大田原より愛をこめて

仕事中の現実逃避

友人の父上が自殺

2010年07月09日 | 公開中
友人のお父さんが長年うつ病をこじらせていたのは知っていたが、先日ついに飛び降り自殺を成功させてしまったそうだ。
お母さんがここ数年ずっとお父様の看病にかかりっきりだったそうだ。
お父さんはギャンブル、特にパチンコに狂っており、お母さんがお金を渡していたそうだが、その額たるや累計4000万円にも達していたそうだ。
その話に私はちょっと違和感を感じてしまった。
お母様は、ずいぶんとお父様のことを甘やかしていたんじゃないかな。
うつ病の人に無暗に厳しく接するのもアレだけど、甘やかすのもダメだと思うんだよね。
「この人は重いうつ病だから、私がついていないとダメなの!」
こんな風な、共依存関係に陥っていたんじゃないかって。
依存する側もされる側もそこに居心地の良さを感じちゃうため、なかなか病気から抜け出るきっかけをつかめない。
そういうパターンの母子(母親と息子)も以前みたことがある。
息子の方と一時期、ちょっと仲よくしていたんだが、彼もかなり重い精神病で、客観的に見て治る雰囲気がまるでなかった。
お母さんに逢ってみて納得。
息子をネコ可愛がり。「○○ちゃんは大変な病気だから・・・」って、息子を特別扱い。
それじゃ、病気である状態が居心地が良すぎて、抜け出るモチベーションが発生しないのね。
実際、母親にとっても重病の息子の存在は都合がよかったに違いがないのだ。
特別な病気なんだから強く母親を頼ってくれるだろう、って。まぁ潜在意識での話だけど。表向きはもちろん治ってほしいとは言っていたけどね。

何が言いたいかというと、ひたすら甘やかす行為って、無責任だし、愛情じゃないと思うのよね。
甘やかされた側は自立のきっかけを失い、残念な人生を送る羽目に陥る。
本当の愛情は、相手の真の自立を願い、きちんと二本足で立てる、二本足で歩ける存在へどうしたら導けるのかに心を砕くこと。
真の愛で結ばれた関係というのは、二本足で立てる者同士が、二本足で立ちながら手を繋ぐようなイメージだと思います。夫婦であれ、親子であれ、ね。
一本足でしか立てない状態で寄りかかりあうのって、私は本当の愛って呼べないと思います。

このことは、実は私は自戒を込めて書いてる。
いままで、娘を甘やかそうとしていたなって。
可愛いからすべて許すよ、っていうのは、少し無責任な態度だったかな、って。
やっぱり、私が死んでからも、きちんと生きていける人であって欲しいんだ。
障害があるんだから、絶対に誰かの助けは借りなければならないとしても、母親に依存するしか生きる道がないような人じゃ困るって。

きちんとした愛情、責任のある愛ってものを、最近は考えるんです。
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2 コメント

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Unknown (とりっく)
2010-07-10 12:31:53

 先日読んだ本の言葉を思い出します。

 Help と support

 Help 変わりにやってあげること。
    その人は自分でできるようにならない。

 support 支えること。
    その人が自分でできるようになるまで、我慢強く 教えること、見守ること。

 親子・夫婦で必要なのもは、
 supportなんです。


 という旨が書いてあり、納得した。
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Unknown (っちさんさん)
2010-07-10 15:34:17
お悔やみ申し上げます。

文章からの推測ではそれだけで「共依存」かどうか断定できないけれども、仮に「共依存」だったとすると、社会通念から乖離した「2人の世界」のようなものができあがってしまうのかもしれませんね。

ただ、社会通念も間違っていることもあるので、難しいんですけど…。

ただ、難病だからとか治りにくい病気だからとか言って、ネコ可愛がりするのも、「2人の世界」ができあがっちゃってるのかな、とは思います。

通気性のよいパートナーシップや親子関係が望ましいですね。
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