第3日<10月20日:日> 天気: くもり
<行程>
道の駅:びわ湖大橋米プラザ →(徒歩)→ JR堅田駅[滋賀県大津市] →(湖西線)→ 京都駅 →(地下鉄)→ 蹴上駅 →(徒歩)→ 南禅寺・永観堂[京都市左京区] →(徒歩)→ 蹴上駅 →(地下鉄)→ 京都駅 →(JR湖西線)→ 堅田駅 →(徒歩)→ 道の駅:びわ湖大橋米プラザ(泊)
<レポート>
昨夜は真夜中に大声で談笑する若者のグループがあり、安眠を妨害された。若者というのは、グループになると自分たちのことしか見えなくなり、傍若無人な振る舞いをする奴が多い(ま、老人でも同じなのだが)。夜中にこのような振る舞いをする奴らは、スポーツカーなどの高級車を乗り回す者が多く、エンジン音も高くて、真に迷惑だ。何とか排除する手立てはないものかなどと思ってしまう。これが江戸時代ならば、無言で刀の峰打ちでもくれてやれるものをと、眠りはぐれた老人の陳腐な発想が頭を駆け巡る。
朝になった。今日は車を離れて他の交通手段による小さな旅、すなわち京都の古寺巡りへのチャレンジの初日である。今までずっと京都の表の顔を訪ねることをして来なかった。くるま旅を始める前までは、それなりに古都京都を訪ねてはいたのだが、その後くるま旅が本格化すると、京都に関しては、裏の方(丹波や日本海側)にばかり気持が動いて、表を敬遠するようになってしまった。というのも、表側の京都は、すっかり観光都市化してしまい、それに少し図体の大きいSUN号を留める駐車場が少なく、又あっても料金は高いし加えて拝観料とやらもしっかり徴収されるので、何だかバカバカしくなって敬遠していたのである。
しかし、裏ばかりでは、やはり京都の正体はつかめない。ま、そんな大げさなことではなくても、表裏一体ということばがある如く、ものごとは何事も全体を見てそれが何かが解るのであり、偏っていては解らないのである。それで、この頃はやはり京都の表を少しずつで良いから見てみることにしたのだ。そして、その方法として、いわゆるパーク&ライドというのにチャレンジしてみることにしたのである。いろいろ調べた結果、先ずはパークについては、道の駅:びわ湖大橋米プラザを使わせて頂こうと思った。ライドの方は、JR湖西線をベースに私鉄や地下鉄などを活用することにした。これならば京都市内の狭いエリアでの駐車の問題にも関わらないで済む。
ということで、道の駅を訪れたのだが、一つ問題があった。どうやらこの道の駅では、そのようなパークの仕方を歓迎していないようなのだ。ま、日中の一般の来訪者を優先させるのは当然であり、あまりメリットのない滞在者には遠慮して貰いたいというのは、今の世の常識なのであろう。それで、先ずは昨日、長時間滞在の実態をそれとなく調べてみたのだが、確かに何台かそれらしい車が見受けられ、中には放置されていると思しきものもあるように思えた。しかし、この道の駅の駐車場が満車になるというのは格別のイベントでもない限りは滅多にないようにも思え、今回はとにかくトライしたいので、目立たない第2駐車場の方へ車を置かせて貰い、チャレンジさせて頂いた次第である。
本当は、これほど遠い道の駅ではなく、もっと京都市内に近い場所にパーク&ライドの可能な施設が造られていたら、くるま旅も内容が充実するのになと思った。自分の知る限りでは、今までそのようなことが出来たのは長崎市だけだった。現代の車社会のこのようなインフラの貧困は、観光立国などを標榜する国家の大いなる怠慢ではないかと自分は思っている。
前置きが長くなったが、先ずは道の駅を8時半ごろ出発して、徒歩でJR湖西線の堅田駅に向かう。家内の足が遅いので25分くらいかかったが、文句は言わない。急がせて脱落されるよりはましだからである。この日は朝から霧が深くて、既に発車していたはずの電車が遅れてやって来て、直ぐに乗ることが出来た。30分ほど立ちながら揺られて京都の駅に着く。
そうそう、今日の予定は、南禅寺とその脇にある永観堂禅林寺の探訪である。これは家内の要望を優先させて決めたことである。これらの後、余裕があれば他のお寺さんを見ることにしている。古寺巡りの初めは、京都五山の古刹の探訪と決めているのだが、南禅寺は五山の別格の存在であり、いわば最上位ということなのであろうか。仏様に上下関係があるというのは、釈迦の教えとは無関係のような気がするのだが、坊さまも人間なので、そのような位などという位置づけが好きなのであろうか。ま、とにかく、家内は何よりも永観堂の紅葉の景観にあこがれているようである。
京都駅から地下鉄に乗り、烏丸御池で東西線に乗り換えて蹴上駅で下車。わけのわからない階段の続く地下道を歩いて、ようやく外に出て、さて、どちらの方へ行ったものかと思案する隙も無く、とにかく物凄い人の行列が続いているので、その流れに乗って少し行くと、どうやらそれが南禅寺に向かっているらしい。レンガ風の短いトンネルを潜ってしばらく行くと金地院という掲額のようなものがあった。南禅寺は近いらしい。その蟻の行列に流されていると、間もなく南禅寺の三門が見えた。石川五右衛門が気取って、「絶景かな!」とか叫んだあの門である。高所恐怖症なので上にあがることは止めたが、確かに往時は五右衛門さんの言う通り、都が見渡せたのかもしれない。巨大な建築物だなと思った。その傍に南禅寺の本堂らしきものがあり、これ又巨大な建造物だった。よくもまあこのようなものを造ったものだなと呆れ返るほどである。
南禅寺三門辺りの紅葉。とにかくものすごい人混みなので、落ち着いた雰囲気の写真が撮れるような場所は皆無だった。けれども紅葉の方は文句なく美しい。
ここいら辺で少し人の列から離れ、写真などを撮る。奥の方にレンガ造りらしき水道施設が見え、あれが京都(琵琶湖)疏水の名残りかとそれを見に行く。お寺さんよりはかなり新しいものなのだろうが、何だか同じ時代に造られた遺構のような感じがした。人の波はここにも押し寄せて来ており、もはやどうあがいてもこれからは逃れられないのだということを次第に観念するようになった。京都の観光の正体を見たような気持が次第に強くなってきた。境内にあるモミジの紅葉は写真の中では人混みから離れて静かさを装っているけど、モミジの下は人いきれが溢れているのである。
流れのままに少し離れた永観堂禅林寺へ。ここは南禅寺よりはかなり狭い境内とあって、人の混み具合は危険と裏合わせになっている感じがするほどだった。もはや入口付近の紅葉を見ただけで、中に入る気は失せて、自分は別の場所を歩くことにした。家内の方はあこがれの永観堂はこれからだと、人混みの多さなどにめげずに、カメラを抱えて中に入って行った。大したもんだなと思った。
永観堂の入口あたりの紅葉の様子。周辺は南禅寺以上の人の群れなのだが、この紅葉は人が入れない場所を覗いて撮ったものなので、そこの静けさも一緒に収まっている感がする。
そのあとは、家内が満足して戻るまで自分の方は、周辺の町屋の路地などを歩き廻る。蟻の行列を外れて一本細道に入れば、そこには普段の京都の人たちの暮らしが潜んでいる。今日は休日なので、家の中で寛いでおられるのかもしれない。人混みとは別世界の静けさが横たわっていた。路地のような通りを歩いている内に次第に気持も落ち着いてきた。小一時間ほど歩き回って、疲れたので永観堂の入口付近の脇道にある置き石に腰かけて休むことにした。モミジの赤い落ち葉の向こうに、ツワ蕗が澄んだ黄色い花を咲かせていた。静けさと本物の京都がそこにだけしっかり宿っている感じがした。
人混みの蟻の行列の続く南禅寺界隈も、一本筋を離れて歩けば、そこには普段の暮らしの静けさが横たわっており、安堵をおぼえる。
しばらく待って、家内はどうなっているのかと電話をすることにした。どうやら写真の方も終ったらしく、戻るとのこと。間もなく出口付近で一緒になって、もう今日はこれで終わりにしようということになり、蹴上駅の方に向かう。水分補給をしようにもそれを手に入れることもできなかった家内は、ようやく駅近くの自動販売機を見つけて、念願がかなったようである。本物の蟻の行列の中の蟻君たちは、やはり同じように水分補給もできずに歩き続けているのだろうか。ふと、そんなことを想ったりした。
その後、昼食をと店を探したのだが、近くに見当たらず、それでは京都駅まで行けば何とかなるだろうと、地下街に行ったのだが、どの店も行列ばかりで、もはやうんざりしてしまい、結局デパ地下で弁当を買い、湖西線の電車の中での行楽弁当となった次第。いやはや呆れ返るばかりの古寺観光となってしまった。考えてみれば、仏像一つ見たわけでもなく、参詣と言いながらも一度も手を合わせることも、心経を念ずることも無く、ただあれよあれよと人の波にまぎれ漂っただけの古寺探訪だった。
ところで、この日には不幸なエピソードが一つ生まれた。それは、車に戻って、今日撮った写真をパソコンに記録したのだが、何と家内の撮ったあこがれの永観堂での写真の3分の2程度が真っ黒なのである。何かの間違いなのだろうかといろいろやって見たのだが、ダメなのだ。冷静になった家内の話では、どうやら撮影の途中で、何かのボタンを操作したらしく、その修正を忘れたまま写真を撮り続けたらしい。相当に思いを込めて撮ったものもあったらしく、まあ悔しがることしきりだった。来年、もう一度リベンジに来ることを誓って、とにかく今年の分は諦めることとなった次第。これもまた蟻の行列の犠牲なのかもしれない。とにかく正気の沙汰でない観光実態なのである。