小さな花

小さなテラスに幾つかの鉢
たまには、小声でおしゃべりしたくなります

お知らせ

2023-04-01 | ひとりごと

ちょっと事情あり、主な記事は削除させてもらいました。
コメントをいただいた方々には申し訳ないです。m(_ _)m
セキュリテーがしっかりしたらまた再開するかもしれません。
その時はよろしくお願いします。

ご冥福を祈ります

2021-10-21 | ひとりごと

ブログで行き来していた方が亡くなっていると知り、驚いているところです。
私もコロナ激増でしばらくの間、ここを見ていませんでしたから…。
体の具合が良くないのは以前から聞いていましたが、そんなに具合が悪いとは想像も出来ませんでした。
悲しくて涙がおちます。
もうその方のブログは更新されなくて、見ることが出来ないと思うと落胆が大きいです。
娘さん一家が最期を見守られたと知りました。
どうぞ安らかにお眠りください。
心よりご冥福をお祈りします。

コロナのパンデミック

2020-03-14 | 時事

今日は冷たい雨!
ついにパンデミック宣言が!
ヨーロッパにコロナの流行が移っているそうで、イタリアの感染者と死者の人数が1000人超えて驚くばかりだ。
TVでは医療崩壊が起きているのではないかとの意見が・・・。
なんとも悲しい出来事だ!
翻って日本ではPCR検査できる人数が増えなくて、なぜなんだと非難の声が。
PCR検査は100%万能ではないらしくて、だいたい5~7割くらいの確率らしい。
でも大体でも自分が感染してるかわかれば人に移さない行動も可能なので、なんとか検査が増えないかと期待する。
今の法律だと、検査で陽性の人で症状のない人も隔離入院しなければいけないそうで、そうすると重症者が入院できるベットが軽傷者でうまってしまうので、検査数が増やせないとも聞いた。
緊急事態なので、もっとフレキシブルに運用できないかとも思う。

自身の事で云うと、当初から色々と自粛してるのでまだ感染していないという自信はあるけど、でも万が一感染していたらと思うと、田舎のばあちゃんの所にも行けない状態だ。
もしも感染していたら、ばあちゃんに移してしまうのが怖くてばあちゃんに会いにも行けない現状だ。

無症状の感染者になる事も怖いけど、感染しなくて免疫が無いのも怖い!
未だこの敵のわからない事が多くて、せめてこんな治療で回復すると云う事がわかってから感染したい。


寒緋桜かな?

コロナ騒動

2020-03-04 | 時事

コロナの世界的感染で、アジア人=コロナのイメージが広まってしまい、世界中で色んな事件を聞く。中には暴力事件まで!(*_*)
コロナウィルスの感染速度は驚くほど速くて、あっという間に世界中に広がってしまった!
WHOが気をつける国として日本を加えたので、今後は日本人が各国への入国がしにくくなるのか・・・。(*_*)
WHO は最初の頃、かの国への忖度とも思える言動だった。

残念ながら日本中コロナ騒動であたふたしてる。
若い人は感染しても症状が軽いので、日本中を動き回る事によって年配の人に感染させてしまうので気をつけるように、と専門家の人から注意喚起が出た。
密閉された空間に多くの人が集まる事によって、感染が一気に広がってしまうらしい。

トイレットペーパーの買い占めまで起きて、開店と同時に売り切れるようだ。
在庫もあるし買い占めなくても大丈夫と言われても実際に店に行くと無いので、ますます不安を増幅させているようだ。
「在庫は大丈夫だから」という言葉だけでなくて、いつもの何倍も生産してもらって店舗に山のように積んでもらうと、目にした人は初めて安心できるのではないだろうか。
でも、トイレロールの買い占めは日本だけでなくて、アメリカでも起こったようだ。
こういう事象まで感染するのね!(^^;)

コロナ騒動で気分が暗くなるので、室内でなく外での花見してる♪(^^;)
この騒動が治まったら、買い物と旅行で爆発しそう~♪(^o^)



河津桜です

永眠しました

2016-09-09 | ひとりごと

姉は八月の下旬に自宅で永眠しました。
最期は痛みに苦しむこともなくて、痛みのコントロールはよくできていたので、本人の希望どうりの最期を迎えられたと思います。

七月の下旬に下血があり、その頃より急激に衰弱が激しくなってきました。
食べ物もあまり食べられなくなり、坂道を転げ落ちるように衰弱していきました。
通院も体力的に無理になり、訪問診療に切り替えました。
その訪問診療の院長先生はとてもいい方で、姉とはとても楽しそうに話をしてくれました。
KGクリニックの先生で、亡くなる3~4日前にも訪問してくれて、その頃はもう一日中うつらうつら状態だったのが、その先生が見えると意識がハッキリして話が弾んでました。

亡くなる前の週に要町病院で腹水を抜き、帰ってから訪問入浴をしてと、姉らしく準備がよかったです。
要町で、もうあと数日しか持たないだろうと言われてビックリ仰天!
家族としてはあと1カ月ほどは大丈夫だろうと思っていたので…。
それから6日目に亡くなりました。訪問診療の先生にもあと数日と言われていたので、家族は傍に付いていました。

亡くなる三日前には非常に状態が悪くなり訪問診療の看護婦さんが飛んできて、措置をしてくださいました。
その翌日は、ずっとうつらうつら状態で、でも呼びかけると目を開けて話はできました。
翌々日は呼吸もかなり荒くなり熱が急激に上がってきて最後は41度ほどにまで上がりました。
そして明け方に息をひきとりました。
本人は苦しみながら死にたくないと言っていたので、痛みのコントロールは出来ていてその望みは達成できました。
まあまあ安らかな顔で息をひきとったので、安堵しました。

2013年に順天堂で悪性リンパ腫が判明して、H病院に通院して悪性リンパ腫の抗癌剤治療を受けてT病院にて放射線治療を受けて悪性リンパ腫は完治しました。
その後H病院で経過観察として検査などを受けていたのですが、2015年に検査の結果で膵臓がんの疑いがあると言われて、再びT病院にて検査して膵臓がんと確定しました。
青天の霹靂!
ガンは血管を巻きこんでおり、手術不可能と言われて、抗がん剤治療をすることに。
T病院にて、ジェムザールとアブラキサンの抗がん剤治療を9カ月近くも受けて多少はガンが縮小したかに思えましたが、翌年3月には腹水が溜まるようになり、圧迫されて苦しそうでした。
腹水を抜きながら、TS-1の飲み薬抗がん剤を4か月ほど受けましたが、病状の改善が見られないのでTS-1は止めました。
姉にはこのTS-1は味覚障害の症状が重く出て、食べ物が食べにくい状況が続いたのがとても辛かったようです。
「多少死期が早まっても物を美味しく食べたい」と言い続けていたのが不憫です。
ジェムザールとアブラキサンの副作用は脱毛、手先足指の痺れ、爪の剥がれなどでした。若干疲れやすい(薬の副作用か病気のせいかは不明)くらい。
なのでこの時は旅行にも行けました。
腹水が初めて溜まった時には、最後に開業した北海道新幹線で函館に行きたいと言っていたのですが、骨折までしてしまったのでその望みは果たせずに残念だと思います。
でも、自宅で家族に見守られながら息をひきとることができたのが幸いです。

私も自分にできうる限りは姉にしてあげたつもりなので、こうしたあげたかったとかの後悔はないです。
函館行きが実行できなかったので、唯一心残りですが…。