物紀行

インド編(中):プーナムちゃん 虐待された少女の明るさ

  インドにはカーストやジャーティと呼ばれる階級が残っている。
カーストは日本人にも馴染(なじ)みがある言葉だが、ジャーティは
もっと複雑で「生まれ」や「所属」を意味する。
もとは職業別の呼び方から発生したらしいが、地域や血縁関係による
区分けでもあり、その数1千とも2千とも言われる。
姓を見ればある程度特定が可能であり、そういう意味ではどの家系に属し、
誰の子として生まれたかという、アイデンティティーを表してもいる。


 地方の閉鎖性と因習、この階級意識を支えるヒンドゥーの教え
(現状に耐えて人生を全うすれば、来世で上の階層への転生が可能であり、
これを守らなければ、下の階層に落ちる)などが相まって、
容易には無くならない意識である。
 

 閉鎖性と因習は、男性優位社会の温存に繋(つな)がる一方で、弱者を犠牲にする。
だからこの問題は女性や子供の人権問題とも複雑に絡みあっている。
 

 虐待された子供を守り収容する施設プラヤスには、そうした問題を
小さな身体で受け止めるしかなかった子供たちが八十人、収容されていた。
 

 両親と生別死別した子供、迷子つまり遺棄された子供、親に売られた子供の中には
何度かの転売にあったり、売春させられたりした子もいるし、親が犯罪に
巻き込まれて死んだり、親の暴力から逃げ出して来た子もいる。
 

 理由は様々だが、アカデミー賞をとった映画「スラムドッグ$ミリオネア」に
描かれた子供の悲惨さは作り事では無かった。
そして、あの作品を貫く子供の強さやしたたかさもまた、真実であるらしい。


 というのも、信じられない虐待を受けながらも、施設の中で会った少年少女たちは、
明るく無邪気な目をして私の手をとり、人なつっこく話しかけて来た。
 

 アフリカ系の血が入っていると思われるプーナムちゃんは、とりわけ元気が良く、
大声で歌を歌い、この場所にいることが嬉(うれ)しくてたまらない様子。
その明るさをどう理解すればいいのか、少女の過去の暗さ悲惨さと思い較(くら)
べて、こちらの方が途方にくれてしまう。
 

 シャプナンちゃんは将来、デザイナーになりたいと夢を語り、デイブ君は
サンタとクリスマスツリーの絵を描いて見せてくれた。


 その部屋で描かれている絵の多くが、子ども達にとっては無縁だっただろう
家族団らんの図だ。
彼らは夢を画用紙の上に繰り広げているのだろう。
 

 プーナムちゃんに年を聞くと、十二歳だと言った。
ちょっと驚いた。十二歳なら初潮が来ても不思議ではない年齢だが、彼女は
せいぜい七、八歳程度の体格にしか見えない。
他の子ども達も、みな実年齢にしては体つきが小さい。


 育ち盛りにどんなに飢えた日々を過ごして来たかを想像し、胸が詰まった。


(この記事は2010年4月6日に西日本新聞に掲載されました。)



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