続き。。。
P61:4 本誌1913年5月号の紙面で割り当てられたスペース及びその号の要約で、
筆者は信用[債権]貨幣理論のこの簡単なスケッチを描くことができた。また本号では、
その理論を支える証拠が示される。歴史学の道を歩んでいる研究者であれば
そう期待していることであろう――その期待は本号で満たされるに違いない。筆者としては
新理論newer doctrine への切り替えが急速に進むことを期待しているというよりは、
貨幣や通貨、銀行業務の問題が真剣に研究がさらに進められれば、
何年もかかることなく金属貨幣理論は放棄されるに違いないとより強く確信されると期待したい。
厳密な意味では、これらの問題の中に旧来の理論により説明できるものは存在しない。
厳密な意味では評価し、ふるいにかけてゆくと、金属本位[標準]理論を支える証拠は何もない。
貨幣単位が鋳貨とは区別されるものだ、という事実は新たな発見ではない。これを指摘したのは
卓越したエコノミスト、ジェームズ・スチュアート卿Sir James Stewart である。
彼がそれを書いたのは、アダム・スミスより前の時代である。[※Aスミスの『国富論』の出版は、
スチュアートの『経済学原理』の10年後であるが、スチュアートを意識して書かれたといわれる。]
また現代の論者の中でも、ジェボンズがこの現象への留意を呼び掛けている。
「計算貨幣」「想像貨幣」といった表現が古い書物の中で頻繁に使われていることからも、
この考えが多くの人にとってなじみのあるものであるとわかる。中世が長く続き、
そして政府支出の増加によって鋳貨の量が巨大になると、貨幣は、全く自然なことだが、
鋳貨と同一視されるに至り、通商が順調であれば鋳貨は豊富に流通し、
不況期に売買があまりなくなれば姿を消した。こうしてよくある錯覚、すなわち
鋳貨が豊富であることは繁栄を意味し、不足が貧困の原因である、という錯覚が生まれたのである。
この不足を埋めようとして国王が新しい鋳貨を供給しようとしても、
不況期には古い鋳貨同様新しい鋳貨も姿を消してしまい、そしてこの現象はよこしまな人物がいて、
そいつがこれを輸出したり自分の利益のために溶解したり、退蔵したりしているという想像でしか
説明づけることができず、そしてこうした犯罪者には重罰が課せられることとなった。
彼らの行為によって我が国が貧困においやられた、というわけだ。鋳貨の素材(といっても、
ごくわずかしか含まれていないのだが)の価値が上昇し、フランスで
穢れなき貨幣monnaie blanches と呼ばれたものの価値が上昇したときには、輸出や熔解がある程度行われたことには
間違いないであろうが、より多くの鋳貨を求めて国民が騒ぐことがばかばかしいことは、
すでに昔の優れたエコノミストであるボワギベール氏によって明白となっている。彼が指摘したのは、
貨幣の過剰や不足といった外観に人は欺かれやすいということだ。鋳貨の数量が同じ場合でも、
通商が活発だというだけの違いで比較的少量の鋳貨の流通速度が速くなり、量が多く見える。
金融的困難の時期には通商は、現に中世でしばしば見られた通り、ほとんど停止してしまい、
鋳貨が希少であるかに見えたのである。
P62:1 筆者が信用[債権]貨幣理論を最初に明確にしたのではない。この栄誉は、注目すべきエコノミスト、
H.D.マクラウドH. D. Macleod に属する。もちろん、数多くの論者がある種の信用商品credit instruments が
「貨幣」という言葉に含まれなくてはならない、と主張したが、しかし筆者の知る限り、唯一マクラウドのみが
銀行と信用[債権]とを科学的に扱っており、彼だけが貨幣と信用を同一視しており、
そして筆者の諸論文はただ彼の教義をより一貫させ、それをさらに展開したものに過ぎない。
マクラウドの書いたものは時代に先行しており、そして正確な歴史知識を欠いていたため、
信用のほうが初期の金属貨幣より時代的により古い、ということを理解できていない。それ故、
彼の思想は十分明確にならず、売買という行為が商品と信用を交換することのことで、
金属その他有形資産との交換ではない、という基本理論を定式化することもできなかった。
しかし、その理論には貨幣科学のすべてが存在している。
P63:1 しかし、この真理が把握された今日の知的状況においても、曖昧さは完全に取り除くことのできないまま
残されているのである。
P63:2 貨幣単位とは何であるのか。ドルとは何か。
P63:3 我々は知らない。我々の確実に知るすべてのことは――筆者が本稿において簡単に指し示すことができる証拠は
明確で決定的である、という事実を繰り返し強調させてもらいたいが、――我々の知るすべてのことは、
ドルがあらゆる商品の価値の尺度であるということ、しかしそれ自体は商品ではないということ、
そしていかなる商品にも具体化しえない、ということである。それは手に触れることができず、非物質的で、
抽象的である。それ以外の状況では、この力は急速に失われる。それは過剰な債務状態では簡単に減価し、
そしてひとたびこの減価が確信されると、再び元の価値に戻すことは極めて困難か、
おそらくは不可能であるように思われる。減価(部分的かもしれないが)は常に生じているようだ。ただし、
この点では外国貨幣に対する減価のことか、国内における信用購買力の減価についての話かで変わってくる。
P63:4 しかし貨幣単位は減価しても増価はないように思われる。時には急激で時には緩慢な一般的物価上昇が
あらゆる金融史に共通の特徴である。そして急激な上昇の後に下落が続くことはあっても、
その下落は均衡状態への回復以上の物には見えない。物価下落によってそれに先行して生じた物価上昇より以前に
一般的であった物価より低いところまで下落した例があるのか、疑問に思う。そして継続的物価下落、つまり
継続的な貨幣価値の上昇に近いようなものがあったことは、知られていないように思う。
P63:5 貨幣単位の安定性を維持するもの(現に安定している限り)は、A. スミスが「市場の駆け引き」と呼んだもの、
つまり売り手と買い手の間で常に行われている主導権争い、買い手がなるべく少ない価値あるもので支払いをしようとし、
売り手ができるだけ多くの価値あるものを獲得しようとする双方の行為である。完全に平時の状態、
つまり商業がいかなる理由によるものであれ、暴力的な攪乱なしに運営されている状態の下では、
これら二つの力はおそらくうまく釣り合いが取れ、両者の力は等しく、いずれも他方よりある程度以上に
大きな優位を得ることはできないであろう。平和で孤立してその「歴史的道筋を進む」国が戦争あるいは
より活発な地域[植民地?]の大きな発展に影響されることがなければ物価は長期的に十分に
規則的に維持されていることが伺える。
P64:1 信用貨幣理論を実務に適用したものの中で最も興味深いのは、筆者の思うに、金本位制として知られる
通貨システムと物価上昇の関係を考察するものの中に見出すことができるだろう。現代のエコノミストの中には
こうした関係が存在していると感じている人もおり、それを需要供給法則の作用による金減価理論に基づいて
説明しているのだが、しかしこの需給法則とは、この場合、ほとんど適用不可能とみなせるものなのである。
P64:2 需給法則が通常の商業でどのように働いているかはよく知られている。商品の生産が
その需要の増加より早く伸びれば、ディーラーは商品在庫が過度に大きくなると見てとり、供給に見合う市場を求めて
価格を引き下げる。価格の引き下げは意図された行為である。
P64:3 ところがこれは金には当てはまらない。その価格は貨幣で評価する限り一定不変だからである。
他の理由を探さなくてはならない。筆者が思うに、それは前に論じた理論に見出すことができる。
いかなる債務者に対する債権の価値も、債務者が即刻償還しなくてはならない債務の額と、彼が、
今すぐにその債務を相殺するのに使うことができる債権の額の間の平衡関係によっているのだ。
P64:4 信用[債権]単位が継続的に下落している国はいつでも注意深く見れば、過大な債務を負っているとわかる。
P64:5 中世において物価上昇がいかにして生じたかを見た。ヨーロッパ全体ですべての政府が債務と債権の平衡法則を
守ることに失敗したことにより、生じたのである。貨幣単位の価値は政府の債務が継続的に債権を恒常的に上回り、
そのため重税が戦争による略奪、ペスト、飢饉、家畜伝染病により窮乏化した国民から搾り取られ、
国民が蝕まれたために、下落したのである。
P64:6 筆者に間違いがないとすれば、我々は今日、昔とは全く異なった原因により、
昔と全く同じような結果を得ようとしていることに気が付くであろう。今日の通貨システムの一つの結果として、
国家、州政府、銀行家、すべての人がすぐに償還のため利用できる債権をはるかに超える額の当座の債務と
結びついていることに気が付くであろう。
P64:7 我々は、金の固定価格を維持することで貨幣単位の価値を維持できるものと想像している。
事実は全く逆である。金属が現在のように過剰な時に金の現在の価格を長く引きのばすほど、貨幣の価値は下落するのである。
P64:8 この点を明確にするよう努めてみよう。
P64:9 以前の論文で筆者は鋳貨あるいは銀行券[certifcate ここまでこの表現が使われたことは
無かったような気がするが、、、当時のアメリカでは、これが一般にあるいは専門家の間で
普通に使われた用法なのだろうか。。。。]の本質および鋳貨や銀行券が租税によりいかにして
その価値を獲得したかを説明した。簡単に理解するためには、この以前の説明を心の中にはっきり押さえておくことが
不可欠だ。ここから始めてこれを敷衍してゆき、そして問題のより難しい側面へと移ってゆくことにしよう。
P65:1 我々は習慣的に貨幣の発行を高貴な祝福と考え、そして課税についてはしばしばまったく耐え難くなる重荷と
考えるようになっている。しかし事実は逆である。貨幣発行こそ重荷であり、課税は祝福だ。
鋳貨や銀行券が発行されるときは常に厳粛な責務が国民の上に横たえられるのである。国民の財産に対する債権が発せられ、
国民に債務が生じる。鋳貨が債務を運ぶことになっているわけではないし、
責務を課す法律があるわけでもないというのは事実であり、それゆえこの現実が一般的に知られることは無い。
だとしても、これは単純な事実である。何度繰り返しても繰り返し過ぎることは無いし、強調しすぎることもできないが、
債権[信用]とは、「賠償satisfaction 」の権利なのである。これは制定法に依存するのではなく、
常識あるいは習慣法に依存している。これこそ万国共通の債権[信用]の本質なのである。これが債権[信用]だ。
勿論、いかなる形で賠償がおこなわれるかについては両当事者の間の合意によるのであるが、
交渉も合意も必要ない形式もあって、債権保有者(債権者)が、債務の発行者(債務者)に対し、
この次に前者が債務者、後者が債権者となった時には、後者自身の債務証書を
返却する[ことで自分の債務と相殺する]権利である。そうすれば二つの債務と債権が互いに相殺されるのである。
AがBに債務を負う、あるいは債務証書を渡す。時を経ず、BがAの債務者になる。その場合、Aの債務証書を返却する。
AのBに対する債務およびBのAに対する債務、というのはつまりBのAに対する債権及びAのBに対する債権は、相殺される。
P65:2 他の何物でもないこの債権[信用]こそがこの習慣法に正統性を与えている。そして結果的に
その形式あるいは素材がなんであるかに関わらず、債権の発行者に債務証書を返却することで債務を相殺する権利を
与えている契約書あるいは証券は、与信の契約書であり、債務の証書であり、「信用銀行券」となるわけだ。
P65:3 さて、政府鋳貨(そして結果的に政府紙幣や鋳貨の代理紙幣)は、保有者の権利を確定する。そして
基本的にはそれに付随して必要とされる権利は他にない。鋳貨および銀行券の保有者は政府に対して
どのような債務を負っていようと、この鋳貨や銀行券を譲渡することで決済する権利を持つのである。
そして他に何もなくともこの権利だけで鋳貨や銀行券に価値が与えられるのである。この権利が制定法により
運用されているかどうかはどうでもよい。それどころか、この鋳貨、銀行券その他の性質を定義する制定法の有無さえ、
どうでもよい。法的定義によって金融取引の基本的性格を変えることはできないのである。
P65:4 政府がこうしたトークンを発行する際の目的もまた問題ではない。公務員・軍人に対する支払であろうと、
「交換媒体」の供給であろうと。政府が地金と交換に鋳貨を交付するとき自分が何をしていると考えているのか、
そのオペレーションに法律上どのような名称が付けられているのか――すべては些細なことである。重要なのは、
政府が行っていることの結果であり、前に述べた通りあらゆる鋳貨は発行されたことで、ある人々を利するために
地域社会の重荷、費用、責務、債務となっているのであり、それを拭い取ることができるのは租税だけなのである。
P66:1 租税が課されるときは常に、各納税者がそれぞれ、政府が貨幣発行(鋳貨であろうと証紙であろうと
銀行券であろうと、財務省証券であろうと、つまりその貨幣がなんという名で呼ばれていようと)によって契約した債務の
小分割分を償還する責任を負ったのである。
P66:2 これは――課税による政府債務の償還は――、鋳貨あるいは形態を問わずあらゆる政府「貨幣」発行の
基本法則である。それは何世紀にもわたり忘れたまま放置され、代わりに何やら
鋳貨の金属的性格が重要であるかのような観念を発達させてきてしまったが、
実際にはそんな物には直接的な重要性はない。我々は租税やその他債務を鋳貨で支払うことに
慣れ親しんで育ったため、そうすることが一種の自然な権利であると考えるに至ったのである。
我々は鋳貨を一番素晴らしい「貨幣」であると考えるようになったのだが、その素晴らしさについて言うと、
鋳貨とは何やら不思議な力で富を体現しているものというわけである。流通している鋳貨が多いほど、
すなわち「貨幣」が多いほど、我々は豊かであるというわけだ。
P66:3 しかしながら、流通する政府貨幣が多いほど、我々は貧しくなる。信用[債権]理論から学ぶことのできる
あらゆる原則のうちのどれも、この原則より重要性の高いものはなく、この原則を完全に消化するまでは、
我々は健全な通貨法を制定できる立場にはないのである。
P66:4 次のような批判を想像できる。「あなたの言うことにも一理あるかもしれない。政府が債務の支払には
金鋳貨を受け取るべきとされ、その他の商品を受け取ることは認めてはならない、というのは確かに奇妙だ。
おそらくはあなたの言うとおり、鋳貨に刻印を押すことで鋳貨に特別な性格が付与されるのであろう。
おそらく、あなたの言うとおり鋳貨の発行は債務の創造とみなされるのであろう。しかしながら、
その理論は私がこれまで教わってきたこととは反対のようだ。私にはすべてをそのように見ることはできない。
いずれにしても鋳貨に刻印を押す効果が何であれ、どのようなやり方によってもその価値が変わることは無い。
私があなたに5ドルの金貨か少額コインを渡すとき、私は現実にあなたに債務を返済している。
というのは私はあなたに、素材にそれだけの価格の価値があるものを渡しているのだから。
あなたはお望みならそれを溶かして、再び同額で売ることができる。鋳貨を発行することで
債務が発生すると指摘することが何の役に立つというのだろうか。」
P67:1 前の論文の書評では、同じような批判が様々な言葉で行われた。ある論者はこう書いた。
「イネス氏によるなら、現代政府は共謀して金価格を引き上げようとしているらしいが、
ここで彼は過ちを犯している。現代では法規により金価格が固定されてなどいないし、
そのような意図もない。英国の法律では一定の品質の金の一定量をポンドと呼ぶと定めており、
合衆国ではドルと呼ぶと定めている。しかし、1ポンドにせよ1ドルにせよ、ただの抽象的名称であり、
その価値や価格とは何のつながりも関係もない。同じ量の金であれば何か別の名前で呼ばれたとしても――
例えばブリヨンと呼ばれていても――同じ価値を持つのだ。」
P67:2 さて、どちらが誤っているのか、検討しよう。批判者たちの言い分が正しいとしたら、そして多くの
エコノミストの信じる通りだとしたら、世界中の政府が行っていることというのはすべて、一定重量の金が
ポンドと呼ばれるべきかドルと呼ばれるべきかを法規で定めている、ということであり、そういうことであれば、
その法規のために金の市場価格が影響を受けることはないことは確かである。誰もこの取るに足らない法律に
注意を払ってこなかった。しかし筆者が前に述べたとおり、政府は特別な権力によって刻印を押すとき、
一定量の金を購入しているのであり、刻印することで1ポンドなり1ドルなりの金額の債務を相殺するのである。
これは単に金の一定量を特定の名称で呼ぶ、ということとは全く別のことだ。しかし歴史的には
決定的に証明されている通り、これですら、政府自身は鋳造目的に必要なだけしか金を購入していないと
確信したときであっても、貨幣単位による金価格を固定するのに十分ではなかった。しかしイギリス政府は
これよりさらに重要な一歩を踏みきった。中世の政府は絶対にしなかったことである。
イングランド銀行(これは特別な銀行というより実質的に政府の一部門であった)に、
提供されたすべての金を一律価格1オンス=3ポンド17セント9ペン市で買い取り、
同時に1オンス=3ポンド17セント10.5ペンスで売り渡すことを義務付けたのである。言い換えるなら、
同銀行は、金1オンスと交換に、帳簿上、3ポンド17セント9ペンスの信用[金の売り手側から見て債権]を与え、
同時に1オンス当たり1.05ペンスの小さな利益で信用[同上]と交換に金を与えることを義務付けられたのである。
これをもって金価格を固定する、と言わないのであれば、もはや言葉には意味がないといわねばならない。
P67:3 合衆国政府は同じ結果に別のやり方でいきついた。
P67:4 合衆国政府は公式に金を購入して居ない。合衆国がやっていることは、金を預かって、
標準[本位]ドルといわれる大きさに切りそろえて、重量と純度を保証するスタンプを押し、
そして所有者に返却するか、本人が希望するなら、金の代わりに銀行券(一枚のこともあれば複数枚のこともある)で
支払うこともある。さて、筆者は、改めて、政府が何をするといっているかではなく、政府が現にしていることを
問題にしていると強調したい。法律ではこの取引を預金と位置付けているが、事実は異なる。この取引は預金ではなく、
事実上、売買である。金1オンスと引き換えに、金の元所有者は貨幣を受け取る。この取引が、
預金以外の何ものでもない、と言えるのは、金が単に預けられるだけ、あるいは単に刻印を押すというだけで、
刻印された金の所有者にその金で納税することができるという特別な権利が与えられるのでない場合、
つまり金に[政府の]債務としての性格を与えることがない場合、つまり金を貨幣にするということがない場合である。
法律がこの取引を預金と位置付けているという事実は、貨幣という主題についての誤った観念の下で法律が
制定されていることを示しているに過ぎない。それ以外ということはまずありえない。というのは全世界がかくも
長きにわたりこの問題についてはばかげた認識のとりこであった。実際、銀という言葉で
貨幣を意味することのなかった国といったら、イングランドなど、ごく少数しかないというほどなのである。
17世紀まで金銀が通常の売買の法則に従うという観念は、絶滅したわけではないとしても、
少なくとも曇らされ、死んだも同然の状態となった。金銀は売買の対象とは思えなくなり、
それ自身に対してあらゆる商品が売られることとイメージされるようになってしまったのである。
政府の行動の[※編集者による注:to ではなくof ?]真の効果を理解するためには、
心の眼の前に既知の事実から演繹されたあるがままの貨幣のより真実の姿を保たねばならない。
現代の政府の役割を説明しよう。
P68:1 ある農家が自分の穀物を商人に譲渡し代わりに貨幣を受け取るとき、彼は穀物を売ったことになる。
彼が受け取ったのは銀行券かもしれないし、小切手か、鋳貨か商人の手形か借用証かもしれない――
それがなんであるかは問題ではない。この取引は本問の販売なのだ。さて農家が受け取ったものは、
穀物の価値と同等の商人の手形であるとしよう。そして後日、この商人が、利潤を得るためその穀物を売るのではなくて、
単に一時的に所有者から預かっているだけだ、私は穀物を再びその所有者あるいは自分が振り出した手形の保有者が
手形を戻しに来るまで預かっているのだ、と説明したとしよう。この商人の状況こそ、金を購入している今日の政府の
在り方とまさに一致する。農家は銀行家に貨幣[※商人の手形のこと]を預け、
交換にその銀行家の預金[credit 債権/信用]を得るであろう。農家に関する限り、問題はこれで終わりである。
手形はいろいろ通じて最終的には商人の取引銀行の手に渡る。そして銀行の帳簿上の農家の預金と相殺される。
もしこの商人が政府のように手広くビジネスを営んでおり、彼の手形が市場で大量に流通しているのであれば、
誰かが穀物を必要としたときには、彼の手形と交換に穀物を入手するのに何の困難も生じないであろう。
価格は商人が穀物を得た時と同じである。もし誰もその価格で穀物を必要としなければ、商人の手元に残ったまま、
支払った価格は失われるであろう。商人がこの取引を購入と呼ぶか預金と呼ぶかは農民にとって全く問題ではない。
農家は穀物を譲渡したのであり、後日引き取るとは思っていないのである。それを手放す代わりに必要なもの、
すなわち貨幣を得ることが彼にとって問題のすべてなのである。同じことが政府と金鉱山あるいは金ディーラーの間の
関係にも当てはまる。彼らは自分の金を鋳造家に売却し、そして見返りに「貨幣」を得たのである。それが彼らにとって
問題のすべてだ。受け取った金を政府がどうするのか、あるいはその取引を預金と考えているのか購入と考えているのかは、
どうでもよいことなのである。
P69:1 さて、商人が政府と同じように行動するであろうと理解できたところで、次はこの商人は穀物を倉庫にしまって
手形や借用書を発行するのではなくて、穀物を様々なサイズの袋に小分けして、袋ごとに穀物の購入価格を縫い付けて、
そしてそれを農家に戻すとしてみよう。そうすれば今度はこの袋が貨幣になるわけで、使い勝手が悪くても使えるのであれば、
これはちょうど銀行券や鋳貨同様に流通させられるであろう。この商人に対する債務者はこの穀物袋を返却して
債務の返済に充てることもできるし、本人が望むのであれば、穀物は自分で消費し、
債務のほうは必然的に働いて返すことになる、という選択肢もあるだろう。穀物袋と金貨の唯一の違いは便利さだけであり、
一方は重くてかさばるが、他方は小さくて持ち運びが楽ということだ。
P69:2 さて、穀物袋の所有者の意思決定――穀物を消費するか、手を付けずに債務償還のために取っておくのか――
に影響を与えるのは、どのような問題か。当然、彼は一定量の穀物袋で返済できる債務額と比較しての穀物の市場価格に
影響されるであろう。穀物価格のほうが[同じ量の穀物で償還できる]債務の額より大きければ、
穀物として使われてしまうであろう。穀物価格と同じであれば、一部は穀物として使われ、一部は、
おそらくしばらくの間は、債務の償還に用いられるであろう。しかし、最終的にはあまり間を置くことなく、
すべての穀物が製粉所へ向かうことであろう。ところがもし、袋についている債務の額が、
穀物の市場価格より高ければ、袋は手つかずのまま保管され、債務の償還のため、使われるであろう。
P69:3 したがって、流通している穀物袋の数を数えれば、商人が穀物を市場価格で購入しているか、
それ以上の価格で買っているのかが、簡単にわかる。もし商人が穀物を買い続けているのであれば、
流通している穀物袋の数も増えることとなり、そしてそれは穀物が穀物としてよりは貨幣として
より価値を持っている確かな証拠なのである。そして時がたてば
――時というものは否応なしに来るものなのだ;穀物袋による兌換での信用[債権]供与がこれ以上できなくなるとき
(商人も無限に豊かというわけではないのだから)――、
穀物袋の価値は、市場が消費のため吸収するだけの市場価格を下回り、彼がかつて
穀物のために払った価格にまで下落するであろう。
P69:4 これは信用[債権]貨幣理論の最も重要な論理的帰結である。鋳貨がいつまでも流通にとどまり続けるということも
あろうが、それはその通常時の価値が鋳貨を構成する素材の価値を上回っている場合であり、
その点は論理的にばかりでなく歴史的にも正しい。実際、これはあまりにも自明なので公理として
受け入れられてもよいほどであり、かつ、もしわれわれが誤った観念の迷宮に入り込んでいなかったら、
そうなっていたことであろう。
P70:1 この理論的決をアメリカのような国、つまり実際には金はほとんど流通しておらず、
財務省が抱えている在庫に対して発行された銀行券が流通している国では、命題は以下のようになる。
政府が金を購入する際の公示価格が金の市場価格を上回らない限り、財務省が銀行券と引き換えに
金をほんのわずかな時間でも保有することは、兌換されるまでもなく、不可能である。したがって、
この原理は歴史で試験するわけにはいかない。というのは政府の行動によって帆王される金が増大したのは
現代になってからのことで、またこの実務が採用されると金価格は法律に左右されることになってしまい、
金の市場価格がいくらかわからなくなってしまうからである。だがひとたびこの原理を受け入れるなら、
すなわち、貨幣単位は金属の重量ではなく、「価格]という言葉は他の商品と同じく金にも適用できるという原理を
受け入れるのなら(そして、いかなる合理的疑問も越えて、これは歴史的に正しいのであるが)、
明らかに、証券と引き換えに金が保有されているのは、倉庫の預かり伝票と引き換えに穀物や銑鉄が保有される以上の
意味などないのである。そして当然のことながら、もし市場が現在の価格で金を必要としているのであれば、
銀行券はすぐに兌換されることであろう。現在、合衆国財務省は10億ドルに近い価値の金を、
銀行券と引き換えに発行しており、そして年に約1億ドルの率で増やしている。あきらかに金の公示価格、
いわゆる「鋳造価格mint price」が商品としての金の市場価値より高くないのであれば、
このような状態が生じえないという点は、他のあらゆる商品と同じである。これはちょうど、
政府が国中のあらゆる卵を一定価格で買ってしまい、より低い[市場]価格で売るよりは、
冷蔵倉庫に保管しているのと同じである。もちろん、一定量の金は、政府価格以下の価格では市場から買えない以上、
そこから払戻しされる。もし金が通常の商業の法則に支配されていたままであれば疑問の余地なく価格は下がり、
金鋳造所の株主には大きな損失を与えることになるが、それ以外の全人類に対しては大きな福音となるであろう。
P70:2 こうした次第で、前の論文では世界中の政府が金を禁止価格に高止まりさせている、と述べたのである。
P61:4 本誌1913年5月号の紙面で割り当てられたスペース及びその号の要約で、
筆者は信用[債権]貨幣理論のこの簡単なスケッチを描くことができた。また本号では、
その理論を支える証拠が示される。歴史学の道を歩んでいる研究者であれば
そう期待していることであろう――その期待は本号で満たされるに違いない。筆者としては
新理論newer doctrine への切り替えが急速に進むことを期待しているというよりは、
貨幣や通貨、銀行業務の問題が真剣に研究がさらに進められれば、
何年もかかることなく金属貨幣理論は放棄されるに違いないとより強く確信されると期待したい。
厳密な意味では、これらの問題の中に旧来の理論により説明できるものは存在しない。
厳密な意味では評価し、ふるいにかけてゆくと、金属本位[標準]理論を支える証拠は何もない。
貨幣単位が鋳貨とは区別されるものだ、という事実は新たな発見ではない。これを指摘したのは
卓越したエコノミスト、ジェームズ・スチュアート卿Sir James Stewart である。
彼がそれを書いたのは、アダム・スミスより前の時代である。[※Aスミスの『国富論』の出版は、
スチュアートの『経済学原理』の10年後であるが、スチュアートを意識して書かれたといわれる。]
また現代の論者の中でも、ジェボンズがこの現象への留意を呼び掛けている。
「計算貨幣」「想像貨幣」といった表現が古い書物の中で頻繁に使われていることからも、
この考えが多くの人にとってなじみのあるものであるとわかる。中世が長く続き、
そして政府支出の増加によって鋳貨の量が巨大になると、貨幣は、全く自然なことだが、
鋳貨と同一視されるに至り、通商が順調であれば鋳貨は豊富に流通し、
不況期に売買があまりなくなれば姿を消した。こうしてよくある錯覚、すなわち
鋳貨が豊富であることは繁栄を意味し、不足が貧困の原因である、という錯覚が生まれたのである。
この不足を埋めようとして国王が新しい鋳貨を供給しようとしても、
不況期には古い鋳貨同様新しい鋳貨も姿を消してしまい、そしてこの現象はよこしまな人物がいて、
そいつがこれを輸出したり自分の利益のために溶解したり、退蔵したりしているという想像でしか
説明づけることができず、そしてこうした犯罪者には重罰が課せられることとなった。
彼らの行為によって我が国が貧困においやられた、というわけだ。鋳貨の素材(といっても、
ごくわずかしか含まれていないのだが)の価値が上昇し、フランスで
穢れなき貨幣monnaie blanches と呼ばれたものの価値が上昇したときには、輸出や熔解がある程度行われたことには
間違いないであろうが、より多くの鋳貨を求めて国民が騒ぐことがばかばかしいことは、
すでに昔の優れたエコノミストであるボワギベール氏によって明白となっている。彼が指摘したのは、
貨幣の過剰や不足といった外観に人は欺かれやすいということだ。鋳貨の数量が同じ場合でも、
通商が活発だというだけの違いで比較的少量の鋳貨の流通速度が速くなり、量が多く見える。
金融的困難の時期には通商は、現に中世でしばしば見られた通り、ほとんど停止してしまい、
鋳貨が希少であるかに見えたのである。
P62:1 筆者が信用[債権]貨幣理論を最初に明確にしたのではない。この栄誉は、注目すべきエコノミスト、
H.D.マクラウドH. D. Macleod に属する。もちろん、数多くの論者がある種の信用商品credit instruments が
「貨幣」という言葉に含まれなくてはならない、と主張したが、しかし筆者の知る限り、唯一マクラウドのみが
銀行と信用[債権]とを科学的に扱っており、彼だけが貨幣と信用を同一視しており、
そして筆者の諸論文はただ彼の教義をより一貫させ、それをさらに展開したものに過ぎない。
マクラウドの書いたものは時代に先行しており、そして正確な歴史知識を欠いていたため、
信用のほうが初期の金属貨幣より時代的により古い、ということを理解できていない。それ故、
彼の思想は十分明確にならず、売買という行為が商品と信用を交換することのことで、
金属その他有形資産との交換ではない、という基本理論を定式化することもできなかった。
しかし、その理論には貨幣科学のすべてが存在している。
P63:1 しかし、この真理が把握された今日の知的状況においても、曖昧さは完全に取り除くことのできないまま
残されているのである。
P63:2 貨幣単位とは何であるのか。ドルとは何か。
P63:3 我々は知らない。我々の確実に知るすべてのことは――筆者が本稿において簡単に指し示すことができる証拠は
明確で決定的である、という事実を繰り返し強調させてもらいたいが、――我々の知るすべてのことは、
ドルがあらゆる商品の価値の尺度であるということ、しかしそれ自体は商品ではないということ、
そしていかなる商品にも具体化しえない、ということである。それは手に触れることができず、非物質的で、
抽象的である。それ以外の状況では、この力は急速に失われる。それは過剰な債務状態では簡単に減価し、
そしてひとたびこの減価が確信されると、再び元の価値に戻すことは極めて困難か、
おそらくは不可能であるように思われる。減価(部分的かもしれないが)は常に生じているようだ。ただし、
この点では外国貨幣に対する減価のことか、国内における信用購買力の減価についての話かで変わってくる。
P63:4 しかし貨幣単位は減価しても増価はないように思われる。時には急激で時には緩慢な一般的物価上昇が
あらゆる金融史に共通の特徴である。そして急激な上昇の後に下落が続くことはあっても、
その下落は均衡状態への回復以上の物には見えない。物価下落によってそれに先行して生じた物価上昇より以前に
一般的であった物価より低いところまで下落した例があるのか、疑問に思う。そして継続的物価下落、つまり
継続的な貨幣価値の上昇に近いようなものがあったことは、知られていないように思う。
P63:5 貨幣単位の安定性を維持するもの(現に安定している限り)は、A. スミスが「市場の駆け引き」と呼んだもの、
つまり売り手と買い手の間で常に行われている主導権争い、買い手がなるべく少ない価値あるもので支払いをしようとし、
売り手ができるだけ多くの価値あるものを獲得しようとする双方の行為である。完全に平時の状態、
つまり商業がいかなる理由によるものであれ、暴力的な攪乱なしに運営されている状態の下では、
これら二つの力はおそらくうまく釣り合いが取れ、両者の力は等しく、いずれも他方よりある程度以上に
大きな優位を得ることはできないであろう。平和で孤立してその「歴史的道筋を進む」国が戦争あるいは
より活発な地域[植民地?]の大きな発展に影響されることがなければ物価は長期的に十分に
規則的に維持されていることが伺える。
P64:1 信用貨幣理論を実務に適用したものの中で最も興味深いのは、筆者の思うに、金本位制として知られる
通貨システムと物価上昇の関係を考察するものの中に見出すことができるだろう。現代のエコノミストの中には
こうした関係が存在していると感じている人もおり、それを需要供給法則の作用による金減価理論に基づいて
説明しているのだが、しかしこの需給法則とは、この場合、ほとんど適用不可能とみなせるものなのである。
P64:2 需給法則が通常の商業でどのように働いているかはよく知られている。商品の生産が
その需要の増加より早く伸びれば、ディーラーは商品在庫が過度に大きくなると見てとり、供給に見合う市場を求めて
価格を引き下げる。価格の引き下げは意図された行為である。
P64:3 ところがこれは金には当てはまらない。その価格は貨幣で評価する限り一定不変だからである。
他の理由を探さなくてはならない。筆者が思うに、それは前に論じた理論に見出すことができる。
いかなる債務者に対する債権の価値も、債務者が即刻償還しなくてはならない債務の額と、彼が、
今すぐにその債務を相殺するのに使うことができる債権の額の間の平衡関係によっているのだ。
P64:4 信用[債権]単位が継続的に下落している国はいつでも注意深く見れば、過大な債務を負っているとわかる。
P64:5 中世において物価上昇がいかにして生じたかを見た。ヨーロッパ全体ですべての政府が債務と債権の平衡法則を
守ることに失敗したことにより、生じたのである。貨幣単位の価値は政府の債務が継続的に債権を恒常的に上回り、
そのため重税が戦争による略奪、ペスト、飢饉、家畜伝染病により窮乏化した国民から搾り取られ、
国民が蝕まれたために、下落したのである。
P64:6 筆者に間違いがないとすれば、我々は今日、昔とは全く異なった原因により、
昔と全く同じような結果を得ようとしていることに気が付くであろう。今日の通貨システムの一つの結果として、
国家、州政府、銀行家、すべての人がすぐに償還のため利用できる債権をはるかに超える額の当座の債務と
結びついていることに気が付くであろう。
P64:7 我々は、金の固定価格を維持することで貨幣単位の価値を維持できるものと想像している。
事実は全く逆である。金属が現在のように過剰な時に金の現在の価格を長く引きのばすほど、貨幣の価値は下落するのである。
P64:8 この点を明確にするよう努めてみよう。
P64:9 以前の論文で筆者は鋳貨あるいは銀行券[certifcate ここまでこの表現が使われたことは
無かったような気がするが、、、当時のアメリカでは、これが一般にあるいは専門家の間で
普通に使われた用法なのだろうか。。。。]の本質および鋳貨や銀行券が租税によりいかにして
その価値を獲得したかを説明した。簡単に理解するためには、この以前の説明を心の中にはっきり押さえておくことが
不可欠だ。ここから始めてこれを敷衍してゆき、そして問題のより難しい側面へと移ってゆくことにしよう。
P65:1 我々は習慣的に貨幣の発行を高貴な祝福と考え、そして課税についてはしばしばまったく耐え難くなる重荷と
考えるようになっている。しかし事実は逆である。貨幣発行こそ重荷であり、課税は祝福だ。
鋳貨や銀行券が発行されるときは常に厳粛な責務が国民の上に横たえられるのである。国民の財産に対する債権が発せられ、
国民に債務が生じる。鋳貨が債務を運ぶことになっているわけではないし、
責務を課す法律があるわけでもないというのは事実であり、それゆえこの現実が一般的に知られることは無い。
だとしても、これは単純な事実である。何度繰り返しても繰り返し過ぎることは無いし、強調しすぎることもできないが、
債権[信用]とは、「賠償satisfaction 」の権利なのである。これは制定法に依存するのではなく、
常識あるいは習慣法に依存している。これこそ万国共通の債権[信用]の本質なのである。これが債権[信用]だ。
勿論、いかなる形で賠償がおこなわれるかについては両当事者の間の合意によるのであるが、
交渉も合意も必要ない形式もあって、債権保有者(債権者)が、債務の発行者(債務者)に対し、
この次に前者が債務者、後者が債権者となった時には、後者自身の債務証書を
返却する[ことで自分の債務と相殺する]権利である。そうすれば二つの債務と債権が互いに相殺されるのである。
AがBに債務を負う、あるいは債務証書を渡す。時を経ず、BがAの債務者になる。その場合、Aの債務証書を返却する。
AのBに対する債務およびBのAに対する債務、というのはつまりBのAに対する債権及びAのBに対する債権は、相殺される。
P65:2 他の何物でもないこの債権[信用]こそがこの習慣法に正統性を与えている。そして結果的に
その形式あるいは素材がなんであるかに関わらず、債権の発行者に債務証書を返却することで債務を相殺する権利を
与えている契約書あるいは証券は、与信の契約書であり、債務の証書であり、「信用銀行券」となるわけだ。
P65:3 さて、政府鋳貨(そして結果的に政府紙幣や鋳貨の代理紙幣)は、保有者の権利を確定する。そして
基本的にはそれに付随して必要とされる権利は他にない。鋳貨および銀行券の保有者は政府に対して
どのような債務を負っていようと、この鋳貨や銀行券を譲渡することで決済する権利を持つのである。
そして他に何もなくともこの権利だけで鋳貨や銀行券に価値が与えられるのである。この権利が制定法により
運用されているかどうかはどうでもよい。それどころか、この鋳貨、銀行券その他の性質を定義する制定法の有無さえ、
どうでもよい。法的定義によって金融取引の基本的性格を変えることはできないのである。
P65:4 政府がこうしたトークンを発行する際の目的もまた問題ではない。公務員・軍人に対する支払であろうと、
「交換媒体」の供給であろうと。政府が地金と交換に鋳貨を交付するとき自分が何をしていると考えているのか、
そのオペレーションに法律上どのような名称が付けられているのか――すべては些細なことである。重要なのは、
政府が行っていることの結果であり、前に述べた通りあらゆる鋳貨は発行されたことで、ある人々を利するために
地域社会の重荷、費用、責務、債務となっているのであり、それを拭い取ることができるのは租税だけなのである。
P66:1 租税が課されるときは常に、各納税者がそれぞれ、政府が貨幣発行(鋳貨であろうと証紙であろうと
銀行券であろうと、財務省証券であろうと、つまりその貨幣がなんという名で呼ばれていようと)によって契約した債務の
小分割分を償還する責任を負ったのである。
P66:2 これは――課税による政府債務の償還は――、鋳貨あるいは形態を問わずあらゆる政府「貨幣」発行の
基本法則である。それは何世紀にもわたり忘れたまま放置され、代わりに何やら
鋳貨の金属的性格が重要であるかのような観念を発達させてきてしまったが、
実際にはそんな物には直接的な重要性はない。我々は租税やその他債務を鋳貨で支払うことに
慣れ親しんで育ったため、そうすることが一種の自然な権利であると考えるに至ったのである。
我々は鋳貨を一番素晴らしい「貨幣」であると考えるようになったのだが、その素晴らしさについて言うと、
鋳貨とは何やら不思議な力で富を体現しているものというわけである。流通している鋳貨が多いほど、
すなわち「貨幣」が多いほど、我々は豊かであるというわけだ。
P66:3 しかしながら、流通する政府貨幣が多いほど、我々は貧しくなる。信用[債権]理論から学ぶことのできる
あらゆる原則のうちのどれも、この原則より重要性の高いものはなく、この原則を完全に消化するまでは、
我々は健全な通貨法を制定できる立場にはないのである。
P66:4 次のような批判を想像できる。「あなたの言うことにも一理あるかもしれない。政府が債務の支払には
金鋳貨を受け取るべきとされ、その他の商品を受け取ることは認めてはならない、というのは確かに奇妙だ。
おそらくはあなたの言うとおり、鋳貨に刻印を押すことで鋳貨に特別な性格が付与されるのであろう。
おそらく、あなたの言うとおり鋳貨の発行は債務の創造とみなされるのであろう。しかしながら、
その理論は私がこれまで教わってきたこととは反対のようだ。私にはすべてをそのように見ることはできない。
いずれにしても鋳貨に刻印を押す効果が何であれ、どのようなやり方によってもその価値が変わることは無い。
私があなたに5ドルの金貨か少額コインを渡すとき、私は現実にあなたに債務を返済している。
というのは私はあなたに、素材にそれだけの価格の価値があるものを渡しているのだから。
あなたはお望みならそれを溶かして、再び同額で売ることができる。鋳貨を発行することで
債務が発生すると指摘することが何の役に立つというのだろうか。」
P67:1 前の論文の書評では、同じような批判が様々な言葉で行われた。ある論者はこう書いた。
「イネス氏によるなら、現代政府は共謀して金価格を引き上げようとしているらしいが、
ここで彼は過ちを犯している。現代では法規により金価格が固定されてなどいないし、
そのような意図もない。英国の法律では一定の品質の金の一定量をポンドと呼ぶと定めており、
合衆国ではドルと呼ぶと定めている。しかし、1ポンドにせよ1ドルにせよ、ただの抽象的名称であり、
その価値や価格とは何のつながりも関係もない。同じ量の金であれば何か別の名前で呼ばれたとしても――
例えばブリヨンと呼ばれていても――同じ価値を持つのだ。」
P67:2 さて、どちらが誤っているのか、検討しよう。批判者たちの言い分が正しいとしたら、そして多くの
エコノミストの信じる通りだとしたら、世界中の政府が行っていることというのはすべて、一定重量の金が
ポンドと呼ばれるべきかドルと呼ばれるべきかを法規で定めている、ということであり、そういうことであれば、
その法規のために金の市場価格が影響を受けることはないことは確かである。誰もこの取るに足らない法律に
注意を払ってこなかった。しかし筆者が前に述べたとおり、政府は特別な権力によって刻印を押すとき、
一定量の金を購入しているのであり、刻印することで1ポンドなり1ドルなりの金額の債務を相殺するのである。
これは単に金の一定量を特定の名称で呼ぶ、ということとは全く別のことだ。しかし歴史的には
決定的に証明されている通り、これですら、政府自身は鋳造目的に必要なだけしか金を購入していないと
確信したときであっても、貨幣単位による金価格を固定するのに十分ではなかった。しかしイギリス政府は
これよりさらに重要な一歩を踏みきった。中世の政府は絶対にしなかったことである。
イングランド銀行(これは特別な銀行というより実質的に政府の一部門であった)に、
提供されたすべての金を一律価格1オンス=3ポンド17セント9ペン市で買い取り、
同時に1オンス=3ポンド17セント10.5ペンスで売り渡すことを義務付けたのである。言い換えるなら、
同銀行は、金1オンスと交換に、帳簿上、3ポンド17セント9ペンスの信用[金の売り手側から見て債権]を与え、
同時に1オンス当たり1.05ペンスの小さな利益で信用[同上]と交換に金を与えることを義務付けられたのである。
これをもって金価格を固定する、と言わないのであれば、もはや言葉には意味がないといわねばならない。
P67:3 合衆国政府は同じ結果に別のやり方でいきついた。
P67:4 合衆国政府は公式に金を購入して居ない。合衆国がやっていることは、金を預かって、
標準[本位]ドルといわれる大きさに切りそろえて、重量と純度を保証するスタンプを押し、
そして所有者に返却するか、本人が希望するなら、金の代わりに銀行券(一枚のこともあれば複数枚のこともある)で
支払うこともある。さて、筆者は、改めて、政府が何をするといっているかではなく、政府が現にしていることを
問題にしていると強調したい。法律ではこの取引を預金と位置付けているが、事実は異なる。この取引は預金ではなく、
事実上、売買である。金1オンスと引き換えに、金の元所有者は貨幣を受け取る。この取引が、
預金以外の何ものでもない、と言えるのは、金が単に預けられるだけ、あるいは単に刻印を押すというだけで、
刻印された金の所有者にその金で納税することができるという特別な権利が与えられるのでない場合、
つまり金に[政府の]債務としての性格を与えることがない場合、つまり金を貨幣にするということがない場合である。
法律がこの取引を預金と位置付けているという事実は、貨幣という主題についての誤った観念の下で法律が
制定されていることを示しているに過ぎない。それ以外ということはまずありえない。というのは全世界がかくも
長きにわたりこの問題についてはばかげた認識のとりこであった。実際、銀という言葉で
貨幣を意味することのなかった国といったら、イングランドなど、ごく少数しかないというほどなのである。
17世紀まで金銀が通常の売買の法則に従うという観念は、絶滅したわけではないとしても、
少なくとも曇らされ、死んだも同然の状態となった。金銀は売買の対象とは思えなくなり、
それ自身に対してあらゆる商品が売られることとイメージされるようになってしまったのである。
政府の行動の[※編集者による注:to ではなくof ?]真の効果を理解するためには、
心の眼の前に既知の事実から演繹されたあるがままの貨幣のより真実の姿を保たねばならない。
現代の政府の役割を説明しよう。
P68:1 ある農家が自分の穀物を商人に譲渡し代わりに貨幣を受け取るとき、彼は穀物を売ったことになる。
彼が受け取ったのは銀行券かもしれないし、小切手か、鋳貨か商人の手形か借用証かもしれない――
それがなんであるかは問題ではない。この取引は本問の販売なのだ。さて農家が受け取ったものは、
穀物の価値と同等の商人の手形であるとしよう。そして後日、この商人が、利潤を得るためその穀物を売るのではなくて、
単に一時的に所有者から預かっているだけだ、私は穀物を再びその所有者あるいは自分が振り出した手形の保有者が
手形を戻しに来るまで預かっているのだ、と説明したとしよう。この商人の状況こそ、金を購入している今日の政府の
在り方とまさに一致する。農家は銀行家に貨幣[※商人の手形のこと]を預け、
交換にその銀行家の預金[credit 債権/信用]を得るであろう。農家に関する限り、問題はこれで終わりである。
手形はいろいろ通じて最終的には商人の取引銀行の手に渡る。そして銀行の帳簿上の農家の預金と相殺される。
もしこの商人が政府のように手広くビジネスを営んでおり、彼の手形が市場で大量に流通しているのであれば、
誰かが穀物を必要としたときには、彼の手形と交換に穀物を入手するのに何の困難も生じないであろう。
価格は商人が穀物を得た時と同じである。もし誰もその価格で穀物を必要としなければ、商人の手元に残ったまま、
支払った価格は失われるであろう。商人がこの取引を購入と呼ぶか預金と呼ぶかは農民にとって全く問題ではない。
農家は穀物を譲渡したのであり、後日引き取るとは思っていないのである。それを手放す代わりに必要なもの、
すなわち貨幣を得ることが彼にとって問題のすべてなのである。同じことが政府と金鉱山あるいは金ディーラーの間の
関係にも当てはまる。彼らは自分の金を鋳造家に売却し、そして見返りに「貨幣」を得たのである。それが彼らにとって
問題のすべてだ。受け取った金を政府がどうするのか、あるいはその取引を預金と考えているのか購入と考えているのかは、
どうでもよいことなのである。
P69:1 さて、商人が政府と同じように行動するであろうと理解できたところで、次はこの商人は穀物を倉庫にしまって
手形や借用書を発行するのではなくて、穀物を様々なサイズの袋に小分けして、袋ごとに穀物の購入価格を縫い付けて、
そしてそれを農家に戻すとしてみよう。そうすれば今度はこの袋が貨幣になるわけで、使い勝手が悪くても使えるのであれば、
これはちょうど銀行券や鋳貨同様に流通させられるであろう。この商人に対する債務者はこの穀物袋を返却して
債務の返済に充てることもできるし、本人が望むのであれば、穀物は自分で消費し、
債務のほうは必然的に働いて返すことになる、という選択肢もあるだろう。穀物袋と金貨の唯一の違いは便利さだけであり、
一方は重くてかさばるが、他方は小さくて持ち運びが楽ということだ。
P69:2 さて、穀物袋の所有者の意思決定――穀物を消費するか、手を付けずに債務償還のために取っておくのか――
に影響を与えるのは、どのような問題か。当然、彼は一定量の穀物袋で返済できる債務額と比較しての穀物の市場価格に
影響されるであろう。穀物価格のほうが[同じ量の穀物で償還できる]債務の額より大きければ、
穀物として使われてしまうであろう。穀物価格と同じであれば、一部は穀物として使われ、一部は、
おそらくしばらくの間は、債務の償還に用いられるであろう。しかし、最終的にはあまり間を置くことなく、
すべての穀物が製粉所へ向かうことであろう。ところがもし、袋についている債務の額が、
穀物の市場価格より高ければ、袋は手つかずのまま保管され、債務の償還のため、使われるであろう。
P69:3 したがって、流通している穀物袋の数を数えれば、商人が穀物を市場価格で購入しているか、
それ以上の価格で買っているのかが、簡単にわかる。もし商人が穀物を買い続けているのであれば、
流通している穀物袋の数も増えることとなり、そしてそれは穀物が穀物としてよりは貨幣として
より価値を持っている確かな証拠なのである。そして時がたてば
――時というものは否応なしに来るものなのだ;穀物袋による兌換での信用[債権]供与がこれ以上できなくなるとき
(商人も無限に豊かというわけではないのだから)――、
穀物袋の価値は、市場が消費のため吸収するだけの市場価格を下回り、彼がかつて
穀物のために払った価格にまで下落するであろう。
P69:4 これは信用[債権]貨幣理論の最も重要な論理的帰結である。鋳貨がいつまでも流通にとどまり続けるということも
あろうが、それはその通常時の価値が鋳貨を構成する素材の価値を上回っている場合であり、
その点は論理的にばかりでなく歴史的にも正しい。実際、これはあまりにも自明なので公理として
受け入れられてもよいほどであり、かつ、もしわれわれが誤った観念の迷宮に入り込んでいなかったら、
そうなっていたことであろう。
P70:1 この理論的決をアメリカのような国、つまり実際には金はほとんど流通しておらず、
財務省が抱えている在庫に対して発行された銀行券が流通している国では、命題は以下のようになる。
政府が金を購入する際の公示価格が金の市場価格を上回らない限り、財務省が銀行券と引き換えに
金をほんのわずかな時間でも保有することは、兌換されるまでもなく、不可能である。したがって、
この原理は歴史で試験するわけにはいかない。というのは政府の行動によって帆王される金が増大したのは
現代になってからのことで、またこの実務が採用されると金価格は法律に左右されることになってしまい、
金の市場価格がいくらかわからなくなってしまうからである。だがひとたびこの原理を受け入れるなら、
すなわち、貨幣単位は金属の重量ではなく、「価格]という言葉は他の商品と同じく金にも適用できるという原理を
受け入れるのなら(そして、いかなる合理的疑問も越えて、これは歴史的に正しいのであるが)、
明らかに、証券と引き換えに金が保有されているのは、倉庫の預かり伝票と引き換えに穀物や銑鉄が保有される以上の
意味などないのである。そして当然のことながら、もし市場が現在の価格で金を必要としているのであれば、
銀行券はすぐに兌換されることであろう。現在、合衆国財務省は10億ドルに近い価値の金を、
銀行券と引き換えに発行しており、そして年に約1億ドルの率で増やしている。あきらかに金の公示価格、
いわゆる「鋳造価格mint price」が商品としての金の市場価値より高くないのであれば、
このような状態が生じえないという点は、他のあらゆる商品と同じである。これはちょうど、
政府が国中のあらゆる卵を一定価格で買ってしまい、より低い[市場]価格で売るよりは、
冷蔵倉庫に保管しているのと同じである。もちろん、一定量の金は、政府価格以下の価格では市場から買えない以上、
そこから払戻しされる。もし金が通常の商業の法則に支配されていたままであれば疑問の余地なく価格は下がり、
金鋳造所の株主には大きな損失を与えることになるが、それ以外の全人類に対しては大きな福音となるであろう。
P70:2 こうした次第で、前の論文では世界中の政府が金を禁止価格に高止まりさせている、と述べたのである。
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