姉は八月の下旬に自宅で永眠しました。
最期は痛みに苦しむこともなくて、痛みのコントロールはよくできていたので、本人の希望どうりの最期を迎えられたと思います。
七月の下旬に下血があり、その頃より急激に衰弱が激しくなってきました。
食べ物もあまり食べられなくなり、坂道を転げ落ちるように衰弱していきました。
通院も体力的に無理になり、訪問診療に切り替えました。
その訪問診療の院長先生はとてもいい方で、姉とはとても楽しそうに話をしてくれました。
KGクリニックの先生で、亡くなる3~4日前にも訪問してくれて、その頃はもう一日中うつらうつら状態だったのが、その先生が見えると意識がハッキリして話が弾んでました。
亡くなる前の週に要町病院で腹水を抜き、帰ってから訪問入浴をしてと、姉らしく準備がよかったです。
要町で、もうあと数日しか持たないだろうと言われてビックリ仰天!
家族としてはあと1カ月ほどは大丈夫だろうと思っていたので…。
それから6日目に亡くなりました。訪問診療の先生にもあと数日と言われていたので、家族は傍に付いていました。
亡くなる三日前には非常に状態が悪くなり訪問診療の看護婦さんが飛んできて、措置をしてくださいました。
その翌日は、ずっとうつらうつら状態で、でも呼びかけると目を開けて話はできました。
翌々日は呼吸もかなり荒くなり熱が急激に上がってきて最後は41度ほどにまで上がりました。
そして明け方に息をひきとりました。
本人は苦しみながら死にたくないと言っていたので、痛みのコントロールは出来ていてその望みは達成できました。
まあまあ安らかな顔で息をひきとったので、安堵しました。
2013年に順天堂で悪性リンパ腫が判明して、H病院に通院して悪性リンパ腫の抗癌剤治療を受けてT病院にて放射線治療を受けて悪性リンパ腫は完治しました。
その後H病院で経過観察として検査などを受けていたのですが、2015年に検査の結果で膵臓がんの疑いがあると言われて、再びT病院にて検査して膵臓がんと確定しました。
青天の霹靂!
ガンは血管を巻きこんでおり、手術不可能と言われて、抗がん剤治療をすることに。
T病院にて、ジェムザールとアブラキサンの抗がん剤治療を9カ月近くも受けて多少はガンが縮小したかに思えましたが、翌年3月には腹水が溜まるようになり、圧迫されて苦しそうでした。
腹水を抜きながら、TS-1の飲み薬抗がん剤を4か月ほど受けましたが、病状の改善が見られないのでTS-1は止めました。
姉にはこのTS-1は味覚障害の症状が重く出て、食べ物が食べにくい状況が続いたのがとても辛かったようです。
「多少死期が早まっても物を美味しく食べたい」と言い続けていたのが不憫です。
ジェムザールとアブラキサンの副作用は脱毛、手先足指の痺れ、爪の剥がれなどでした。若干疲れやすい(薬の副作用か病気のせいかは不明)くらい。
なのでこの時は旅行にも行けました。
腹水が初めて溜まった時には、最後に開業した北海道新幹線で函館に行きたいと言っていたのですが、骨折までしてしまったのでその望みは果たせずに残念だと思います。
でも、自宅で家族に見守られながら息をひきとることができたのが幸いです。
私も自分にできうる限りは姉にしてあげたつもりなので、こうしたあげたかったとかの後悔はないです。
函館行きが実行できなかったので、唯一心残りですが…。