所謂「新本格」ムーブメントは島田氏推薦の作家達によって始まったわけで。
その当時の状況が全く飲み込めていない私としては非常に気になる本でした。
綾辻氏、法月氏、我孫子氏と作品を読み進めてきたわけですが、
そもそもの成り立ちを知るには、最適の入門書だということで、読んでみました♪
島田氏が推薦した作家の著作に書いた解説文や自著のあとがき、対談集などで構成されています。
そのうちの何篇かは既に目にしていたものでしたが、興味深いものも多かったですね。
特に、島田氏を囲んで、綾辻、歌野、法月、我孫子の4氏が「本格」について語る座談会。
同じ“一派”なようで、実は全然違う個性を持っている方たちなので、
読んでいるこちらがハラハラするような噛み合わなさ・・・(^^;
本格に対する確固たる自分の思想や見解を持っている島田氏に対して、
綾辻氏は言葉にはしないけれどある種の憧れの姿を「本格」に重ねているような風情だし、
法月氏はクイーンの影を引きずって早くも「本格」に苦悩し始めている感じだし、
我孫子氏はまずは自分の書きたいものがあって「本格」というジャンルに特にこだわっていなし、
歌野氏はトリックと物語の融合という、この中では一番優等生的な理想を語っていますし。
個性だよな~と改めて思ったものでした。
もちろん変遷するのが人間なので、当時(18年前!)とは当然作家のスタンスも変わっているはず。
また、そうでなくては嘘だよな~とも思うし、根っこは変わらないかもね、とも思います。
実際に彼らを取り巻く情勢も変わってきているのでしょうし・・・
それにしても、人をこれほどまでに夢中にさせる「ミステリ」の魅力はすごいですね。
中でも「本格」という表看板・・・中がどんなお店なのか、人によって説明がこれほど違うのも珍しい。
私自体も、よくつかめていないのですけれど。
綾辻氏じゃないけど、「雰囲気」としか言いようもないもの??
でも各人が頭に思い描く「雰囲気」も当然ばらばらなわけだし、好みも違うんですよね。
思うに、純文学作品は世界としてそこで完結しているのかな、と。
世間の評価はどうあれ、作者の中ではその世界はその姿で存在しているのだろうと思います。
もちろん、読む人への影響&解釈は、読者それぞれの立場によって全く異なるのでしょうが、
読者の反応や読み方を意識して作品が作られることは、あまり無いのでは?
一方ミステリ(特に本格)は、読者が読むことを前提に書かれているわけで、
存在の最初から読者の批判的視点が組み込まれて作られているのですよね。
読者がどう読むか、あるいは読者にどう読ませるかによって、作品の評価は決まってくる。
そして最初の読者は作者自身なわけで、しかも書き変え指示可能な読者なんですよね(^^;
自分のレベルが上がれば、だんだん寡作になってくるのも分かる気がしますね・・・
ところで。私がミステリを読む動機は・・・「発見」かな~。
思考法だったり、論理だったり、パズルの答えだったり、人間心理だったり。
その「発見」が腑に落ちるもので、好みに合うものであれば、好きな作品になるのかも。
「何かに気づくこと」って、本当に楽しいことですもんね♪
新たな「発見」を求めて。次は何を読もうかな・・・
その当時の状況が全く飲み込めていない私としては非常に気になる本でした。
綾辻氏、法月氏、我孫子氏と作品を読み進めてきたわけですが、
そもそもの成り立ちを知るには、最適の入門書だということで、読んでみました♪
島田氏が推薦した作家の著作に書いた解説文や自著のあとがき、対談集などで構成されています。
そのうちの何篇かは既に目にしていたものでしたが、興味深いものも多かったですね。
特に、島田氏を囲んで、綾辻、歌野、法月、我孫子の4氏が「本格」について語る座談会。
同じ“一派”なようで、実は全然違う個性を持っている方たちなので、
読んでいるこちらがハラハラするような噛み合わなさ・・・(^^;
本格に対する確固たる自分の思想や見解を持っている島田氏に対して、
綾辻氏は言葉にはしないけれどある種の憧れの姿を「本格」に重ねているような風情だし、
法月氏はクイーンの影を引きずって早くも「本格」に苦悩し始めている感じだし、
我孫子氏はまずは自分の書きたいものがあって「本格」というジャンルに特にこだわっていなし、
歌野氏はトリックと物語の融合という、この中では一番優等生的な理想を語っていますし。
個性だよな~と改めて思ったものでした。
もちろん変遷するのが人間なので、当時(18年前!)とは当然作家のスタンスも変わっているはず。
また、そうでなくては嘘だよな~とも思うし、根っこは変わらないかもね、とも思います。
実際に彼らを取り巻く情勢も変わってきているのでしょうし・・・
それにしても、人をこれほどまでに夢中にさせる「ミステリ」の魅力はすごいですね。
中でも「本格」という表看板・・・中がどんなお店なのか、人によって説明がこれほど違うのも珍しい。
私自体も、よくつかめていないのですけれど。
綾辻氏じゃないけど、「雰囲気」としか言いようもないもの??
でも各人が頭に思い描く「雰囲気」も当然ばらばらなわけだし、好みも違うんですよね。
思うに、純文学作品は世界としてそこで完結しているのかな、と。
世間の評価はどうあれ、作者の中ではその世界はその姿で存在しているのだろうと思います。
もちろん、読む人への影響&解釈は、読者それぞれの立場によって全く異なるのでしょうが、
読者の反応や読み方を意識して作品が作られることは、あまり無いのでは?
一方ミステリ(特に本格)は、読者が読むことを前提に書かれているわけで、
存在の最初から読者の批判的視点が組み込まれて作られているのですよね。
読者がどう読むか、あるいは読者にどう読ませるかによって、作品の評価は決まってくる。
そして最初の読者は作者自身なわけで、しかも書き変え指示可能な読者なんですよね(^^;
自分のレベルが上がれば、だんだん寡作になってくるのも分かる気がしますね・・・
ところで。私がミステリを読む動機は・・・「発見」かな~。
思考法だったり、論理だったり、パズルの答えだったり、人間心理だったり。
その「発見」が腑に落ちるもので、好みに合うものであれば、好きな作品になるのかも。
「何かに気づくこと」って、本当に楽しいことですもんね♪
新たな「発見」を求めて。次は何を読もうかな・・・